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日本製の旅〜佐賀金子窯へ再び〜

同じ地を訪れるのは春以来二度目。初めての地へはドキドキワクワクと何もかもが新鮮だったけど二度目はどのように感じるのか、自分でも少々不安な部分を抱えたまま、春馬くんが観た秋を探しに、慣れない一人ドライブへ。

唐津、再び〜豆腐店プラス唐津焼〜

10月1日の小雨が残る朝、予約していた唐津の川島豆腐店へ。春先にも味わった豆腐料理はその日もとても美味しかった。前回と違っていたのは、客が私一人だったこと。オレンジ色の照明の中で、一人で頂くにはかなり贅沢なご馳走だった。今度は誰かと一緒に来れるといいなと思う。ご馳走様を言って外に出ると空は厚い雲の上方に青空も見え隠れしていた。

駐車場から5分くらい向こうに、春馬くんが訪れた唐津焼の窯元があると分かった。
420年続く「中里太郎右衛門窯元」は、私にはハードルが高くて中に入るのも躊躇しそうだけど、Google mapを手にテクテク歩いた。


予想通りの堂々とした門構え、重厚な塀で全く中の様子が分からない。入るまでにその辺りをウロウロしては、門の前に立って中を覗いてみた。
自分の動きが滑稽に思え、恥を覚悟で左足を門の敷居を超えて置いた。右足、左足、行けそう!…階段、そして恐る恐る引戸を開けると、パッと明るい空間に唐津焼が品良く並べられた展示室、ここは店舗だった。
緊張して、というよりも手に取って触ることに気後れするが、ここまで来たんだからと自分に言い聞かせて、ゆっくりと順番に目だけで眺めていった。隣の新館に繋がっている木造の渡り廊下の下には鯉が泳いでる池がある。渡った先の部屋に展示されてあるのは、ガラス越しに並べられた数百万円と札がつけられたモノたちがゆったりと展示されてあった。それはそれはすごく大きくて華やかな壺ばかりでした。
女性のスタッフ?さん2名と第十四代中里太郎右衛門さんが居られるこの空間は、ピーんと張り詰めたような空気が流れ、私はなんだか間違えたような気になっていた。退出間際にFacebookで春馬さんがプライベートで来られた記事を見たことを伝えると、春馬さんの買った唐津焼の黒茶碗をネットでも求める方が多いとか。ずっと売り切れが続いてたけど、今ありますよ、とさっき眺めたところを案内された。
えっ!あったんだ!全く気づかなかったー(悲)

へぇぇ〜、ぼ〜っと暫く眺めて、
ん?これ、今買えるの??えっ⁉︎
思いがけず、出会えてしまった‼︎

春馬さんが選んだものはたくさん見たいけど、それが欲しいとなると大変だから、ずっと欲しかったものや眺めたり使えたりするモノだけを欲しいと思う。春馬くんがいいと思うものは、とっても幅広くて深くてこだわりはあるようなのに多種多様。多彩な色味のある唐津焼きの器の中から、黒一色の茶碗を選ぶんだ!
なるほど〜と唸ってしまう!
他にもいいと思ったモノが色々あったんだろうなと想像できる、素晴らしい展示室だった。


少し狭い小道を上がったところに、昔から残っている登窯も見てきました。
享保19年(1734年)第五代中里太郎右衛門の登窯大正期まで使用されていた「肥前陶磁器跡の御茶碗窯」も見てきました。

心残りなく、さあ、武雄へ。


武雄、再び 〜金子窯の多々良焼〜

お座敷にあがり、多々良焼の湯呑みで入れたてのお茶を頂いた。
心地よい風が吹き抜けてとても気持ちがいい。
昔のよき家の作りで壁が少なくて襖や引き戸になっているから、風がさらさら通りぬける。

金子さんは、ファイルに綴じている映画天外者のフライヤーを取り出しながら、
「五代さんはやっぱり春馬さんが一番合ってる。ほら、ほんとにすごくかっこいい!こんなにカッコいい人はなかなかおらん!我が家に来た時とは全然ちがう!」
「って、いやいや、そんな事ないです。この写真もすごく素敵ですよ!ほら‼︎とってもカッコいいですよ!」
と、6年前金子さんが撮影した、ここで春馬くんがニッコリ笑っている写真を見ながら、私は朗らかに主張してみた。
「いや〜、五代友厚を演じる春馬さんはこんなに素敵なのに、家に来た時の素の春馬さんはとても可愛らしくて雰囲気も全然違う。とても柔らかくて気さくな人。人懐っこくて、でもすごく大人。そして春馬さんの感性はすごく素晴らしいんですよ‼︎」

