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拳法無頼ジンノー「絶殺の拳士と不死の姫君 の5」

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「腰が痛い? そりゃ痛いだろうよ腰がくの字に曲がっておるのだから。一体全体、どうなっとるんだそれは?そうなったら儂でもまともに歩けんぞ……。ああ、わかったわかった! シャオファ! この婆さんを寝かせろ! ――どこまでやれるかわからんがあの腰、逆にひん曲げるぞ」

「それでおまえは腹か? 昨日は何を食った? 何? 弟の快気祝い……ああ昨日怪我人の兄貴か貴様。それで酒を――それだけ飲めば腹も下すわ馬鹿者が! ゴラルド、この家の裏には草が生えておるな? 青い花の咲く背の低いやつだ。あれを取ってきてこやつの口に詰め込んでやれ! 腹いっぱいな!」

「何? 稼ぎが少なく女房に逃げられて……それで……ええい、知るかそんなこと! 貴様の甲斐性の話など!」

 などと紆余曲折を経て、午前は全て診察(と、いくらかの人生相談じみた何か)で終わってしまった。ゴラルドの屋敷を簡易の診察所として医者の代わりにジンノーが治癒術や鍼、長旅を経て得た実用的な薬草学の知識、あるいは拳法の応用による整体などで対応をした。
 シャオファといえばゴラルドとともにジンノーの手伝いをすることとなり、ジンノーの言いつけに従って患者を寝かせたり道具を揃えたりした。手伝いの中で変わったことといえば、患者の容体とそれに応じた対処を紙に書かされたことだろうか。

「たしかに私は字は書けますが……記録は必要なのですか?」

 村の中では字の読み書きができる人間は少なく、記録をとったところでそれを読む術もない。にもかかわらずジンノーはシャオファに記録を取ることを命じた。その理由といえば、

「別に儂はいらんのだが、こやつらには必要であろうよ。応急の怪我の治療ならばいざしらず、病の治療については記録をとっておかねばまた別の場所で医者にかかったときに不都合が出る場合もあろう」

 別の医師が処方する薬や、取り行う治療法によってはジンノーが処置したものとの組み合わせが悪いものも中にはある。たとえ治療を受けた村人当人にはわからずとも、記録をとっておかねば後で余計に体を悪くすることもありうるというわけだ。

「ではこれは私がお預かりしましょう。ジンノー様、シャオファ殿、ご苦労様でした」

 半日かけてまとめた村人の治療記録の束をゴラルドに預けたあと、診察を終えたジンノーは屋敷の外へ出た。

「……面倒極まりない話であるが、ここまでやったからには最後までやらんと儂も気が済まん。少し出てくる故、おまえは村人の助けでもしてやれ」
 
 そう言ってジンノーは幾人かの村の男を連れて、村の近くの森に入っていった。簡単な毒消しや傷薬などに使える野草を教えるためだ。
 それは山野に近き場所に住む村人たちであれば本来ならば当たり前にわかっているはずの知識ではあったが、長引いた魔族との戦乱は古老からの知識の継承も妨げており、ジンノーが教えることの中には彼らが知らないことも数多くあった。主戦場から遠く離れた辺境の地であっても、戦の災禍は目に見えぬところにも残っていたのだ。
 若者が徴兵され出兵している間に老人が亡くなったり、あるいは子供に知識を授けようかという歳の男が戦地で帰らぬ人となる。そんな例は大陸のそこかしこにある。仮に五体満足で生き残ったとしても、荒廃した山野での暮らしを捨て都会に生活の術を求める者もまた多い。こうした積み重ねが知識や技術を衰退させてしまうのだろう。
 ジンノーは自身の持つ知識を簡潔にではあるが彼らに伝え、生活の基盤の支えにしようとした。そうなれば医者がおらずともある程度の怪我や病には対応できるだろうというわけだ。

 ……それとは別にこれはまったくの余談ではあるのだが、ジンノーが教えた薬草の中には街で売ればそれなりの値段になるものもあり。それを集めることを副業とできたある男が、家を出た妻と復縁を果たすこととなるのはまた別の話である。

