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第2章 なぜみやこやをつくったのか_ボランティア体質でいいのか①

町づくりや様々な支援をボランティアに委ねることに対しては、私は昔から疑問を持っています。

理由は、

1.支援は労働。本人の意識付けと身を守るためにも、然るべき「対価」「保障」をつけなければならない
2.ボランティア人口の減少。ボランティア活動の内容の変化。

中間支援を行っていたとき、ある介護施設についてクレームが来ました。

「傾聴ボランティアで行ったはずなのに、庭の剪定や片付け、利用者の介助みたいなことをさせられた」

ある施設に行って驚いたこともあります。
利用者の食事の配膳を、ボランティアが行っているのです。

この施設のボランティアさんは、喜んでされていましたが、実は私はその光景を見てゾッとしました。

知識を持つスタッフでさえ難易度の高い、食事配膳(形態食)をボランティアがやっていたんです。

栄養士の私としては考えられない光景でした。もし、利用者がこれによって事故を起こした場合、どのような責任が取れるのだろうと心配してしまいました。

市民活動の助成金事業について、審査をする機会がありその場でもよく議論されていたのが、「有償ボランティア」について。

最近の市民活動においても、助成金や補助事業がある場合、必ず「人件費」「労務費」という科目がありますね。

では、そもそもボランティアの定義は何でしょうか?

一般的には「自発的な意志に基づき他人や. 社会に貢献する行為」と言われます。

NPO法が施行されてから、市民活動の概念は大きく変化をしています。

今までの純粋な「ボランティア」という考え方から、どこか公的機関の「下請け」事業請負人みたいな流れができていることは否定できません。

指定管理制度がその代表ですね。様々な公的サービスが指定管理の事業として排出され、世のNPO団体はこの事業を受けてしまったばかりに「団体の維持=指定管理を辞めれない」という構図になり始めている。

方や、社会貢献をビジネス化するために、NPOは完全なる事業運営法人となり、もはやボランティアという域からは脱している訳です。

NPOなんだからそんな考えは当たり前だという反論もあるかもしれませんが、実はNPO法人だけでなく、今は「任意団体」でも同様の流れが起きていますね。

様々な助成金は、法人格を持たなくてもよいとされる流れが出てきているため、この辺りの状況を理解できている市民活動運営者は、敢えて法人化をせずに「任意団体」として運営を行う。

誤解のないように言いますが、これが悪いことだとは言っていません。

実際、私自身も、様々な組織を運営したり立上げにかかることが多いのですが、その団体の趣旨に合わせて「NPO法人」「任意団体」「株式」と使い分けていますし、助言の際にも同様の事を言います。

様々な団体に関わってみると、事業を進めるにあたってはあまり法人の種類は関係がない。
どちらかというと、運営手法(理事や会員(社員)の決議権の問題)や助成金の種類といった、組織運営の部分で影響があるくらいで、活動や事業自体にはあまり差はないことが多い。

少し話が脱線しましたが、ボランティアには原則があるといわれています。

自分からすすんで行動する──「自主性・主体性」

ともに支え合い、学び合う──「社会性・連帯性」

見返りを求めない──「無償性・無給性」

よりよい社会をつくる──「創造性・開拓性・先駆性」

ボランティアというのは、基本は「無償」なのです。

無償で、仕事と同様のクオリティを求めることができますか?
守秘義務の問題もありますね。

介護の現場で、ボランティアをスタッフ同然に扱うことは、私は基本的にはしません。

ここが支援・サービスになれば、当然「対価」を支払うのが原則です。もちろん「有償ボランティア」という考えも危険です。それなりの対価を得ているのであればそれは「ボランティア」ではありません。れっきとしたサービスです。

人の命を預かる場で、ボランティアという考えは正直危険だし、「ボランティア」という言葉のマジックで、支援が曖昧になることは避けねばなりません。

さて、前置きが長くなりましたが、ボランティア体質に依存する町づくりが今後成立するかという疑問について次回から数回に分けて書いてみたいと思います。

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