昭和の教え「お天道様が見ているよ」

 「文字を持たなかった昭和」から離れる。が、昭和生まれの慨嘆ではある。

 このところ各地で、複数人が民家や店舗に押し入る強盗傷害事件が多発している。留守を見計らって侵入する一般的な窃盗と異なり、多くは人がいる時間帯に侵入し、家人などを縛り上げたり殴ったりしながら、現金や貴重品の在処を聞き出す手口のようだ。東京の狛江市では90歳の女性が犠牲になった。

 報道や犯罪専門家の分析などによれば、「実行犯」は闇バイト(裏バイト)で募集され、たんに手足として現場で指示通りに「実行」する役で、指示役、募集役、元締めなどはそれぞれ別にいるらしい。実行役は指示された地点(民家・店舗等)に赴き、指示されたとおりに動くのだという。その結果が、強盗であり傷害であり、殺人に至ることもある、ということだ。

 闇バイトとして募集されている時点で「危ない仕事」という認識はあるのだろうが、目の前のカネほしさに応募し、犯罪に手を染める。いくら「指示」でも、他人の家に侵入すること、人を傷つけること、他人のものを奪うのがどういうことかはわかっているだろうに。応募し採用(?)されるとき、身分証明書の提示(画像などの提供)が必須で、途中で抜けられない仕組みになっているらしいが、そんなものは同情に値しないだろう。

 道徳教育や家庭教育の衰退、などと大上段に振りかざすつもりはない。ただ、もともと日本人は、「よそ様に迷惑をかけないこと」を大切に生きたし、なにより何をするにも「(誰も見ていないようでも)お天道様は見ているよ」と教えられた。少なくとも昭和の後期までは、そういうしつけをする家庭が多かったのではないかと思う。もちろんいまでも、同じような教育をしているお宅もあるとは思うが、少数派ではないだろうか。

 人は複雑な縁、繋がりの中で生きている。それが「お互い様」という一言に現れてもいる。しかしいまはそんな言い方もあまり聞かなくなった。自分がやりたいこと、と言えば聞こえがいいが、自分本位で欲求、欲望丸出し。一方で、他者への配慮は「忖度」「同調圧力」と揶揄される。なんだか殺伐としている。

追記:投稿翌日にタイトルの「つぶやき」部分を「昭和の教え」に変更しました。

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