ほらご覧隠したってみえみえ 嘘をのせたトップノート

毎回締め切りぎりぎりに筆が乗ってくるのをそろそろ本気でどうにかしたい。枚数は規定に到達したけど、まだたどり着きたい結末(めずらしく決まってるんですね)までたどり着けてない。根性でのりきるしかない。きょうあすと夜はお酒を飲むので、帰宅してからの時間は書けて一時間。勝負はあしたの昼間。さあさあお立ち合い。とひとりで自分をけしかけて悦に入る。

きのうは猜疑心と被害妄想のオン・パレードだった。ひさびさの希死念慮も顔を出し。午前中の段階で、なんか凄まじく死にたいなと思い、消えてなくなりたいなあと思いながら仕事をこなして煙草を喫い、自分がなにもできないでくの坊になったような気持ちでからだじゅうあたまじゅうみたされながら午後いっぱいキーボードを叩き、後ろ暗い気持ちが抜けきらぬまま、退勤した。ああやはり他人、いつのときも心に影を落とすのは他人、としみじみ思った。誰の力も借りずに仕事がしたい、と四ヶ月ぶりに強く思った。

とりあえず、季節のせいだ、と思うことにした。冬だから、季節性うつというやつだと。

だいたい、表向きを取り繕ってくれれば腹でどう思われていてもどうでもいい、他人なんか思い通りにならないし、とふだんは豪語しているくせに、ときどき弱気になるのはどうしたことか。小学校高学年でいじめにあって仲間外れにされた記憶がまだ尾を引いているのか。引いてるかもな。いまだにいじめの首謀者のフルネームは漢字で書けるし、実家も知っているし、罪に問われないならたぶん殺しに行くと思うし。

いま思っても、嫌だったな。めんどくさかったし、辛かった。いじめられたこととか内容自体は、まあやった側の都合なのでどうにもできんから知らんけども、失策だったのは、自分は好きなように振る舞っていると他人から嫌われるんだな、と思い込んでしまったことだった。

そんなことを思わなかったら、わたしはもっと傍若無人に、自分は人に好かれるのがあたりまえな人間なのだと思いながら思春期を過ごせただろうと思う。いわゆる自己肯定感を、わたしは自分のあほな思い込みによって捨てたのだった。口惜しい。小中学校のあいだなら自信さえあれば、髪の毛がお猿みたいに短くても好きな子とつきあえたかもしれないのに!その成功体験をもとに、さらなる自信を身につけられたかもしれないのに!

わたしは雑魚モテに興味がなく、あくまで好いたひとに好かれたかった。地引網漁ではなく、一本釣り希望。わたしの容姿は凡庸(美人かブスかの二択ならブス)で、だからこそ女子からも警戒されず、男子から余計な好意を集めることもなかった。つまり一本釣りに最適だったのだ。それを!自己肯定感のなさで!フイにしてしまったとは!口惜しい!(二回目)

……なんの話だっけ?死にたくなって、なんで弱ってると他人に嫌われているのではないかといちいち気にしてしまうのかという疑問から、学生時代の話になってしまったのか。学生時代に好きなひととつきあいたかったという気持ちが地縛霊のように強くて、話が逸れてしまいました。申し訳ない。とりあえずきょうは元気なので、元気にお酒を飲んできます。またおちこんだら、ぜんぶ季節のせい季節のせい季節のせい。バイ。

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