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雨宮さん

しばらく前からSNS疲れがひどくて、あんまり見なくなった。
毎日とめどなく流れてくるいろんな人の日常や主張や、何かの宣伝を眺めるのに疲れた。必要な情報、気になる話は自分から取りにいくだけで十分。予期せず聞こえてくるラジオよりお気に入りのCDだけを繰り返し聞くほうが、今は楽ちんな時期みたいだ。

それでも、誰かの言葉を探し続けてしまうワードの一つが「雨宮まみ」です。

雨宮まみさんが亡くなって半月ほど経つ。毎日雨宮さんのことを考えている。私は深い知り合いでも友人でもなくて、人を通じて一度だけお会いして言葉を交わした。それだけ。著作もすべてを読んではいない。長年の大ファンだったということでもない。だからこんな文章を書くのも本当は良くないと思う。私の知り合いには彼女と近しい間柄だった人も何人かいて、皆が思いを秘めている。自分のような遠い場所にいる者が何かいうのは失礼な気がする。でもずっと考えてしまう。

雨宮さんを紹介してくれた人から朝早くにメールをもらった。電話がほしいとあった。後でいいやと、返事もせずにスルーした。昼には電話はつながらず、何気なく見たニュースで雨宮さんの訃報を知った。たちの悪い悪戯かと思った。それは誤報ではなく、朝の連絡はこの件だったのかと思い至った。再び連絡が来るまでの数時間、本当に怖くて怖くて、もうその人にも二度と連絡がつかないような気がした。
こんなふうに突然なんの前触れもなく、誰かと途切れてしまうこと。その前までの関係が良好だったとかそうじゃなかったとか、そんな都合に一切お構いなくバッサリ断たれること。そういうことが時々起こるのを、私は知っている。知っていたのに、すっかり忘れていた。雨宮さんと直接交流がないと分かっている私にまできちんと連絡をくれようとするその人の配慮とか律義さに、心から感謝した。同時に、彼女と近い関係にいるその相手の状態も心配で仕方なくなった。すべてが恐ろしくてたまらなかった。居ても立っても居られないのにどうしたらいいのか分からず、呆然とした。

情報を得たくて開いたSNSは、それこそ入り乱れてぐちゃぐちゃだった。誰かの嘆きに続いて雨宮さんの著作の一部、独り歩きする勝手な憶測、ごく最近の本人の言葉が流れてきたり、もうめちゃくちゃだった。全部めちゃくちゃ。

「雨宮まみのいない世界をどう生きていけばいいの」とつぶやいている人がたくさんいた。本当にそうだと思った。雨宮まみのいない世界を生きていかないといけないのか、私も。

雨宮さんにお会いした時、私は失礼なことを言った。「AVを見る方法が分からなかった時に雨宮さんの著書でたくさん紹介されていて助けられた、本当にありがたかったです」というようなことを話した。あんな文章を書く人に。あんな、骨も血も心も削りながらページが真っ赤に染まってるみたいな文章を書いてる人に、私が伝えたいことはそれじゃなかった。雨宮さんはニコニコしていたけど、こんなことだけを言うのは失礼であると自覚しながら言った。ようやく会うことができた雨宮さんに、それまで抱いていた羨望とか嫉妬とか同士気分とか憧れとか悲しさとかのいろんな気持ちは、私だけがわかる卑怯さでもって、そんな言葉になった。彼女と彼女の書く言葉から、いつも目を背けたい気持ちがあって、見たくないのに見てしまう自分自身の奥底を認めたくなかった。初めて雨宮さんの文章を読んだ時はめんどくさいと思った。雨宮さんの文章はつらい。うまく正視できずに、読むたびにイライラした。「分かってるから言わないで」と毎回思った。私には彼女のような覚悟は微塵もなくて、もう私はとっくにここを通り過ぎてきてるんだからいいの、と思い込もうとした。

雨宮さんは私の文章を読んでくれたことがあると思う。お会いするより前のこと。私は自分が書かせてもらっているコラムで、雨宮さんが応援していたAV作品のことを批判的に書いたことがあった。彼女はその掲載の告知を広げてくれた。でもその行為が賛同なのか否定の意味なのか真意は分からず、私の稚拙な文をどう受け取られたのか気になっていた。その少し後に出版された本に、同じ作品についての雨宮さんの文章があり、私が書いた内容へのアンサーじゃないかと思われる部分を見つけた。実際は無関係で思い上がりかもしれないけど、きっとそうに違いないと勝手に考えて嬉しく受け止めていた。

雨宮さんみたいになりたかったわけじゃない。いや、なりたかったんだろうか? 少なくともそれぞれの苦しいこととか楽しいこととかをやり過ごしつつ、同じ空の下の離れた場所で、この先も一緒にこの世界を生きてくれる人だと思っていた。この人と一緒に50代になったり60代になったりするんだと思うだけで、絶対的に心強かった。もしかしたら私が受けている衝撃は雨宮さんそのものを離れているのかもしれない。40歳という早すぎる死や、たくさんの人の嘆き悲しみや、もの書きとしての、女性としての、人としての生き方や幸せのあり方や、もろもろのいろんなことを、私自身の状況や未来のことと重ね合わせての衝撃かもしれない。それなりに日々を過ごしながらも、考えてしまう。どうしてもどうしても考えてしまう。喪失感を持て余している。

雨宮さんとお会いした時、別れ際に彼女は「この後シン・ゴジラを見に行きたいの。絶対に見る!」とはしゃいでいた。

彼女の訃報から数日後、私は豊田道倫さんのライブに行った。それしか方法が残されてない気がした。まっすぐに立つ力、身の周りのことを続けていく力が欲しくて、そのために豊田さんの歌が必要だった。豊田さんは何曲かを演った後のMCで雨宮さんのことを話した。まだ彼女が学生だった頃の出会いから、最後のお別れに行ったことなどを、軽口を交えながら聞かせてくれた。そしてその話の後に一曲、歌を歌った。ゆるやかで静かで、雪の降り始めみたいな歌だった。
「全部受け入れるよ」と、豊田さんは歌っていた。


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