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普段全く料理をしない私が、野草を採ると料理したくなる意味がわかった

私は普段全く料理しない。するとすれば、ご飯を炊いて味噌汁をつくるくらい。冬は鍋もして、三日くらい食べ続ける。おかずは納豆とか、モズクとか、冷ややっことか、調理しなくていい簡素なもの。

しかも調味料は海塩だけ、しょうゆだけ、など。

料理好きの専業主婦だった母に育てられ、毎日もりもり美味しいものを食べて育った私が、なぜこんな簡素な食生活でよしとするようになったか、一言で言えば健康上の理由だが、長くなるのでまた別の場所で話すことにしよう。

普段全く料理をしない私が、なぜ野草を採ると料理をシッカリとしてしまうのか。

その理由は、先日まで考えていたところでは、「せっかく野草料理をやろうと決断した自分ががっかりしたくなかったから」だと思っていた。

野草といっても、私の狙いは、ワラビやフキノトウ、タラの芽のようなグルメではなく、雑草である。タンポポ、ハコベ、なんかよくわからない草、などがそれである。

雑草だから何だかやばそうだし、当然まずくても文句言えない。まずくて当然危なくて当然、のようなものを、そうではなく、美味しくて安全で健康でエネルギーいっぱいの、ポジティブなものとしたいと思って始めたのだ。

だから不味かったら自分ががっかりする。もうやめようこんなこと、と意気をそがれるに決まっている。だから、頑張って美味しくなるように調理するのだ。

それはそれでもっともな理由だが、始めてみるとなんだかそれだけではない理由があるような気がしてきた。

なんだかとっても嬉しい。めっちゃ得して身軽になった気分。なんだろう、この気持ちは。

今日その理由がようやくわかった。

結論から言うと、食材を買って料理する、ということは、実はものすごくハイコストな行動なのだ。
こんなこと、やってらんないよ、というくらいに。



まず、食材を買うにはお金が必要だ。それを稼ぐために仕事をする。そして食材を買うためにスーパーなどに出かけなくてはならない。次に、食材を選ばなくてはならない。家に帰ると、食材の梱包を開けて、洗わなくてはならない。そして切ったり煮たり焼いたりして調理する。その後食べる。洗い物をする。ゴミをだす。

この工程をまとめると:

1)仕事してお金を稼ぐ

2)店に出かける

3)商品を選ぶ

4)支払い詰込み、持ち帰る

5)買い物袋から出す

6)冷蔵庫に収納したり、包装を開けて流しまでもっていく

7)洗う

8)調理する

9)食べる

10)洗い物する

11)ゴミ出しする

実にこのような長い工程がかかっている。さらに、税金も二回かかっている。所得を得るときにかかる税と、商品を買うときにかかる税だ。

野草を食べる場合はどうかというと、

1)野草採取に出かける

2)袋から出して洗う

3)調理する

4)食べる

5)洗い物する

だ。工程は半分以下。包装がないので、ゴミはほぼでない。食べなかった野草は庭に放っておくと、他の落ち葉とともに土になる。

野草料理は面倒そうに見えて、じつは買い物して料理するよりずっと簡単で低コストだ。低コスト、というより、一切お金はかからず無料だ。

無料なうえに手間も半分以下。こんないいことない。

おそらく私が普段料理をしなかった理由もそこにもあるかもしれない。食べることに5工程以上の労力をかけることに、私の魂はNOを突きつける。

野草料理は、正直とってもおいしい。そして楽しい。スーパーに行く代わりに森に散歩に行く。みつけた原っぱで今日食べる分採取する。

帰って料理して食べる。

とっても自然で豊かな生活。

コロナバカンスで得た気づきは大きい。

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