金子さん、春にお会いした時より春馬さん愛がさらに増してました♡笑。

春馬さんの器の使い方がとても素敵だと。
コーヒーカップのソーサーも、実際料理いれたり普段使われてるのがほんとによかった。だからうちも傷物が主だけど、お皿として食卓にだしてます、と。
楽しそうに話されてるけど、時々寂しい表情をする。そして、また思い出しながら嬉しそうに話しをはじめる。

春馬さんは一つ一つじっくり作品を見ていて、他の方は既に車に乗り待ってるのに、春馬さんはまだじっくりみてて、
「この人帰らんばいねー」って思ったとか!
「もっと写真ばいっぱい撮っておけばよかった〜、春馬さんはお酒が好きだと分かっていたら出せばよかった〜、一緒に飲みたかった〜、なんなら泊まってもよかよと言いたかった〜…」

微笑ましく温かい気持ちに触れると、少しでも気を抜けば目から温かいモノが溢れ出しそうになる。


"春馬くん、届いてますか。
金子さん、もっとしてあげたいことが
たくさんあるって。
そして話の終わりはいつも、
すごく感謝してる、って。
そう何度も何度も言ってますよ。"


春馬くんを真ん中に会話が弾みまして、かなり長居してしまいました。先日買った和蝋燭をお土産に渡すと喜んでくださり、さっそく日本製滋賀県の大輿さんのページを読まれてました!
金子さんはしみじみと、
「この日本製の本は、もっと大きな本にならんかねぇ。字が小さくて私には見にくいとです。」 
私も大きなものがほしい!同感です‼︎



「行きますか!窯の方に!」
えええっっっ!いいんですか?! 

さっきまで笑い弾んでいた私は、急に身体も緊張して声も小さくなる。


登窯〜神聖な空間

「これが登窯です。
そこに並んでいるのは、艶を消してほしいと言われた分と、その奥にある素焼きの分はこれから焼く分です。春馬さんの持っている花器はあそこに乗せて焼きます。」
窯が覗けるように木の蓋を外して窯の中の様子を伺った。

登窯 16世紀後半~現代:横炎式(半倒炎式)

登窯(のぼりがま)は中国・朝鮮半島を経て、16世紀後半に唐津で導入されました。江戸時代はじめには唐津から美濃(現:岐阜県土岐市など)をはじめ全国に普及していきます。
(陶器の基礎より)


「狭い!中はこんな狭いんですか⁉︎」
「ここから火を焚いて。取り出す時はススでレンガが真っ黒になるとですよ。
一番大事なのはこの灰釉(かいゆう)。市販のものも使ったことあるけど、これはお友達にもらっている特別なものです」
みかんの木を燃やしてできた灰は触るとサラサラしていた。
仕事の話をされる時は、厳しい雰囲気も伝わってくる。



「散らかっとるけどぉ。」
登り窯の横に木造の建物がある。その中の様子を入り口からしばらく眺めた。
蹴ろくろだ。
春馬さんはここでひざまづいて蹴ろくろをまわす金子さんのお父様の姿をじっと見つめて一言、"すごいね"って言ってた、この場所で。ここは職人さんの仕事場でとても神聖な場所。

金子さんは、こうやって座って作るとですよ、と座ってみせてくれた。私は入り口に立ったまま咄嗟にスマホカメラを向けると、それがおかしかったのか大きく笑ってました。
それから建物の中のモノを一つ一つ説明して下さり、私は静かに呼吸をしながら聞き入りました。
「蹴ろくろは大きな壺などを作るときにとても便利で、器や花器など小さいものはこの台で作ります。」

大きなしゃべるがある場所には土で山ができていた。この土を水で混ぜて粘土を作る。できた粘土は袋に入っていたが触ってみるととても硬かった。




一つ一つの工程を順を追って聞くと、想像を遥かに超えた重労働で、出来上がる作品は逞しさや繊細な部分がそのまま表れているようで、作品に対する思いも垣間見れた気がした。

