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第2章 なぜみやこやをつくったのか_おじいちゃんの存在

私が生まれたときから我が家には祖父がいました。
母は、小学生のときに母を亡くし、祖父が男一人手で母を育てたそうです。そして私の父は、母と結婚する時に祖父も一緒に住もうと言ってくれたそうで、我が家はずっと祖父、父、母、私、妹の5人家族でした。

祖父は私が中学1年の時に他界したのですが、自宅で息を引き取りました。日に日に衰えていく祖父を家族で看ながら、最期を送り出したのです。

当時、小学生だった私の妹はボランティア活動が好きな子で、よく、近くの老人ホームへ慰問に行っていました。

私は、老人ホームという存在はとても異様な場所としてしか映っていませんでした。小学生の妹から無邪気に発せられる言葉はどこか「~してやっている」という風に感じられ、当時の私は「ああ、老人ホームというのは、高齢者よりも若い人(スタッフやボランティア)の方がえらい世界なんだ」と違和感を持っていました。
少なくとも自分の祖父は若い子達から「おじいちゃん、○○しようね」だなんて言われるような人ではなかったし、常に私にとっては威厳のある存在でした。

在宅だったからこそ、その威厳が保たれていたのだとすれば、世の中の施設入居の高齢者はどう自分の威厳を保ちながら最期を迎えればいいのか。という事がすごく気になっていたのです。

当時はまだ介護保険というものはなく「措置制度」で施設が運営されている時代でした。利用者というのは、施設から「お世話される」人である印象が強く、とても否定的に捉えていました。

祖父の最期を自宅で看取ったことが、現在の活動の原点になっています。


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