「ふむ……思ったよりもよく採れたものだな」

 数時間後。野草を摘んだ籠を肩に担いで、ジンノーと男たちは村に戻ってきた。
 ジンノーに同行していた若い男は、籠を覗き込んで目を見張らせた。

「村の近くに使える薬草がこれほどあるとは、私たちも知りませんでした」

「煎じるものや乾燥させるもの、新鮮なまま服用するものとあるが。それらの使い方もまたまとめてゴラルドに渡しておく。まったくの簡易ではあるが医術書の代わりにもなろう。他、使わぬ薬草は街で売って金にかえることもできよう。万事ゴラルドに細かく相談し良きようにはからえ」

「そこまで考えていただけるとは、なんとお礼を言っていいか……」

「ふん、やめろやめろ! 相応の謝礼は村長であるゴラルドよりせしめてやるつもりだ! 貴様らの礼などいらんわ」

 ぶっきらぼうに言い放つジンノーであるが、それを聞いていたシャオファは密かに笑んだ。なんのかんのと文句を言いながらも、シャオファや村人など助けを求める者が居ればそれに応じてしまうジンノーを快く思ったからだ。
 つまりは『義侠心』。真の男だけが持つ、強きを挫き弱きを助ける精神だ。戦乱のあとの荒廃した大陸の大地にあっては、それを持ち合わせる者も今や少ない。昨日見たジャッカル――獣と同じだ。人は己のことだけで精一杯であり、他者を助けて生きることなどできようはずもない。

 だがジンノーはあえてその困難な生き方をしている。本人はそんなことをしているつもりはないと言い張るだろうが、結果として彼が人を助けていることはまぎれもない事実だ。
 人によってはそうした生き方を損だ愚かだと言うかもしれないが、シャオファはむしろそれを好ましく感じのだった。

「おかえりなさいませジンノー様。お疲れさまでございます」

 森に同行した村人たちと別れ、籠を下ろした肩を気だるげに回すジンノーにシャオファは労いの言葉をかけた。

「まったくだ! 彼奴らめ、あれも知らぬこれも知らぬとほざきおって! おかげでこちらは一から十まで説明する羽目よ! 村の古老どもはいったい何を教えておったのか!」

「ジンノー様のお勤めの細やかさには、私も頭が下がる思いですよ」

 愚痴をこぼすジンノーをシャオファは苦笑しながらなだめた。

「そういうおまえは何をしていた?」

「私ですか? 私は――これです」

 そう言ってシャオファが見せたのは、編み針と毛糸の束だった。

「編み物か。それは……ふむ、子供の靴下か?」

 シャオファの手元には長い袋状に編まれた毛糸が二つある。大人が使うものだとするにはやや小さく、子供のものであることがわかった。

「私がお願いしたのです、僧士様」

 言いながら現れたのは、大きなお腹を抱えた身重の若い女である。

「ノオラさん! あなたは動かずにゆっくりしていてくださいませ!」

 慌ててシャオファは現れた女……ノオラを制止する。
 シャオファが森から帰ってきたジンノーを迎えたのは村の一角、小さな民家の軒下であり。ノオラはこの家の者であった。自分が森に行っている間は村人の手助けでもしていろとジンノーから申し付けられたシャオファは、村の中で手助けを必要としている人間を探し、臨月も間際に迫った身重の女であるノオラのもとへ辿りついた。
 今日か明日かにも産まれる子供の衣服を用意しなければ彼女のため、編み物を買ってでていたというわけである。

「大丈夫ですよシャオファさん、少し気分もよくなりましたから」

 そうは言うもののノオラの顔色は優れない。その理由は出産も近づき緊張か、あるいは腹の中の子の影響による体調の変化からかか。いずれにせよ、シャオファが慌てるのも無理からぬことである。
 ジンノーも頷き、彼を出迎えようとしたノオラを手で制止した。

