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075.平野レミさんに憧れて

憧れの人として平野レミさんを挙げる。
家事ヤロウでのお姿、料理を楽しんでいるなって。
なにより和田さんを愛している、喜怒哀楽を大切にしている感じが素敵。
子育てエッセイ本も何度笑いすぎて泣いたことか。
今でもはっきり覚えているもの。池袋東武の旭屋書店で買った本のこと。
女性としての究極系のような姿に、ぐいぐいと惹かれるの。

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栄養バランスなんてものはとっくに放棄した。
いま!食べたいものを!食べる!ってので昨日は餃子。

ひとりの食卓だったら、おかづまみ(文字どおりツマミになるおかず)で事足りるけど、子どもがいるとそうはいかない。
ご飯におかず、野菜も添えてなるべく汁物をって考える。

食い意地がはっているので、できれば美味しく食べたいしそのために献立を考えるのも嫌ではないけど、自分じゃない人、誰かが作ったご飯が食べたいのって日もある。おおありにある。

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料理研究家のケンタロウさんのエッセイで「ホットケーキに好きなだけメープルシロップをかけて食べたときに大人になって良かったなと思った」みたいな事を読んで今でも強く印象に残っている。

フライパンで焼く最初の一枚は焼きすぎてしまう。二枚目以降が美しい。トロン、ペタン、フワリ、ペタン、トンとお皿に乗せるの。こぐまちゃんのホットケーキのように。

心ゆくまでメープルシロップをかけて食べるホットケーキ。
大人になって良かったなとやっぱり思う。
そして、今も昔も焼いてくれる人がいるってことに、心がゆるむ。

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金曜日の夜。

ハンバーグは煮込みハンバーグにする。
その間にコーンスープを温める。
冷凍ポテトを素揚げして、温野菜を添えていただきます。
ハンバーグだから赤ワインを飲もう。おっとカマンベールチーズもあったよ。

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つっかれたーと全てを投げ出したくなる時でも、お腹は減る。
食べる行為は、私を私として存在させることにつながる。

おかあさーん、そんなふうに声に出して呼びたくなるときもあるけども。
おかあさーん、今日も美味しく食べましたよって心の中で思う。

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作り置きができない。
だって続けて同じものが食べたくないんだもん。
ご飯作りの醍醐味は、その日に食べるものをその日に買いに行くことだと思うのだ。

食べたい!の気持ちに正直になり過ぎると、居酒屋か?って思うメニューが並ぶときがある。よいよい、そんな日もある。


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お通夜の席の食事は、生ぬるい瓶ビールとお寿司。
ぼそぼそと「あ、どうも」なんて言いながらもそもそと食べる。

こんなんでいいのかな?なんて思っていたけど、祖父が亡くなったときに、ちび助を連れていった時の和み具合にこれでいいんだなって実感したことがある。

祖父母がいて父母が生まれて、私がいる。
そして夫がいて、子どもがいる。

どこかが欠けても成立しない世界に居ることの不思議さに、手をあわせるようにいただきます、いただきました。そんな毎日でありたい。

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過去にうまくいかなかった事はなかったことに、もしくは美化しがちでもある。
だからね「あれはあれでよかったのだ」と言ってしまうの。
そして「これからきっと、うまくいく」と未来を思う。

だってこれからも生き続けるし食べ続けるんだもん。
「悩んだらね、まずは食べるの。お腹空いてたらいい考えなんて出てこないからね」
そんな母の言葉が聞こえてくる。

ネガティブな感情はセンサーだとしたら、どうやったらできるのかというスタンスで生きる。
それは自分の感情に責任をとるってことなのかもしれない。

家族を思い、食卓を囲む。

そんなふうに生きてきた、そしてきっとこれからも。


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