見出し画像

日々のこと0625 『転校生』と手紙の話

昔テレビで見たきりだった大林宣彦監督の『転校生』を、映画館に見に行った。二度と会えない大事な人との別れと喪失のお話だった。
この原作、持っていたはず。帰宅して探した。児童小説「おれがあいつであいつがおれで」を久しぶりに引っ張り出した。思いのほか映画は原作に忠実で、読み耽ってしまった。

この本とその作家・山中恒を教えてくれたのは、小学校の時の担任のA先生。大学を出たばかり、ホヤホヤの男性教師で、当時まだ22~23歳だったんだろう。小3・小4と受け持ってもらった。
学校生活を振り返っても「先生」というものにあんまり思い入れがない中、印象深い先生だった。自分の好きなモノを次から次へと生徒に紹介し、変な授業も多かった。
「コカコーラは骨が溶ける」という通説の真偽を調べるため、ビーカーにコーラを入れて実験したのを覚えているが、結果を思い出せない。ダメじゃん。

はみ出した人、はみ出した作家が、先生は好きだったんだと思う。灰谷健次郎という作家が特にお気に入りで、影響されてずいぶん読んだ。たぶん全著作を読んでいる。障害のある子、ごみ処理場の町に住む子など「外れ者」の人たちが出てくる物語をたくさん書き、A先生と同じ関西出身・元教員の作家。今も私は大好き。

先生は、私たちの担任を2年間務めた後、地元関西の学校に転任していった。「そんなのやだ」と、終業式の日にクラスの皆が泣いた光景を覚えている。先生も泣いていた。
私はその日のことを小学校の卒業文集に書いた。6年間の小学校生活の中で、よほど印象深かったのだと思う。その日以来、先生のことは全く知らない。

あの面白い先生に、連絡してみたい、と急に思った。
名前をネット検索すると、学校関係の資料がヒットした。
実は、過去にも調べたことはあり、その時は「元気で教師を続けてるんだな」と、そのままにしてしまった。
今回は、あえて映画に背中を押されてみよう。
先生に手紙を書こうと思った。

A先生は、大阪の小学校で教頭になっているようだった。在籍中なのかはよく分からなかったが、その小学校あてに手紙を書いた。
封書でなく葉書にし、心当たりがなければ捨ててもらえるようにした。
自分がA先生の最初の教え子であること。先生が教えてくれたモノにたくさん影響を受けたこと。オバサンになった今も覚えているし、感謝していること。
返事はなくてよかったけれど、自分の連絡先を書いて投函した。
私は目立つ生徒ではなかった。先生は覚えてないだろう。だけど先生が初めて先生になり、2年間を過ごした街のこと、小学校のことは、きっと記憶に残していてくれる気がした。

1週間ほどして、電話がかかってきた。
「大阪市立〇〇小学校の教頭の、△△といいます。手紙が届きまして」と言われ、一瞬ピンとこなかった。えっ、あの小学校!?
「突然ヘンな手紙をお送りしてすみません!」と動揺しつつ、この人が教頭ということは、A先生はもう学校にいないのかな? と思った。
人の良さそうな教頭先生は「いえいえ。A先生は、確かに以前ここで教頭をしてはりました。私もよく存じてます」と穏やかに言ってくれた。続けて「申し上げにくいんですが、A先生は、昨年の終わりに亡くなられました」と言った。
絶句した。でもすぐに「ああ、もうずいぶん時間がたってますもんねー!」とかなんとか、無意味なことを口にしてヘラヘラする私に、教頭先生はいろんなことを教えてくれた。
数年前までA先生は確かにここにいたこと、がんを患ったこと、自分も彼をよく知っていること、とても熱心な教師だったこと、手紙はA先生の奥様に転送したいこと、などを丁寧に説明してくれた。

どうして大切な、シリアスなことを話している時、私は無意味に笑ってしまうのだろう。教頭先生の語るA先生の話を、最後までヘラヘラと聞いた。
電話を切ってから泣いた。

せめて半年、1年早く手紙を出していたらと思う。
だけど、A先生のことを、本当に久しぶりに、誰かと話した。
先生はどんな顔で笑い、どんな顔で怒る人だったか。そうだ、そうだった。いろいろ思い出した。教室の隅で小学生の私が見ていた風景を、いっぱい思い出した。
それで充分だと思う。




記事を気に入ってくださったら。どうぞよろしくお願いします。次の記事作成に活用します。