幸せを写真に残す、このカメラで。
小さな頃の私の写真は、ほとんど父が撮ったものだ。写真の中の私は、生き生きと泣いたり笑ったり忙しい。この幸せな沢山の写真を父はどんなカメラで撮ったのだろう。
懐かしいな、と言いながら父はミノルタの一眼レフだったと教えてくれた。PENTAXが高くて買えなくて、私が生まれる直前、家の近所にあった質屋でミノルタSRシリーズのひとつを買ったのだそう。
もうそのカメラはとっくに父の手にはないけれど、その頃の父の気持ちはたくさんの写真になってわたしのもとに残っている。
◇◇◇
今まで、色々なカメラで写真を撮ってきた。
撮ることも、カメラという機械自体も、好きな方だ。とはいえ、探究心もお金も、残念ながらさほど無いので、いつまでもど素人のレベルだけれども。
今、私のもとにあるカメラは、SONY α6000とLeica M6。
α6000は、軽量なミラーレス機が欲しくなり、それまで使っていたNikon D7000を下取りして購入したもの。
Leica M6は11年前、がんで余命宣告を受けていた母が「ライカのカメラならずっと使える?」といって買ってくれたものだ。
◇◇◇
中高生の頃は写ルンです全盛期だった。ほかにも、PENTAXやOLYMPUSのコンパクトフィルムカメラ、APSフィルム時代はKonica Revioを愛用していた。生まれてはじめてRICOH DC-2というデジカメを手にしたときは時代の先端にいる気がした。
デザインの勉強をし始めた頃は、Nikon FM2やFEといったマニュアルフォーカスのフィルム一眼レフカメラを持ち歩いていた。HOLGAやLOMOのようなトイカメラを手にして遊んでみたりもした。
でも、思い返してみれば、カメラを選ぶときに、撮りたい何かを具体的に思い描いていたわけではない。ただ、カメラが欲しい、だけだった。
◇◇◇
ひとつだけ「〇〇を撮りたい」という思いで手に入れたカメラがある。
息子が生まれる直前に購入した、はじめてのデジタル一眼レフカメラ、Nikon D70だ。
息子が生まれる前年に発売されたD70は、当時の私の懐事情からすると、かなり思い切りがいる買い物だったけれど、はじめての子供の写真を撮って残したくて、手に入れた。
このカメラは私の期待に応えてくれた。生まれたその日から、世界一かわいい我が子の姿を世界一かわいいまま、それはそれは沢山写真に撮らせてくれたのだ。
ファインダーを覗くたび、シャッターを切るたび、そして撮った写真をみるたびに幸せだった。
けれど、何千回、何万回とシャッターを切って夢中で撮り続けるうち、ごくあたりまえに成長していく息子は、カメラを向けてもはにかむようになり、そして写真を撮られること自体を避けるようになる。
少年なんてそんなもんだ。息子の姿ばかりだった写真に、花や建築物、風景、とりとめのないものが混ざり始め、だんだんとシャッターを切る回数が減る。
そのうちに、これまで私が手にしたどのカメラよりも多くの写真を撮らせてくれて、たくさんの息子の写真を残してくれたD70は、動かなくなってしまった。
◇◇◇
その後、手にしたNikon D7000、SONY α6000、Leica M6、そしてスマートフォンのカメラ。
どれもあまりシャッターを切ることができない。
やはり「〇〇を撮りたい」という思いで、手にしたものではないからだろうか。
私は、またあんなふうに夢中で撮れる何かを探している。
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