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子ども食堂からフードバンクに至る経緯

児童養護施設で出会ったたくさんの子ども達

私は出産後、児童養護施設に配属となり初めて児童虐待の現実を目の当たりにすることになりました。性的虐待、身体虐待、ネグレクト様々な事情で子どもたちは施設にやってきます。
様々な家庭を見つめる中で共通することがありました。それは、どのような家庭であっても、子どもは親のことが大好きだと言う事です。
施設を退所になり、親に手を引っ張られながら嬉しそうに手を振って去る子を見つめて、複雑な気持ちになったことがあります。
「本当に、子ども達は幸せに生活ができるのだろうか」と。

食事を摂るということ

ある日、スタッフさんと一時保護でやってきた兄弟の話になりました。
「食パンを見て、”ごちそうだ!”って喜んだの。普段から水とか草しか食べれなくて、時々お祝いの時だけパンを食べれることができていたらしくて。あの子たちにとってはパンってごちそうなんだね」

この時の会話は何年たっても、脳裏にこびりついていました。

私が児童養護施設を辞め、市民活動を立ち上げたときに、児童虐待の勉強会をしていた時期があるのですが、当時仲間たちとの話で出た話題は「朝ごはんを食べさせていない家庭が多いんだよね。ある地域では朝ご飯を食べさせる活動があるんだって」

それから、私の中では漠然とではあったのですが、「虐待防止活動=食支援」というものがインプットされていったのです。

子ども食堂という名の支援

それから数年が経ち、「子ども食堂」という支援が広がり始めました。数年前に出会った子ども達や仲間たちとの話で出た「食支援」がずっと気になっていた私は、思い切って子ども食堂を立ち上げることにします。そして、やりながら一つの問題がある事に気づきました。

「子ども食堂に子どもたちはこれるのか」

理由は色々とあります。
1.子供が歩ける距離にないと、通えない
2.親がこのような支援を必要としていない

私は、自分のところで「子ども食堂みやこや」を立ち上げるのと同時に、県内全域での子ども食堂やこどもの貧困問題に向き合う仲間たちとネットワークを作りましたが、そこでも、同じような意見が出てきたのです。

「来て欲しい子たちが来てくれない」

実際に子ども食堂にやってくるのは、特に食を必要としていない子たちでした。今でこそ子ども食堂は「地域での町づくり」「コミュニティ」というスタイルになり始めていますが、当時はどちらかというと「子ども食堂=子どもの貧困対策」として広がっていったんですね。

しかし、いざ運営をしてみると支援をするべき人はやってこない。
虐待や貧困問題の活動をしていた人にとっては、この辺りはずっとジレンマを抱えることとなりました。

ちょうど、その頃です。文京区にて認定NPO法人フローレンスさんが「こども宅食」という支援をスタートさせたという記事が目に飛び込んできました。

私はいてもたってもいられず、直ぐに代表の駒崎さんに問い合わせをしました。当時はまだこども宅食をスタートしたばかりで、広げることができるマニュアルができていないので、しばらく待ってくださいね。という御返事を頂き、私自身はこの支援の可能性を探る作業をしていました。

それからしばらくして、「こども宅食応援団」というものができ、全国でこども宅食を広げるという話が出たので、私も早速手をあげました。

こども宅食についての取り組み

それからは、県内でこども宅食を広げる為に様々な活動をスタートしました。令和元年には県内全域の支援者にこども宅食について知って頂こうと宮崎県との協働事業にて「こども宅食勉強会」を実施。この時にはフローレンスの駒崎さんやスタッフの皆さんに何度も宮崎入りして頂き、こども宅食についてレクチャーを頂きました。

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こども宅食応援団の設立に因み、ミートアップイベントに参加する中で、フードバンクに触れる機会も多くありました。
まずはフードバンクで有名な「SecondHarvest」へ視察とボランティアに行き、食材調達や管理の仕方をレクチャー頂きました。

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↑代表のチャールズさん

その時驚いたことがあります。
大きなバッグにたくさんの食材を抱えて帰るママ達が殺到していたんですね。これがパントリーサービスになります。

スタッフさんは、子ども食堂の運営の傍ら、フードパントリーの準備をされていて、不思議な光景でした。それから1年後にはこれが当たり前の時代になったんです。

…そうです。コロナウイルスが発生したんです。

全国各地で、子ども食堂が閉鎖をする中で、子ども達との接点を作る場がなくなってしまいました。私は、何かしらの手立てが必要だと危機感を募らせます。そして、市や県へ相談に行きました。

宮崎市では子ども食堂コーディネーター事業というものがあります。今回のコロナ禍の中で、子ども食堂を起点に地域の食支援はできないか。こども宅食をしていきたいので、もう少し多くの食材調達を視野に活動展開ができないかという相談をしたのですが、答えは「NO」でした。

子ども食堂コーディネーター事業は、個別支援を想定していない。

それが理由でした。

もう間に合わない。フードバンクをつくろう!

市の事業の限界というものもありますので、もう、ここは仕方がないと諦めました。でも、必要としている人は増えていく。食材はどんどん足りなくなる。
そこで思い切ってフードバンクを立ち上げました。個別宅配をしようとすると多くの食材が必要になることは避けられないと思ったからです。

県の協力に感謝!

いてもたってもいられなくなった私は、思い余って県へ相談。すると、「記者会見しましょう」と直ぐに動いてくれました。※市には即断られました。

そして、6月30日。私たちはフローレンスの駒崎さんにもリモート参加いただき、「フードバンクみやざきの設立とこども宅食の立上げ」についての合同記者会見を行う事となったのです。

驚くほどの急展開!

フードバンクを立ち上げると決めてから、様々な事が目まぐるしい勢いで変わっていきました。

コロナ対策として、READYFORさんの助成金事業が採択され、11月にはなんと町のど真ん中にフードバンクみやざきの拠点がOPEN!
その後、休眠預金のコロナ対策助成金にて、こども宅食に関する事業に対して助成金を頂くことに。これで、思い切りこども宅食を仕組みにすることができます。

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↑ こちらは、フードバンク&こども宅食のスタッフ

寄付者も増え始め、クラウドファンディングも着々と進み始めています。そして、何よりもうれしいのが、お届けしたこども宅食をとても喜んで頂けたこと。

最初は、おもいたって立ち上げたフードバンクみやざきでしたが、次第に色々な方が関わり始めてくれて、かなり大きな力になり始めています。

さて、フードバンクみやざきは、理事3名でスタートしています。今後協力者を募りながら法人化へと進んでいきます。

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最後に

貧困問題に関しては、まだまだ、やることは山積みです。本当に問題は根深く、一方的な視点では問題点を見落としてしまいがちです。しかし、それでもできることを考えながら、私たちは困窮問題に向き合っていかないといけない。

そこで、一番シンプルであり入口支援として大切なこども宅食をしっかりと立ち上げる必要を感じたのです。

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こども宅食を通じた見守りの仕組みを作るべく、現在スタッフ達と試行錯誤しながら宮崎市内全域に、食材が届くためのプロジェクトをスタート。まだ告知をしていないにも関わらず、約20世帯の申し込みが来ていて現在、食材調達やお届けにてんやわんやです。

これから、コロナがまた再燃し、色々な課題が出てくるかと思います。自分たちの力は微力でありますが、頑張ってコロナを乗り越えることができたらいいなあと思うのでした。

※この数年間の軌跡も兼ねて少しずつこちらにも書き綴っていきたいと思います。地域福祉を充実させるためには何が課題で何が必要か…ということを、こちらを通して発信できたらと思います。

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