文字を持たなかった昭和 百十四(大足)

 このところ取り込み気味だったこともあり「文字を持たなかった昭和」から離れてしまったが、前回「今日のミヨ子さん(わたしからのおみやげ)」で靴下を取り上げているとき思い出したことがある。

 母ミヨ子の足は大きい。

 子育てしていた頃でも身長は150センチをちょっと超える程度、体重は50キロぐらいと小柄でふっくらした体形だったが、足はとても大きかった。畑仕事のときは履き古したズック靴を履くことが多かったが、サイズは24.5センチと、身長からするとびっくりするほど大きな足だった。しかも横幅があって、足だけ見れば「男の足」と言われても納得するほどがっちりしていた。

 農作業と家事に明け暮れ、つきあいと言えばせいぜい近所、子供の学校の用事には外交的な夫の二夫(つぎお)が出ていくことが多かったので、よほどのことがなければよそ行きの服で外出する機会はなかった。まれにスカートやワンピースで出向かなければならないような用事のときは、合わせられる靴がなく苦労していた。

 なぜこんなに足だけ大きいのか?
 ひとえに、長い歳月足を踏ん張って農作業を続けてきたから、だろう。

 農家の一人息子に嫁いだそのときから、ミヨ子は農作業のための重要な労働力となった。というより、労働力として迎え入れられたという側面があっただろう。舅の吉太郎は倹約家で、農作業のときは裸足だったから、嫁のミヨ子に農作業用の靴を与えるような配慮はなかった。一家は自分たちで編んだワラジを履くことが多かった〈97〉。

 家では下駄履きである。これとて、「下駄は履けば歯が減る(だから買い直さないといけない)、裸足なら洗えばすむ」と吉太郎に小言を言われることがあった。

 いずれにしても、足を覆うタイプの履き物ではない。鼻緒を足の指で挟んで踏ん張り、力を込めて畑を打ったりするうちに、ミヨ子の足はどんどんたくましくなっていった。フットケアなど考えられもしない時代と環境で、足の裏の皮膚は硬くなり、冬になると踵はいつも罅割れていた。

 ミヨ子の大きな足は、子供のわたしには見慣れたものではあったが、女性用の靴や靴下が合わずに困っているようすを目にするときは、切ない気持ちになったものだ。

 今回靴下を贈るとき、22~24センチの女性用でいいのか正直なところ悩んだ。ジェンダーフリーが進みつつあるご時勢、男性用にも女性が履けるような色や柄があることを期待したが、「これなら」と思えるようなデザインのものがなかった。結局、夏用なら比較的薄手で伸縮性があることを期待しつつ、女性用を選んだ。

 もともと美人なのに、農作業に明け暮れ、女性らしい靴や靴下すら履けなかったミヨ子の足元に、やはり女性らしいものを届けたかったのだ。

〈96〉農作業時の履き物については「三十九(開墾2)」で、ミヨ子の体形や足が大きかったことについては「四十六(働きづめの体)」でも触れている。


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