「身重の体であるならば、シャオファの言うとおり大人しくしているがよい」

「はい。お言葉に甘えてそうしたいとは思うのですが、まずは夫のことでジンノー様に御礼を申さねば寝てもいられません」

 ジンノーは頭をかいた。

「おまえもか! まったく狭い村よな! 石を投げれば顔見知りに当たるわ!」

 若い女の夫と言えば思い当たる。おそらくは昨日治療をした男の一人がノオラの夫なのだろう。

「どいつもこいつも何度も言わせるな! 儂は乞われた仕事をしたまでのことよ。いちいち礼など言われては面倒極まる!」

 それよりも、と彼女に向き直り。

「どうせ礼を言うならば自分の体調でも診させてからにするがよかろう」

 そう言ってジンノーはノオラの腕をとり、手首に指を当てて脈を計る。数秒、押し黙り脈に集中するが、すぐに眉間にしわを寄せた。

「少し脈が弱いな。今何か体調に異変はあるか?」

「はい、数か月前に妊娠していることがわかって以来ずっと熱がありまして……。歩くこともできない高熱、というようなことではないのですが、微熱が続きまして少々参っております」

「何? 熱だと? 妊娠してからの慢性的なものか? ふうむ、熱か……熱とな……」

 ジンノーの反応はシャオファにとって少し意外であった。たしかにノオラの体調は優れないようであるし、たとえわずかな体調の異変であっても妊婦の身体にとっては重大事であろうため、ジンノーが気にするのもおかしい話ではない。
 しかし、それだけであのジンノーがこうも困惑するであろうか?
 熱がある、と聞いたジンノーは眉間のしわを深め、何かを深く考え込んだ。まるでそれが大きな変調の前触れであることを悟ったかのように……。

「儂が見たところノオラよ。もしやおまえは魔術師か?」

 ちらり、とノオラの家を見やってジンノーは問う。窓から覗く家の中には魔術師が扱う魔法薬の小瓶などが並んでいるし、そもそも軒下には魔術師の杖を模した紋章の看板が下がっている。彼女の家が魔術師の家であることは明らかだ。
 魔術師はその腕前の差異はあれど、どこの街や村にでも一人はいるものだ。魔物除けの結界を街に張ったり、あるいは逆に魔物が街に侵入した時に魔術で攻撃をするなどその存在は欠かせない。ある意味では医者や僧侶などよりも重要な存在である。

 この家に一緒に住んでいるであろう夫ではなく彼女のほうが魔術師であると看破したのは、ジンノーの類稀なる洞察力によるものか。優れた僧士はその気配だけで相手が何者であるかを見抜くという。ジンノーも無論、それが可能だ。
 問われたノオラも、わずかに面食らった表情を見せながらも頷いた。

「はい、たしかに私は魔術師です。さほど魔力は強くありませんが」

「得意とする属性は? 風か? 土か?」

「水です」

「……水か」

 聞いたジンノーの表情はますますと険しくなる。さすがに見かねてシャオファは横から問う。

「あの、ジンノー様。差し出がましいことを申しますが、ノオラさんの体調が気がかりなのでしたら治して差し上げたらいかがでしょうか? 鍼が必要とあれば、私が取って参ります」

「いや、それには及ばん。このノオラの――妊婦の身体は、儂の鍼では治療はできん」 

 ジンノーはゆっくりと頭を振って否定する。

「儂の鍼は使う相手の身体の血流や神経の働きを健常な状態へと調整するためのものであるが……それが腹の中の子にどのような影響を及ぼすのかはいくら儂でも予測がつかん」

 母であるノオラとその腹の中の子はつながっている。そのノオラの身体を調整した場合、子供に影響が及ぶことは必至である。それをジンノーは危惧したのだ。

「薬草の類も同様だ。今日採ってきた薬草の中には熱に効くものも無論あるが……その薬効にははっきりと胎児にとっては害悪となるものもある。とてもではないが妊婦には飲ませられん」

 そして、そもそも、と前置きし。

「その身の中に別の命を宿すのであれば、体調の変化は避けられるものでもないということか。――診察を買って出ておいてなんの力になれぬというのは情けない話ではあるが、今は安静にして養生しておれとしか言えぬ。……すまん」