飾り気のない無造作な作業場の広い空間の中を金子さんは歩き回って説明してくれた。私はほぼ直立したまま、説明してくれる方向に身体を向けては数歩動きまた深く息を吸った。琴線にふれるような時間ってこんな時に使うのだろうか。
お父様は今は入院されてて、金子さん一人で土を運んでつくるところから、売って包装紙に包むところまで全て一人でこなしているという。
本当に凄いなと思う。

作品として出せるよりも失敗するほうが多いと言っていたような形跡が、あちらこちらにたくさんあった。素焼きの段階のものは、また壊して粘土にすると土の側で積み重なって山になっていた。外には作品として売ることができない陶器が壊れた状態で積み上がっていて、大きな壷などはお母様が捨てられないといくつもひっそりと並べてあった。私には立派な芸術作品に見えるんだけど。



目の前の黄金色に広がる稲穂、
この美しい景色を見たくて私はここに来たんだった。春馬くんが訪ねた9月末と変わらないだろう景色を見たかった。
金子さんも言ってた、「春馬くんはこの景色をみて好きだったと思うよ。たしかこのくらいの季節だったかなぁ」って。そこは私の方が覚えてる!

その黄金色の田園の中から、とても大きな真っ白い美しい鳥が羽ばたこうとしていた。
さっきからずっとそこにいたのだろうか。
その美しさに見惚れている間、金子さんはいつもの風景をみるように穏やかな表情で眺めていた。そして目の前を大きく羽ばたいて西の方へ飛んでいった。あんなに大きな白鷺をみたのはたぶん初めてだと思う。
丁寧にお礼を言えたかどうか分からないけど、いつでもおいでの言葉にまた会いに来ようと思った。


武雄神社へ

金子窯を出て、せっかくここまできたので、パワースポットで国の天然記念物"大楠"のある武雄神社へ車を走らせた。車で30分くらい。

ちょうど下校の子供たちもちらほら姿がみえた、平日の遅い午後。大きな鳥居を潜る前からとても強い力を感じた。





武雄神社の創建は天平3年(735年)。
壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼした源頼朝は、武雄神社での平家追討祈願が成就した事を神徳と感じ、お礼として礼状を奉じ、流鏑馬を奉納したと、書かれていた。
8世紀の奈良時代‼︎ 鎌倉⁉︎
そんな昔に突然タイムスリップなの⁇

遥か高い場所で竹の葉がごぉ〜とざわめく音だけが響く中を歩いていくと、実際にタイムスリップしていくような感覚がなんだか面白いと思った。

大楠:推定齢3000年と伝される神木である。地表近くの幹に広さ12畳ほどの空洞があり、中に石祠があり天神様が祀られている。武雄市指定天然記念物。
(武雄神社 ウィキペディアより一部)


少し遠い場所からでも大楠は、圧倒的な存在感を放っているのがわかる。私は呼吸が速くなるので意識的に深呼吸をした。


この大楠をまっすぐみていると、パワーをもらえるというよりも、私は飲み込まれそうで怖かったし、すごく叱られた気持ちになってしまった。
心の中の怒りの部分がじわじわと赤黒く灯る。それを叱られているのだろうか。それとも悲しみの果ての空っぽの部分だろうか。泣くなと叱られたようで、そして逃避癖の部分を見透かされているような気持ちにもなった。
パーンと響く竹の音やゴーッと鳴る風の音も恐ろしくて、足速に境内に戻った。

***

帰宅後もこのモヤモヤした気持ちがずっと心に残って、何故か完全に自己嫌悪になってしまった。やっと数日前に撮った大楠の写真をみてみると、怖さや恐ろしさではなく、ちゃんと受け入れてくれてる優しい姿にもみえた!(あれっ⁉︎)

御守りを購入したけど、御朱印帳もいいなと思って迷っている。また行こう。次は一人ではなく、リベンジのつもりで。


今回は、金子窯で湯呑みと綺麗な青と黒の深皿を買い、次の日のお昼ご飯に使った。
日用使いの器は、使われないと生気を失う。
水をくぐらせてようやく生き返る。
素麺はささっと簡単で有難い♡








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