無題

豊田道倫@京都 外 2016.11.19

昨日、京都の豊田道倫さんのライブに行ったことを、忘れないように。

京都なら行けるかもしれないと思った。翌日も朝から仕事だったのでとても迷ったけれど、どうしても行きたかった。外、という名前のライブハウスは、地図を見たら京都駅からかなり遠いらしく、ますます迷ったけどどうしても行きたかった。頑張れば最終で帰れそうで、場合によっては途中で出るしかない。それでも行きたかった。今じゃないと、どうしても私はダメだった。

当日は仕事を終えて、夕方の新幹線に乗った。座った瞬間に眠ってしまい、到着5分前に起きた。なのにその新幹線の中でナンパされて、何かすごいなぁとビックリした。紅葉シーズン、久しぶりの京都はどこも見る時間はなくて、美味しいものを食べる暇もなくて、駅からそのままバスに乗ってライブハウスへ向かった。混み混みのバスは殺伐としていて、遠くで小さな男の子がぐずっていた。黙らせたいお母さんがとても苛立っていて、その親子に誰も席を譲らないバスの中の人たちに、私もイライラした。

豊田さんを初めて見たのは、そんなに前じゃない。私は豊田さんを知らなかった。2年前の夏、名古屋の小さなライブハウス、というか居酒屋の2階。10畳くらいの畳敷きのスペースで、初めて豊田道倫を見た。映像だけを見てCDも聴かずにライブに行ったのは、音源よりも直接そのまま体験したほうがいい気がしたから。でもその場所は本当に本当に狭いことを知っていたので、逃げ場がないのが不安だった。もしもやっぱり合わなくて、途中で帰りたくなってもきっと出られない。対峙するようなスペースで豊田さんを見るのは怖かった。なるべく後ろで見ようと思っていた。

実際、豊田さんを前にして、これは私には合わないと思った。声も、歌い方も、ぜんぜん好きじゃない。「ああ、やっぱり好きじゃないな」と思いながら聴いているうちにどんどん引き込まれていって、半分過ぎたあたりで「ここ、よく見えない!」と、席を前方に移動した。ギターを弾いていた豊田さんがこっちを見て、バチッと目が合った。絶対そらすもんかと思い、ぎゅっと見つめたら豊田さんは一瞬困ったような顔になって、ギターに視線を戻した。その後の曲で私はぼろぼろに泣き、ライブが終わって大急ぎで物販にあったCDを買った。以降、たくさん出ているCDを少しずつ買い集めたり、ライブに行ったりしている。

京都の外というライブハウスは空間現代という人たちがやっている場所で、京都駅からバスで30分もかかる終点だった。周りには何にもないのにずいぶんお洒落なところで、お客さんは立ち見も出る満員だった。

「誰かゲストを入れようって言ったんだよ。楽屋も寂しかったし、ワンマンはつらい」なんて言いながら、豊田さんはたくさん歌ってくれた。
私は3回泣き、ああ知らない場所で泣きたくないな、恥ずかしいと思いながら泣いた。豊田さんは男の人なのに、分かったような顔をしてそんなふうに女の人の気持ちを歌うのは本当にやめてほしい、なんで分かるの、やめてやめて、マイクを通して広めないで、と思いながら泣いた。

「俺は苦労したい、俺はロックしたい、46歳の夢」と叫ぶ豊田さんは、本当にカッコ悪かった。よくそんなことを恥ずかしげもなく叫べるなと思った。カッコつけるおじさんは、私はいっぱい知っている。誰だってみんなカッコつけて暮らすんだよ。そういうもんだよ。こんなにカッコ悪い人は知らないよ。私も必死でカッコつけて、誰にも何にもバレてないと思いながら暮らしてるんだよ。今時そんな宇宙船みたいな金ぴかのスニーカーを履いてる人も、他に知らないよ。金のスニーカーは腰かけた豊田さんの足が地面を踏むたびにライトが反射して、きらきら眩しかった。この人は光だ。でも上から照らす光じゃない。足元から、真っ暗な地面から、照らしてくれる光だと思った。私は光に包まれながら、その光はまたすぐ忘れてしまうかもしれないけど、毎日忘れてしまうけど、なるべく忘れないように暮らしていこう、絶対に暮らしていけると思った。

外のスタッフの人たちは親切で、方向音痴で要領の悪い私に帰り道を何度も教えてくれた。トイレの順番譲ってくれようとしたお兄さんありがとう。京都、またゆっくり行きたいな。そんで美味しいものも食べるんだ。

豊田さん、またね。私はとても助かりました。本当に本当に行って良かった。

そんな夜があったことの覚え書き。以上です。


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