「いえ、そんな、ジンノー様には夫の命を救ってくださったというのに、その上私の身まで案じていただいては返す言葉もありません」

 神妙な顔つきで頭を下げるジンノーに、ノオラは恐縮する。
 やはりジンノーの様子は少しおかしい、とシャオファは思った。その言葉や態度はどうであれ、いざ事に及べば真摯な姿勢で傷病者に向き合う人物ではあるとわかってはいたが、それにしてもこのノオラに対してはやけに真剣だ。
 単に妊婦に対しては細心の気配りをしているだけ……というだけであればいいのだが、ジンノーの態度からはどこか隠し切れない『虞(おそれ)』というものを感じる。

 ノオラにはもう家の中で休むよううながし、ジンノーはその場を離れる。編み物も一段落していたシャオファも、ノオラに別れを告げてジンノーの後を追った。
 とりあえずの宿としているゴラルドの屋敷に向かう途中でも、ジンノーの表情は優れないままだった。
 その横顔を見つめて、シャオファはおずおずと問う。

「……ジンノー様、よろしいですか?」

「何だ」

「これは私の思い違いでなければなのですが――もしやジンノー様はノオラさんの不調になんらかの危惧があるのでしょうか?」

 ジンノーの態度から見て、そうとしか思えない。妊婦であるノオラの不調には鍼や薬草では手が打てないのはわかったが、しかし妊婦の身体に不調があるのは当たり前ということであればジンノーがここまで思い悩む必要もないはずである。

「……」
 問われたジンノーは押し黙り、答える気配はない。その沈黙は、危惧をシャオファに看破されたことを不快に思ったというよりは、むしろ危惧の内容を口にするのを憚っているようにも見える。
 危惧を口にすることでそれが実現してしまうことを恐れているように……。
 心配の瞳を向けるシャオファに、ジンノーはハァと深く息をつく。

「――危惧はある。妊娠がわかってから続く慢性的な熱と、あやつが水の属性を得手とする魔術師であるということ、この二つにはイヤな符号があるのだ」

 シャオファはわずかに息をのむ。このジンノーをして、ここまでの危惧を抱かせるノオラの不調の原因とは……?
 眉を寄せ、心中に渦巻く悪い予感を睨み退散させるかのようにジンノーは宙を仰ぐ。

「儂の杞憂であればそれでよいのだがな……」

 そう言って見上げた大空には、不吉にも暗い曇天の気配が漂いつつあった。

  ●

「ジンノー殿、率直にうかがいたいのですが……この村の暮らし向き、いかが思われますか?」

 時刻は日も落ちた夕刻。ランプを灯した夕食の席を囲んでゴラルドはジンノーに問うた。
 問われたジンノーは方眉を吊り上げ、ゴラルドを見て答えた。

「良くはないな」

 夕食として供されたのは豆のスープ、固い黒麦のパン、酢漬けの野菜などそういった粗末というほどでもないが、けして豊かとは言い難い料理だ。
 一応、村の客人であるジンノーとシャオファにはさらに一品、ジンノーには茹でた山鳥とシャオファには山羊のチーズが添えられていた。二人は不要と固辞したが村人たちの謝意は厚く、どうしてもと言われたので遠慮なく頂くことにした。
 だがそれでもその程度だ。山村の暮らしとしては標準的ではあるが、やはり寂しいものがあることは否定できない。

「やはりそう思われますか」

 ゴラルドにしても、ジンノーの簡潔な答えは予想の通りであったのだろう。残念そうにしながらも、否定することなくうなずいた。

「大戦のあと大陸諸国を周る際、ここと同程度の規模の村はいくつか見てきたが、ここよりは多少はマシであったな。――申しておくが、貴様をはじめ村人どもの働きぶりには問題はないぞ。まあ多少図々しいきらいはあるが、皆真面目によく働いておる」

