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50にもなって上手くできないということは、まだ伸びしろもあると前向きに変換している50代

久しぶりに授業を行いました
授業と言っても、教員免許を持っていないので専門外の仕事です
人が足りなくて急遽やることになった数学の授業です
免許がなくても問題はない、塾のような授業なので
私のようなものがやっていたとしても問題はないのですが
毎回やるたびに自己嫌悪に押しつぶされています

今日も色々準備はしてきたつもりでしたが
結局、ただただ一方的に話すだけで終わってしまいました
そんな授業はつまらないと、散々他の先生たちに言ってきたことです
また、自分の学生時代を振り返っても、
そんな先生つまらないと言い切っていた
そのつまらない人になってしまっていました

教えるための指導を受けてきたことがない
という言い訳が通用する訳もなく、またやってしまったという後悔が
暫くの間自分を覆っていました
これは、授業に限らず人前で何かをするたびに、
襲ってくる後悔という魔物です
会議で発言した時も、先生や生徒と面談していた時も
ああ、もっといい言葉があったとか、
あのような言い方をなぜしたのか?など
自分から出ていったものを取り戻すことはできないのだから
しっかり準備して粗相のないようにと、分かっているはずなんですが
やっぱり、色々とやらかしてしまいます

それを職業としている先生という方たちは、本当に凄いと思います
職業だからと言ってしまえば、きっと現場の皆様からすると
きっと苦労も工夫も努力もあって、今の実力なんだとは思います
それを俄かで満足できるようになる、それがそもそもおかしいとも言えます
それも含めて、やはり毎回後悔という魔物が襲ってきます

自信がない、ごまかしている、逃げている
そんな自分の体裁は必ず相手に伝わっていますし
そのような心境を隠そうとすればするほど、
相手には明確なメッセージを発してしまいます

それでも、引き受けた以上は最後までやりますが
冷静にやるべきことを、確実にやれるようになるには
まだまだ自分は未熟のようです
50超えてもまったく成長していないということは
それだけ伸びしろもまだ残されていると考えようと努力している50代です

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