誰でもなんとでも言えるの 口では

東京事変の『天国へようこそ』(アルバム「大発見」収録)をくりかえし聴く朝。おもいきって今日はスヌードを家に置いてきた。ぜんぜんへいき。あったかい。3月だなあ。春だなあ。

ときに、先週のMステで新曲『チートタイム』を披露したときの塚ちゃん(A.B.C-Z塚田僚一)のビジュアルが完璧好みすぎて沸いた。歌が全然入ってこんくらい盛り上がった。顔の締まり方、髪型、髪色、服装、振り。すべて完璧。「えっ!?かっこよすぎん?かっこよすぎん?無理!好き!」やってるあいだじゅうこの調子。ほんと好き。さいきん推しへの気持ちだいぶ落ち着いてきたなーと思ってたんですが、なんのなんの。燃料さえあれば、いくらでも。

やっぱり塚ちゃんがいちばん好きだなーと思いました。すべての芸能人のなかで。如恵留くん(Travis Japan川島如恵留)と揺れたときもあったけど、やっぱり塚ちゃんには敵わない。押しも押されもせぬ一推しです。

好きだという気持ちは、いつでもわたしに力をくれる。小説の原動力は、いつも好きな有名人だったり、推しだったり、かつて恋をしていたひとだったり、する。だから、わたしの書く話は恋愛小説ばっかりだ。報われなかった恋を昇華させるふるまい。

脚本家の三谷幸喜さんが、妻夫木くんがやってる大人エレベーター(サッポロ黒ラベルのCM)で「脚本の発想が尽きてしまうことはありますか?(書けなくなることはありますか?だったかも)」というような雰囲気の質問を妻夫木くんにされたときに、「俳優さんがいる限り、書けなくなることはないんじゃないですかね」という感じで答えていたのを聞いて、もちろん全然実力や次元が違うけど、「わたしも!そう!です!」と手をあげそうになった。好きな人がいれば、恋さえできれば、わたしは小説が書ける。絶えることなく。

わたしが恋をしているな、と思うのは、そのひとを自分の小説に出したいと思ったときだ。加えて、そのひとを主要人物として書き始めたら、完全に熱を上げている。
ちなみにいま主要人物として出てもらいたいのはフィッシャーズのシルク。メインで書いていこうと、頭のなかでぐつぐつ設定が沸いています。
あとサポート役で登場してもらいたいのは、きまぐれクックかねこさん。好きやわーあの佇まい。M.A.Y(マジ、愛し、易い©️ヤマシタトモコ先生)

もちろんそのまま書くわけじゃなく、モデルになってもらってニュアンスを借りるまでですが、それにしてもテンションが上がる。このひとを書きたいと熱望したのはひさしぶりだ。ちょうど5ヶ月ぶり。わたし、飽きるんでね。この気持ちが燃えてるうちに、書き始めないと。書き始めれば、飽きようがなんだろうが書くけど、書き始めないといつまいでもサボり続けるからな。

わたしが小説書く理由なんてひとつしかない。あなたが好きだきみが好きだと言いたいだけ。ばかばかしいくらいそれだけ。たとえ最終的に何も変わらなかろうと、だれがだれを好きだと書いていなかろうと、わたしの書くすべての小説は恋愛小説だ。それしか書けない。いまのところは。帰ったら書こう。それしか考えられない。雨の日。

#日記 #エッセイ #小説 #恋愛

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