 山鳥の手羽先にかぶりつき、痩せた肉を骨ごと豪快にバリバリと噛み砕く。質の良いものではないが、これも村人が心ばかりの礼として捧げたものだ。文句などない。

「そのうえ土地も豊かではないが、痩せておるということもない。山野の草花もよく育っておった。気候も良いのであろう。農作や牧畜をするにさほど不自由はあるまい」

 であれば何が問題かといえば。

「この村の本来の生業が立ち行かなくなったのであるな?」
「……ご推察の通りにございます」

 ジンノーの推察に、ゴラルドは頭を下げた。
 山村、と一口に言ってもその土地にあった生業というものがある。たとえばそれは穀物を育てる畑を作ることであるか、牛や豚などを飼う牧草地を作ることであるか。あるいは林業であるとか、鉱山の採掘であるとか種類は様々である。
 今までジンノーが巡り歩いてきた村々にもそうした固有の生業というものはあった。それがあれば、たとえ日々の生活が貧しくともある種の『ゆとり』というものが生まれるものだ。
 この麦の収穫ができれば、この牛を出荷できれば、この木を伐り出せれば、この鉱脈を掘り当てれば……そうした希望があればこそ、貧しい日々の暮らしにも耐えることができるし、実際に生業の成果が実を結べば生活が楽になる瞬間が来ることもある。

 だがこの村にはそれがない。

 スープの中の豆をジンノーはすくい、食べた。この豆は大陸のどこでも栽培されているごくごく当たり前の種の豆である。一年の大半を通して生育でき、収穫もできるため多くの村や町では主食の一つとなっている。その味はお世辞にも美味であるとは言いがたいが、食べなれればどうということもない。だが、

「作り慣れておらぬな。この味は」

 この村で出された豆は生育も悪く、味も食感も悪い。土地が悪いというわけではないので、おそらくは栽培した人間の腕が悪いということだろう。当たり前に栽培し、食されている豆であるにもかかわらず、だ。

「……ラグバルは真面目な男なのですが、それゆえに作物に手を入れすぎてかえって駄目にしてしまうことが多いのです」

 ラグバル、というのはこの豆を育てた農夫の名前だろう。

「荒地でも放っておけばそれなりに育つのがこの豆の良いところであるからな。その真面目な男、元は何をしておった?」
「果樹の――リンゴの栽培です」
「ほう、良い仕事ではないか」

 ジンノーは素直に感心する。リンゴはこの大陸でも広く栽培され、親しまれている果物である。そのまま食べるのはもちろんこと、菓子や酒の材料にされることもあるし大戦中は乾燥食糧として加工されて戦地では貴重な栄養源として重宝された。その質には上下の差はあるが、おおむね安定した価格で取引されており生業としては手堅いものだろう。
 林檎の栽培や収穫、出荷には多くの手が必要なものであり。おそらくこの村をあげてそれに関わっていたのだろう。あるいは直接リンゴには関わらずとも、その農家と取引することで生計を立てていたものも少なくないはずだ。
 もしそのリンゴ農家が立ち行かなくなれば、村が衰退していくのもわからない話ではない。

「原因はやはり『大戦』か」

「はい……ラグバルの父は大戦末期に徴兵され、そのまま帰らぬ者になりまして。まだ年若いラグバル一人ではリンゴの樹の満足な管理もままならず、果樹農園は次第に荒れていった次第であります。そうなると村の金回りも滞りまして、村を離れる者も増えさらに村は寂れていく一方というわけです」

 ゴラルドの答えを聞き、ジンノーは険しい顔で顎をさする。

「どこもかしこも、であるな。あの大戦の終わりから9年も経つが、やはりまだその影響は大きいか」
「おっしゃるとおりで。それでまた、この件につきましても何かジンノー様からお知恵を拝借できぬかと……」

 心底困り果てた様子でゴラルドは言うが、そう言われたジンノーのほうも困ったように眉を寄せる。

「無茶を言うな。さすがに果樹の手入れのことなどは儂とて専門外だ。大陸を歩いて多少は見聞きしたこともあるが、知識の程度はそこいらの農夫とそう変わらん。教えられることなど何もないぞ」

「そう、でございますね……。いや、これは失礼いたしました」

 ゴラルドは頭を下げた。ふう、とため息をついて視線を落とす。

「ご領主様が助けてくださればよいのですが……」
「――」

 領主。その言葉を聞いてジンノーの目が細められる。シャオファもまたジンノーに目配せする。ゴラルドには話してはいないが、シャオファはその領主に狙われているのだ。
 しかし二人この地――ラギガ県の領主のことは知らず。どのような人物であるのか、何故シャオファの身を欲するのかを探らねばならない。
 ジンノーは顎を一撫でし、自然を装ってゴラルドに問うた。

