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「サンフランシスコ平和条約」ー日本に同情した南アジア諸国

 昨日、「4月28日」はサンフランシスコ平和条約が発効した日である。2013年に日本政府は安倍政権の下でこれを祝う「主権回復の日」記念式典を初めて開催した。

 西側の戦勝国主導のこの条約には反対する声が旧植民地諸国では少なからずあった。インドはサンフランシスコ平和条約の調印を拒否した。インドが拒否した理由は、米軍が継続して日本に駐留すること、沖縄と小笠原諸島、奄美群島をアメリカが信託統治すること、ソ連が北方領土と樺太南部を獲得することなどであった。

 サンフランシスコ平和会議でスリランカ代表のJ.R.ジャヤワルデネ氏は、「なぜアジアの諸国民は、日本は自由であるべきだと切望するのでしょうか。それは我々の日本との永年に亘るかかわり合いのゆえであり、またアジア諸国民が日本に対してもっていた高い尊敬のためであり、日本がアジア緒国民の中でただ一人強く自由であった時、我々は日本を保護者として又友人として仰いでいた時に、日本に対して抱いていた高い尊敬のためでもあります。(中略)大師(ブッダ)のメッセージ、『人はただ愛によってのみ憎しみを越えられる。人は憎しみによっては憎しみを越えられない。実にこの世においては怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの恩むことがない。』(中略)そうであるから我々は、ソ連代表の云っている、日本の自由は制限されるべきであるという見解には賛同できないのです。」


 極東軍事裁判で判事を務めたインドのパール判事は、「戦いに勝てば、その戦争は防衛戦となり、正当化される。そして勝者は敗者を裁く権利をもつ。これが慣習化されれば、どのような『侵略』戦争も『自国防衛』の名の下に正当化されることになるだろう。」とパールは考えた。パールは裁判の後も、日本を何度も訪ね、「世界連邦」の樹立と日本の再軍備反対・平和憲法の死守を訴え、発言した。「(原爆を)落とした者の手はまだ清められていない」「武装によって平和を守る、というような虚言に迷うな」とも語っている。

 パール判事は、欧米の戦勝国がニュールンベルク裁判との統一性を求めたのに対して、ドイツによるユダヤ人大虐殺ホロコーストと同等なのはアメリカによる原爆投下であると断じ、原爆ように国家が市民の生命・財産を奪うことを強く非難した。

作家の堀田善衛は『インドで考えたこと』で次のように書いている。

 「私はインドで、ときどきオキナワはどうなっているか、と聞かれた。ウカツ者で健忘症なことにかけては人に劣らぬ私は、忘れてしまっていたのだ、アメリカの対日平和条約案と沖縄とインド政府との関係を。

 アメリカの条約案では、沖縄は日本から引き離され、国連の信託統治領に移されることになっていた。これに対して、日本の沖縄関係諸団体から、ワシントンの極東委員会に代表をもつ十数ヵ国に陳情書がおくられ、アメリカ案から沖縄条項の削除を申し入れた。これに応じてくれたのがインド政府であったのである。サンフランシスコ会議直前の一九五一年八月二十五日、インド政府は、日本本土と共通の歴史的背景をもつ島々で、侵略によって日本が奪取したものではない地域には日本の全主権が恢復されるべきである、と主張し、信託統治案の撤回を迫った。全主権の恢復をアメリカは拒否した。インドは会議出席を拒否した。」

アイキャッチ画像はサンフランシスコ講和会議

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