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#105公園が生まれた。

まだ子どもだった頃、わたしにとって公園は身近な存在でした。家の外にある安全な場所であり、友だちと遊べる場所であり、野良猫をさわれる場所でした。成長するにつれて次第に足を運ぶことは少なくなりましたが、結婚し子どもが生まれてからは、またあらたな気持ちで公園に向かい、子どもたちと寛ぐ時間を過ごしてきました。

子どもたちが大人になってしまった今、わたしにとって公園はずいぶん遠い存在になりました。そこへ行っても、自分がどうやって時間を過ごそうかと悩んでしまいそう。桜を見たり、紅葉を楽しんだり、公園のそばにある滝をながめたり。なにかしら目的がなければ、居心地が悪く感じる場所になってしまいました(これが外国のように、街の景観に自然と溶け込んでいて、子どもも老人も当たり前に和んでいる公園だったなら、わたしもベンチに一人座って読書を楽しんだりもできるでしょうけど)。

わたしの日々の散歩コースのそばに、この春、大きな公園が完成しました。二年以上かけて整備工事が行われたそうです。広々とした公園は、周辺の土地よりも一段階下にあって(ビルの5階分くらい下かな)周りが斜面になっています。

「あら、ようやく公園が完成したんだ」

広い公園をぐるりと一周できる陸上用のコースがあったり、何十メートルもある大きな滑り台があったり、小さな子どものための遊具も設置されていたり、水遊び用の小さな川まで…。わたしが目を奪われたのはカラフルなバスケットコートです。スラムダングな雰囲気が、ムンムンと漂っています。

その、あまりに美しく作り上げられた公園を見た時、わたしには、

「こんなに人工的な公園、ちっとも雰囲気よくないじゃない」

という冷めた感想しか抱けませんでした。自分のよく知っている、子どもに身近な、あったかい感じのする公園とは全くちがっていたからです。公園なのに展示されている作り物みたい。この先、新しく作られるものは、こんな風にカタチだけキラキラしたものに変わっていくのだろうか。人の温もりが感じらるような場所や建物はどんどん少なくなっていくのだろうか。

散歩してうっすらと額に汗をかき、スッキリした身体とは反対に、わたしの心は少し重たくなった気がしました。

それから数日後の週末のことです。

「ちょっと歩きに出かけてくるよ」

午後になって退屈をもてあましたわたしは、いつもの散歩に出かけました。音楽を聴きながらテクテク歩き、ほどよく疲れた頃、公園のそばにやってきました。

「あれ」

びっくりしました。新しい公園に人が溢れていたのです。小さな子どもから大人まで。芝生の上には三つほどテントが張られています。子ども連れの家族が、日陰を作ってのんびり過ごしているのでしょう。周囲の斜面にかけのぼっていく子どもたちがいます。段ボールか何かをおしりに敷いて、滑り降りているようです。

そして、あのバスケットコートの中には…なんだこりゃ、と思うほどの若者たちの姿が…。順番にならんでシュート練習する子たちもいれば、ドリブルする子、ガードする子、まさにスラムダンクではないですか。

「あんたたち、漫画読んだでしょ?読んだよね?」

わたしは見ず知らずの若者たちに心の中で一人ずつ、問いかけたいくらいの気持ちでした(ちなみにわたしは今、17巻を読んでいるところです)。

「すごいなあ。公園が生まれたんだなあ」

わたしの予想を見事に裏切り、新しい公園は地域の人たちの憩いの場所になりつつあります。公園は生身の人間がその場を動き回ることによって、生きた公園になっていくんだという、当たり前のような、でも新鮮な発見をした気分でした。涼しくなったらわたしも公園のベンチに、ちょこんと座りに出かけてみようかな。




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