「その……領主か。村を助けてはくれぬものなのか? 果樹園の立て直しとあれば多少の金はかかろうが、上手くいけばその分税収も増えよう。ならば領主にとっては悪い勘定ではないはずだが?」

 問われたゴラルドは、肩を落として答える。

「……今のご領主様はあまりそうしたことに興味を持たれぬお方でして、近年になりまして何度か嘆願を出したのですが何の応えもなく。私どもも困り果てている次第でして」

「ふむ。……とはいえ毎年に税の取り立ては来るのであろう? この村の金回りが悪いのであれば必然税の実入りも減るはず。さすれば形はどうであれ領主としては税を増やす算段を行うのが道理ではないか?」

「近年は……税を払っておりません」

「何?」

 ジンノーは驚き、目を見開いた。シャオファの身をつけねらう悪辣な手口から、てっきりこの地の領主は悪徳の者であり、領民に厳しい税を強いているのかと思えばどうやらそうではないらしい。

「ば、馬鹿を申すな! 領民から税を取りたてぬ領主がどこにおる! 税が安かろうが高かろうが、領地を経営するのであれば税の徴収は来るものであろう!」

 ジンノーはそう声を荒げるが、ゴラルドにしても不条理を強く感じる事柄なのだろう。やはり声を大にして言い返す。

「ですから! 私どもも困惑しているのです! 税の取り立てが来るものであれば領主様に村の立て直しを訴えることもできますが、ここ一、二年ほどは全く何の沙汰もないのです! もはやこの村など忘れ去られてしまったかのようで……!」

「む、むう」

 ゴラルドの剣幕に押され、ジンノーも思わず唸る。話を聞いていたシャオファもひどく困惑していた。何かがおかしい、とそう感じている。
 思わずして言い争う形となり、シンと静まりかえったゴラルドの屋敷であったが。まさにその時、

 ――ドンドンドン! と強く戸を叩く音がした。そして外からは「ゴラルドさん!」とゴラルドを呼ぶ声が聞こえた。

「……こんな時間に村の者が誰か来たようで。私は少し出てまいります」

 どこか居心地の悪いものを残しながら、ゴラルドは席を立ち玄関へと向かった。
 食堂に二人きりで居残る形となったジンノーとシャオファであったが、かえってこれは二人で話すチャンスとなった。

「どういうことなのでしょう? 私の身の、このおぞましき呪法を狙っているということですから、この地の領主様は悪政の者であるかと思ったのですが。大戦の戦禍に窮状を得た村の税を免除しているというのであれば、もしや領主様は良い方なのでしょうか?」

「……いや、そうではない。むしろ逆だ。こいつは悪政の領主よりなお始末が悪いぞ」

 ジンノーは深刻にそう呟く。

「何故ですか? 生業を失い困窮した村に高税を強いるのであれば悪政の者でありましょうが、税を免じているというのであれば徳政の者ではありませんか。それを悪政の者よりなお悪いというのはおかしいでしょう?」

 シャオファはそう素直な見方をしてみせるが、ジンノーに言わせればそうではない。

「……領民から税を取るのは領主の『権利』であり、そして『義務』でもある。なんとなれば、税を取らねば領地の経営というのはままならぬものであり、領地の経営が危うくなれば結局最後に割を食うのは領民だ。税を免じることは本来悪手なのだ」

 たとえば領主の仕事の一環として、兵を動かして領地の中の魔物を駆逐するというものがある。領地の中に魔物が蔓延ればその地の領民が危機に陥る。しかしその魔物を狩るのに兵を動かすには、領民から徴収した税が必要となってくる。結局のところ、領民は自らが支払った税で自らを助けているともいえるわけだ。

「思えば田舎道とはいえ街道にああもやすやすとジャッカルがごとき下級の魔物がうろついているとは奇妙なことであった。警戒心の強いジャッカルであれば、まめに街道の『掃除』をしておればそうは現れるものではないはずなのだが……」

