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YouTube「毒親に死んでほしい」その気持ち分かるなあ


このYouTubeを見て、あまりにも自分の毒父と似ているなと思ったし、毒親が死なないと、自分の人生がスタートできない気持ちになってしまうんですよね。

親に愛されて育った人、普通に育ててもらった人には、非難したくなる気持ちなんだろうし、分かってもらえないのだろうけれど、世の中には毒親に酷い仕打ちを受けて、暴言/暴力/人格否定/ネグレクト/性などの虐待で、誰にも助けてもらえず何十年も苦しむ子どももいるんだよ。

毒親がまだ生きていても、毒親のことなんか忘れて自分の人生が幸せになるように歩めればいいんだけれどさ、それが出来たら苦労はしない。
「愛情の反対は無関心」とはいうんだけれど、そこまでなるには毒親が生きている限りは難しいと思う。
親が老いれば介護の問題もあるしね。

私は毒父と絶縁して7年経つけれど、毒父を思わない日は一日たりとも無いし、子どもの頃、大人になってからもされ続けた虐待のトラウマをフラッシュバックして、今もずっと苦しんでいます。

私は、前のnoteでも書いたけれど、自分の一生を掛けて毒父に復讐してやる!と誓っています。
それはシンプルに絶縁して介護を放棄して見殺しにすることなんだけれどね。
精神的にも、距離的にも、金銭的にも自立して距離を置いていますけれど、「毒親が憎い」って気持ちは変わりません。

「親に死んでほしい」って願ってもいいと思う。
「毒親のことは忘れて幸せになりましょう」なんて綺麗事ですよ。
毒親は老いぼれてよぼよぼになっても、死ぬまでその口から毒を吐き続けますからね。
近寄っちゃだめ。

子どもの親の扶養義務って身体介護じゃないんですよ。
自分の生活に余力があれば金銭的援助をしましょう、というゆるい扶助義務です。
介護認定受けさせて、福祉に繋げば後はOK。
老人介護施設の費用も子どもが出す必要はありません。
老後のことは全部親のお金でやってもらいましょう。
市役所から扶助要請の書類が来ても、理由を書いてNo.と投函して終わりです。

毒親のことは、憎んで憎んで怒りをしっかり吐き出せば、そのうち毒親の事なんてどうだって良い存在になります。
あとは、時間薬が解決するかな。
私の毒母の時がそうでした。
結婚/出産/子育て/仕事で、自分が生きるのに必死だと、毒親の事なんてどうでもよくなります。

でもさ、毒親は長生きするよ。
ほんとしぶとい。
憎まれっ子世に憚る。
毒親が死ぬまで自分の人生止めてたら、やっと死んでくれた頃には自分も高齢者で年金がもらえる齢になっています。
この世の中は苦しくて理不尽な事ばかりだけど、若くて身体が動くうちに、少しでも自分の生き甲斐見つけた方が良いんじゃないかな、と私は思うよ。



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