無題

フォルダが少ない世界線で幸せになれた

今回はただの情けない愚痴です。

愚痴るのは、フォルダやHTMLの階層に制限がある世界を想像すると素晴らしい世界が見えたからだ。

深い階層は不幸だ

言ってしまうと、今のフォルダ/ディレクトリの仕組みが大嫌いだ。

Mac, Windows, Linux も同様のフォルダシステムを受け継いでいるのでどれも最悪だ。

このフォルダ構造はインターネットにも受け継いでいる。
よって、今のインターネットも最悪だ。

今のインターネットをめちゃくちゃにしたのは、フォルダによるものだと考えている。

正確には、フォルダが嫌いなんじゃない。フォルダの階層がいくらでも作れるような仕組みが嫌いだ。

例えば、フォルダの場所を伝えるのに、Aフォルダの中のBフォルダの中のCフォルダの中のDフォルダの中のEフォルダの中のFフォルダの中にあります。という伝え方。

こんな伝え方は拷問でしかない。辿るほうもクリックが苦痛だ。
こういうフォルダの作り方をするのは相当「お片付け」ができないのだろう。

開発者も開発者だ。階層的構造は、無限をイメージさせるためデザイン的に美しい。、と思っている。そうですか。でも実際は、システム上、限界はある。Windowsだと259文字の範囲の階層数までだ。なぜその階層数にした。誰が256階層なんて管理するのか。

言いたいのは、256階層も必要ないんだよ。むしろ3階層もあれば人間の認識できる範囲で管理できるんだよ。

本の目次で、256階層もあるか? 無いよね。分かりづらいからね。
大体、本の幅が決まっているから、自然と章は3レベルに収まっているよね。

今のネット情報は救えない

フォルダだけならまだよかったが、この呪いのような階層構造は、インターネットのURL部分(http://から始まるあれ)とhtmlの構造体にも反映されている。

インターネットURLがそうなったのはフォルダ階層を表現していたときの歴史的な名残だろう。スラッシュで区切られている部分は、フォルダの中にindex.htmlのファイルを置いていたら、フォルダパスがURLとなって、そのまま公開されていたのだ。複数のスラッシュで区切られたURLは、見慣れてしまった光景だ。そのため、いつしか自分が何処にいるのかURLで判断しなくなり、ドメイン以外ははただの文字の羅列となってしまった。

Webサイトを使って文章や画像を表現しようとすると、まずhtmlが使われる。ファイルの中身は、タグといって中に<html>があって、<head>と <body>タグがある。今のhtmlはそう単純じゃない。さらに深くタグ階層があり、制限がないからレイアウトにも使って<div>タグが構造デザインの代わりとして表現されている。それは目が回るほどだ。どの部分が文章データで、どこがレイアウトデータかに区別がない。元々デザインはCSSのスタイルシートで表すことになっていたけど、どの中にある情報などは表現できないから、htmlの中に全部表現することになった。htmlとCSSでファイルを分けているにも関わらず分けるべき表現が抜けているのは別の問題だが、もう、表したい情報なのかレイアウトなのかわからなくて、めちゃめちゃだ。

コンピューターの幸せ

プログラムの世界では、データと振る舞いを分けるのが幸せになれることとしている。変わるものと変わらないものを見極めることが、プログラミングの本質ともいえる。頻繁に変わるものが、変わらないものと混ざると、大きなやり直しが必要になったりするのだ。

構造の自由度の高さがあるがために、ネットで公開されている情報は、
もうまとめることができない。

決まったものを整理するにはコンピュータの出番だ。でも、コンピュータで扱うhtmlファイルだけど、階層が自由するぎるから、コンピュータでそのまま扱うことのできない代物になってしまった。それでどうしたかというと、コンピュータが扱うことができる形式を作った。WebAPIとかjsonファイルとか呼ばれている。それでも悪魔のような無限階層構造がまだ引き継がれていて、WebAPIの深い階層説明にうんたらかんたらと書かれていたりする。

そもそもコンピュータは階層構造が苦手だ。上から下に順に読み込んでいくのが得意だ。いつまで階層を下ればいいかわからない情報を読み込ませるのは、メモリの持ち方など工夫がたくさんいる。

Googleはあまりにもめちゃめちゃなのを知っていて、機械学習までさせてWebサイトを理解しようとしている。そうじゃない。人間にも容易に到達できないのは機械で頑張るにも限界がある。作り方の問題だ。

3クリックの世界で幸せに

この悪魔的な状況は操作方法にも表れている。3階層に制限していれば、いつまでクリックすればよいかの不安に駆られることも無く、今頃まとまったメニューとなって、どのWebサイトもサイト内の情報に3クリック以内で到達できたことだろう。

ブログではなくて本や電子書籍で読みたいのは、こういった階層が整理されていることじゃないか。

それでどうするの

特にまだないのだが、構造だけの問題で、今のインターネットでもできないことない。でも、歴史的背景を含めてその仕組みを作るのは容易ではなさそうだ。

こういう当たり前になってしまってことを考えるのは、馬鹿だと思うだろうが、このままでいいのか、目をつむっているのか、今のweb情報の方向性に前向きになれていない。

最新情報や量だけが評価されるのだけでなく、貴重な情報が残りより洗練されるようにしたい。似たような文章は発散するのではなく収束して、より洗練されたものが評価されるべきだ。

もっとネット情報を整理したい。

3階層制限するだけで、整理され、より洗練した文章が生まれると思っている。

本屋のように、整然と並んで到達性にすぐれたネットにしたい。

さて、Webのブック化、どう行動するべきか。

サポートで強くなります。