 つまり近年――ゴラルドが言うにはここ一、二年ほどは兵士による魔物退治は行われていないということになる。当然だ、兵を動かすための税を徴収していないのだから。

「おそらくこの地の領主、民を憐れんで税を免じておるのではない。――単純に、領地の経営を放棄しておるのだ。こいつは悪政を敷くよりもなお悪いと言わざるをえん」

「で、ですが私を捕えるために動いていた兵たちは居ました! 彼らはたしかに領主の命で私の身柄を得ようとしていると言っていましたが、この地の領主が政を放棄したというのであれば彼らは領主に従う理由はないはずです!」

「うむ。それよ、問題は」
 シャオファの指摘にジンノーは頷く。

「税の取り立てすら放棄したにも関わらず兵を動かせるというのであれば、それは領主自身が身銭を切って兵を私兵として雇っているということになる。……こいつはどうにもチグハグだな」

 領主が何か悪事を為すというのであれば、領主としての権限を最大限に使い、領民から高い税を取って、その税を元にして自らの私兵を使うだろう。それが人間として……悪い意味で、当たり前の考え方だ。
 だが領主は高税を取るどころか税収を放棄し、自らの財にまるで頓着することなく兵を使っている。考え方が当たり前の人間のものではない。

「……私にはまるでわかりません。単にこれっぽっちもお金に興味がないだけでしょうか? それとも精神が錯乱してしまっているんでしょうか?」 

 意味不明な領主の行動に何かそら恐ろしいものを感じ、寒気を抑えるようにシャオファは自らの肩を抱いた。

「――あるいは当たり前の人間とはまったくかけ離れたモノになれ果てたか、だな」

「えっ!?」

 ポツリ、と漏らしたジンノーの声にシャオファは驚く。しかしジンノーはそれにはとりあわず話をまとめた。

「いずれにせよ、こんな地など早々に離れるに限るな。この村の者どもにとってはしばらく災難は続くであろうが……なに、こんなこと異常な事態などそう長続きはすまい。早晩にも国の中央から不審を持たれ、領主の問題は取りざたされるであろうよ。そうなれば全て解決することだ」

「なるべく早くそうなればいいのですが……」

 時間が経てば解決するとは言われても、親しみを持った村の人々が苦しんだままだというのは心辛い。シャオファ自らの身のこともあるため、居残って力になってやることもできない。
 そう、沈痛に顔を伏せるシャオファであるが。ジンノーはむしろ気楽げにポリポリと頬をかいた。

「まあ……心配はいらんだろう。儂がすぐに話をつけてやるゆえな」
「? それはどういう――」

 何か奇妙なことを言いかけたジンノーにシャオファは疑問の声をあげたが、それは途中で遮られた。

「ジンノー様! よろしいか!」

 夜分に訪ねてきたらしい村人を出迎えに行ったゴラルドが血相を変えて食堂にかけこんできた。

「な、なんだいきなり! ――む? おまえは……」

 ゴラルドのあまりの血相にジンノーも驚くが、ゴラルドの後ろについてきた人物に眉をひそめた。

「ジンノー様、是非お助け願いたいんだがよ!」

 言ってきたのは村人の一人とおぼしき老婆であった。いや、この老婆をジンノーとシャオファは知っている。

「あ、腰を曲げられた……」

 早朝、ジンノーに体を診てもらうこと望んできた村人の一人だ。腰がひどく曲がっていて、そのせいで身体が痛いと訴えてきた老婆である。ジンノーは鍼や治癒術を使い苦心して彼女の身体を癒した。そのおかげか曲がっていた腰もピンと伸びて、よりいっそうカクシャクとした気配を見せていた。

「その節はジンノー様も、お嬢さんもありがとうございますよ! おかげでこうしてゴラルド殿の家まで駆けてこられて――ああ、こんなことを言っている場合じゃないよ! ジンノー様、早く来ておくれ!」

