あけましておめでとうございます。 (もう2月だけどな) 1ヶ月ぶりくらいにTwitterに帰ってきました。 「生きてるん?」 「何してたん?」 というDMは特に来ていませんが、「流石にTwitterにも顔出すか。長い正月休みの終わりだ。」と思ったので『千鳥の相席食堂』をみながらパソコンを叩き始めたわけです。 ちなみにこの1ヶ月はただの正月休みです。 特に意味もないし。何かすごい事をしてたわけでもないです。 ただの僕の世界線では正月休みが1ヶ月あっただけです。ご意
人生における成功って必ずしも何かを成し遂げることではない。 学生の頃からテストの点で競わされて、成績で優劣をつけられる。より偏差値の高い学校に行くことを推奨される。私たちは常に競わされて生きている。 学校教育のシステム上、何かを成し遂げることこそが善だと知らず知らずのうちに刷り込まれて育っていく。 これってまあしょうがないことでもあるけど。確かに社会に出たら冷酷なまでに実力主義なところはあるし、数字を残せない人からこぼれ落ちていくのが資本主義の『当たり前』だし。 でも
学生でも社会人でも。 いつだって僕らが抱える悩みは人間関係から始まる。 職場で学校でプライベートで上司と同期と家族と。日々生きているだけで数えられないくらいの「人間関係良い感じにできたやつが勝ち選手権」をこなしている。 僕を例にして言えば、大人数での食事や飲み会が死ぬほど嫌いな時期があって。 --- 場の空気に合わせて盛り上がりながら (早くおわんねえかな。帰ってYouTube見てぇ) 盛り上がってる横でふと冷静になって (俺ここにいなくてもよくね?帰っていいかな)
僕は自殺しようと思った事が2回あります。 そして、自殺しそうになった事が3回。 (うち2回は引きこもりすぎて、栄養失調からの餓死手前で病院送りという社会不適合者すぎる案件) 初めて自殺しようと思った時は、たしか小学校2年生でした。 よく晴れた休日の昼下がりに、遊び相手も捕まらずにボーッと2階のベランダで涼んでいた時。 「今ここから飛び降りたら俺は死ぬのか。なんてちっぽけな存在なんだろう。必死に勉強して、必死に部活をして、馬鹿みたいじゃないか。それならいっそここで終わっ
最近は某有名人の問題で、社会では『浮気』という言葉がトレンドになっていますが 僕は複数人の異性を好きになれる複数愛者です 彼女がいても他の異性に魅力を感じるし、体の関係を持つことにも特に忌避感がないです。 ・・・ ・・・・・・ 普通に考えたら結構やばいこと言ってますよね。 「いやいや、お前それはどうなんよ」 みたいな声は昔から知り合いにも言われていて、よく悩んでいたんですが複数愛者(ポリアモリー)という恋愛スタイルがあることを知って 「俺それかもしれんわ」 と
あなたは後悔したことありますか? 僕はあります。 後悔の多い人生でした。という話を少しさせてください。 初めての後悔といったら、なんですかね? 幼少期の頃の記憶はあんまり鮮明じゃない方なんで、幼稚園とかは覚えてないんですけど(たまにめちゃくちゃ鮮明に記憶してる人いますよね) 小学生の頃に当時好きだった子に告白しなかったことのような気がします。 もしかしたら、その子と運命の関係になり、今でも家に帰ったらご飯を作って待っていてくれる世界戦を生きられたのかもしれないのにと
ソーシャルディスタンスってなんでしょうね。 社会的な距離。 コロナの流行に伴って使われ始めた言葉ですが、お互いに2mの距離を空けましょうと。 そんな現状がある中で 街に出れば全員がマスクをして顔を隠し、電車に乗ればお互いを避けるように嫌そうな目線が飛び交う。 僕らが保つべき『ソーシャルディスタンス』ってなんだろうなっていう疑問がずっとあるんですよね。 僕らは『フィジカルディスタンス』を空けるのと同時に『メンタルディスタンス』もまた、それに比例して(どころか二次関数
"あいまい"で在ることは悪なのでしょうか。 例えば、 「先生が教室に来たら静かにする。」 「学生が終われば就職をする。」 "決まり"というのは非常に便利なものです。 "あいまい"はこの対極にあるような言葉です。 "決まり"があれば先生が教室に入ってきた時には静かな空間になり、授業がスムーズに進められる。ここが"あいまい"であれば授業を始めるのにも一苦労ですよね。 "決まり"は、仕組みを作る側、仕組みを動かす側の労力を極限までカットし、社会の効率を上げてくれるものです
noteを執筆する時間と同じくらい、見出し画像選びに時間がかかってしまった。そんなnoteです。 結局、最初の方にスマホの底から引っ張り出してきた画像に落ち着いたんで”一瞬で思いついたアイデア”と”じっくりと考えたアイデア”の質はそんなに変わらないというのは本当でしたね。 今回はSNSについて(特にTwitterかな)2つの観点で見ていこうと思います。 ・ビジネス的観点 SNSをやることによってビジネス的にどういった利点があるのか。 ・社会的観点 SNSって本質的
なぜ私たちは働くのでしょうか? 『お金を稼ぐため』間違いないですね 『承認欲求のため』それもあると思います。 つまり『生きるために働いている』のでしょうね。 "僕"は『生きるため』に必死に働いていました。 月曜日の午前7時に”僕”は泣いたーーーーー 「働いたってお前まだ大学生やん!」 という人のためにも前置きをしておくと ”僕”は大学を休学して1年ほどベンチャー企業で働いていました。まあ、高校卒業後からは生活費も学費も全て実費だったんで、その辺のパートのおじさんお