日々のこと 1011『A Day in the Aichi』
あいちトリエンナーレ・映像プログラム新作委嘱作、カンパニー松尾監督の『A Day In The Aichi』を見てきた。
不思議な映画だった。なんとも心地よい時間だった。4時間超(!)の長い映画なのだが、8時間でも大丈夫。ダレずに見られるのはすごいことだと思う。
上映は4回きり、見た人はせいぜい500~600人か。すでに上映は終了しており、コレを読んでもらっても見る機会は当分ない。
最初にいってしまうと、私はこの映画にいつのまにかチラリと出演してしまっており、客観視できないと思う。
それでも良かったら、このダラダラした感想文に少しお付き合いください。
愛知出身のカンパニー松尾監督が、ご自身の家族を含む「愛知の人々」への取材を通じて「あいちの検証」を重ねていくドキュメンタリー。インタビューに本人の心情を交え、そのつどの興味深いモノや人へとカメラを向けていく。
それだけの映画。ただそれだけの4時間。
本当に不思議な映画であった。カンパニー松尾を知らない、愛知を知らない人にはどう映るんだろうとずっと考えていた。あまりにもはっきりと「カンパニー松尾にしか撮れない、愛知のカンパニー松尾作品」だったから。
で、セックスは出てこないけど、きっちり「AV監督が撮った作品」でもあったと思う。
ファーストカットで、舐めてた飴を飲み込みそうになってしまった。この映画は松尾監督が家族で食卓を囲むシーンから始まる。普通なら何気ない日常風景のひとコマだ。だけど、カンパニー松尾って人は、AV監督なんである。つまり「じゃ、今から全部脱ぎますね」と言ってるようなもんなのだ。ハダカもセックスも他人に見せて平気なAV監督が見せないモノを、今から見ようとしている。「飴なめながら見てる場合じゃないぞ」と姿勢を正すしかなかった。これは全編、そんな映画なのだった。
いろいろな人がいろいろな言葉で語る「愛知の気質」は、長所も短所も、愛知県民から見て「だよね…」と納得するものばかりだった。
私にとっての「現在」であるこの場所を、さらに悩んでしまう。うっかり「愛知って結構イイとこじゃん」と思ってしまう。この街には良い人たちがいて、なんだかんだ幸せに暮らしている。
合間合間に「松尾監督はやさしい人だなあ」と思わざるを得ない場面がたくさんあった。演出か無意識か、両方かもしれない。
だけど、ひとりきりで生きていることを了解して、きちんと引き受けている人の話だった。周りには温かい家族がいたり仲間がいたり猫がいたりする。その中で、人は当たり前にひとりぼっちであり、ときどき誰かと時間を共有しながら、当たり前の日々を過ごしていく。
この映画の、というかカンパニー松尾作品の、そういう部分に私はもっとも共感する。同時に憧れる。
だって生活は続く。大して面白いわけでもない、平凡な出来事の積み重ねで私たちの毎日はできている。刺激的でブッ飛んだことはそうそうない。毎朝メダカに餌をやったり、仏前にご飯を供えたり、排水ホースを取り替えたり、電車の窓から外を見たり、野良猫に挨拶したり、アゲハ蝶が飛び立つのを見上げたり、淡々と小さなことを繰り返しながらかけがえのない日々は続き、そしてまた明日が来る。
何年前だろう、松尾監督に聞いて納得し、とても印象に残っている話がある。
「映画のワンカットと、AVのワンカットは違う。『オシッコを飲むのは嘘だろ』と思われないため、お茶とすり替えたと思われないためだけに俺たちはワンカットをやってきた」という話。
私は、AVの道を長らく走ってきた人に「映画みたいな映画」を求めていない。だから今回、とても嬉しかった。
「これはAVを続けてきた人が撮った映画だなあ」と感じる、奇跡の場面がたくさんあったから。さりげなく混ぜ込まれた、小っちゃな奇跡たち。
トリエンナーレ映像チームの皆さま、ありがとうございました。心よりお礼申し上げます。本当にお疲れ様でした。