文字を持たなかった昭和 四十七(産後)

 最初の子が死産になったあと、母ミヨ子はどうしていたのだろう。重いお産のあととあって、体はなかなか元に戻らなかっただろうが「十分回復するまで静養していなさい」と、姑や夫は言ってくれただろうか。

 家族の名誉のために付け加えると、祖父母も父もけして冷淡ではない。むしろ、田舎の人によくある素朴さと人の好さがあったし、故意に意地悪をするような性格でもなかった。ただ、育った環境と時代から、とにかく働くことを優先したし、体調をみながら仕事を調整するような習慣も考えもなかっただろうと思う。

 とくに嫁に対しては、当時の一般的な考え方として、けっこう厳しかったのではないだろうか。

 いきなり開墾の現場《URL54》や田畑に戻すことはなかったとしても、数日休んだあとは、家事や屋敷周りの軽作業などに取り掛かったはずだ。
 なにせ、一家総出で山ひとつをミカン畑に造り変える最中だったのだから。

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