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第2章 なぜみやこやをつくったのか_・地域包括、在宅支援という考え方そして課題③

民間の施設の栄養士・指導員を経た後、事業団へ転職。
事業団・・・向陽の里(知的障がい者総合施設)、青島学園(児童養護施設)にて総務を経験。この時期に「事業団解体」「社会福祉基礎構造改革」「会計基準の転換」「介護保険」が一気になだれのようにやってきます。

さて、私は子どもを出産した後青島学園へ配属となりました。青島学園は児童養護施設になります。児童虐待他社会的な支援が必要となる子達の施設になります。

当初は、介護をベースに地域支援をしたいと思っていたのですが、ここでの子どもや家庭とのやり取りを通して考えが次第に「子ども」への支援と変化します。

元々、地域福祉を進めるための会社を作ろうという思いで福祉の世界に飛び込んだ訳なので、いつかは起業をするという考えは変わらなかったのですが児童養護施設での経験により、高齢福祉で起業を起こすことよりも先に「子育て支援」に関心が向き始めました。

そして、長男を出産した際に立ち上げていた子育てのサイトを、再構築しなおして「みやざきママパパhappy」という形でリスタート。

なぜ、ここに至ったのかということを少し書いてみます。

当時、定員50名だったわが施設でしたので、本当に様々なケースの子が生活をしています。特に事業団では他の施設に知的障がいを持つ親がいて、子どもは児童養護施設という形で生活をしている家庭もあったので、本当に様々な理由で「子育てが困難」な状態のケースがいることになります。

理由もそれぞれあります。性的虐待、身体的虐待、ネグレクト、多子の為に何人もの子のいる親もいます。

私たちはそういう子達と関わることになるのですが、どんなに愛情を注いでも親の愛情にはかなわないことを痛感させられます。

365日の殆どを共に過ごす職員よりも、数ヶ月に1度会える親の存在にはかないません。これは例え虐待を受けている子でさえ同じです。ある程度心の成長した子になると、次第に親を憎み始めることもありますが、未就学児、児童の間はどんな場合でもやはり親の存在はかけがえのないものなんですね。

そういう場面に何度も出会いました。

ある日、施設解除となった子がうれしそうに私たちへ手を振りながら施設を出て行きました。私はその時にとても複雑な思いになったことを今でも覚えています。この子はちょうど、一時帰省の時に大怪我をして戻ってきました。真相は結局分からなかったのですが、虐待の可能性もあります。そういう家庭であっても、解除の決定があれば戻される。

施設から出た子がまた戻ってくることもありました。

こうして、また子どもは傷つく。

自宅に帰る子ども達を見送りながら、「ずっと家庭で幸せに暮らすためのサポートはできないだろうか」とずっと考えました。

それから、色々なご縁が繋がり、私は子育てのフリーペーパー「ミヤマパ」を世に出すことになるのですが、この辺りの経緯は今回は省きます。

こうして、子ども達が家庭に戻ったときに、親たちを地域で支える仕組みづくりを早急にしなければならないなあと思ったのが、この時期です。

それから約20年ほど、色々なご縁がつながり、私は子ども食堂を作るという流れになります。この辺りは今回は少し省きます。

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