「ええい、うるさい婆だな。一体何があった?」

 ジンノーは立ち上がり、老婆の元へ歩み寄る。

「うん、それがだね――あっ!」

 事情を言いかけ、ハタと気づいたように老婆はシャオファを見た。
 何か、シャオファに聞かせてはまずい事柄であるかのように。

「……どうしたというのだ」

 無論ジンノーも老婆の様子に気づいた。シャオファを一瞥し、老婆の顔に耳を寄せる。シャオファに事の顛末を聞かせぬためだ。
 老婆は手で口元を遮り、つとめて声を殺してジンノーに事情を囁いた。

「――。――――」

 そう長い言葉ではない。ほんの二、三の言葉であったが……それを聞いたジンノーの顔はこれ以上なく引き締まった。
 ……その、凶相にも近い厳しい顔つきはまるで不倶戴天の敵にでも遭ったかのようである。

「わかった。すぐに向かおう」

 ジンノーの答えは簡潔であった。いつもならば無頼らしい憎まれ口の一つも言うだろうが、この時ばかりはそんな暇も無いという風情である。

「あの、ジンノー様、何が……」

 一人だけ事情を呑み込めぬシャオファはそう問うが、ジンノーはピシャリと答える。

「ただの急患だ。おまえの気にするところではない」
「急患? ならば何か私もお手伝いを……!」

 シャオファは立ち上がり腰を浮かせかけるが、ジンノーは怒気すら含んだ強い瞳でカっと口を開く。

「いらん! おまえはもう休んでおれ! よいな!?」

 厳しい言葉で言い置き、ジンノーは鍼の入ったズタ袋を引っつかんで駆けだす。老婆も慌ててそれについていく。
 わずかに出遅れたゴラルドはシャオファに向き直って言った。

「どうかここはジンノー様にお任せを。シャオファさんはジンノー様のお申しつけどおり、先に休んでいらっしゃってください。ええ――全て、全てジンノー様にお任せを」

 そうシャオファに言い含め、ゴラルドも二人の後を追った。
 急に蚊帳の外に放り出されるようにして、シャオファは一人屋敷に取り残された。
 何があったのか事情はとても気になるが、老婆とゴラルド、そしてジンノーの三人はどうしてもシャオファを寄せつけるるつもりは無いらしい。
 それはなにかしらシャオファのことを慮った行動なのであろう。それがわかるシャオファは、三人に背いてその後を追うのはとても憚られた。
 だが、

「あのお婆さん……」

 急患の知らせを持ってきた老婆。彼女のことで何か引っかかる。

「たしかお仕事は……」

 診察のとき、ちょっとした世間話をしながら彼女の世話をしていたことを思い出す。『本当に腰が痛くてねえ』『まともに歩けやしなくて』『こんなザマじゃあいけないよ』『せっかく久方ぶりに仕事ができたのに』『私の仕事かい? そりゃあめでたい仕事だよ』『この村の者は皆私が取り上げて』『そう、私の仕事は――』

「産婆……」

 老婆の仕事は産婆、つまり助産婦だ。
 ――助産婦。
 その言葉が脳裏に浮かんだとき、稲妻に打たれたかのようにシャオファは立ち上がった! こうなればもはや止められない。シャオファもまた駆けだしていた。
 三人の行先はわかる。
 助産婦の老婆が急患と言ってやってきた。それも尋常ではない様子でだ。ならば行先は一つしかない。

「まさか、ノオラさん!」

 ノオラ。シャオファが出会った今この村に居るただ一人の妊婦だ。彼女の容体に何か急変があったに違いない。

『儂の杞憂であればそれでよいのだがな……』

 ジンノーの言葉がよみがえる。ジンノーは彼女のことを何か危惧していた。そしてそれが現実のものとなった。だからジンノーは即座に彼女の元へ向かったのだ。

「急がないと……!」

 夜道を、明かりも何もないままシャオファは駆ける。小石に足が取られ転びそうになるがかまってはいられない。もし運悪く思い切り転んで頭を打ったところで自分にはどうということもない。呪われた治癒の力が働く、おぞましき命を持つ自分には。
 だがそうではない、当たり前の命しか持たない尊い人間の命は失われるのを待ってはくれない。

 シャオファは夜道を駆ける。
 どうか何事もなかって欲しいという思いを抱きながら。
 そして、何か避けようのない凶事の予感を抱きながら。

(続く)

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