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介護事業者の生き残り戦略

「介護」という言葉が狭義の意味を持ち始めて20年。
その20年前は、まさに「介護保険制度」の誕生です。

これまでの日本社会において、「家族」が「面倒」「世話」をするをいう意味(もっと言えば”嫁”がやる仕事)だったものが、「社会全体」として許容していこうという取り組みの第一歩だったわけです。

高齢化社会が予測された1970年代から半世紀余り。

今僕たちは大きな転換点にいます。
「介護」という各論だけでなく、社会全体の枠組みが大きく変貌しようとしている時、僕たち”介護人”(介護に関わる人たち)はどのように振る舞い、変化していけばいいのか。
まとめてみたいと思います。

行政の下請け状態

介護事業者が民間参入を認めれてから20年。
「民間事業者」に変わりはありませんが、いわゆる一般の民間企業に比べると、自由度が低いのが現状です。

・収入、売上のほとんどが「介護報酬」
民間事業者の売上構成における意思決定の大きな部分である「値決め」をすることができません。
制度により金額は決まっています。
足元を見られず、決まった収入を得ることができる、といえばよく聞こえますが、「売上のアッパー」が決められている状態です。

・ハード、ソフトの両面で細かな制度ルールがある
営業時間(サービス提供時間)から内装に至るまで多くの部分をルールによって定められています。
例えば、デイサービスの利用中、”買い物に行きたい”という利用者さんのために、施設内に作ったミニコンビニで買い物をしてもらうことはNGです。

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制度の中で振る舞うことはもちろん、いわゆる「経営判断」のほとんどの部分を行政に握られていることに多くの経営者や介護士は気づいていません。

完全オフライン状態

今回の新型コロナショックで、多く聞かれる言葉の中に「リモート」「テレワーク」などの言葉があります。
要するに、仕事をオンラインで行い、自分の身体は家やカフェ(今は行っちゃダメですよ〜)にあるということです。

今後この流れはますます加速するでしょう。

しかしながら、介護においては非常に難しく壁の高い変化になります。
「介護」に関する仕事の大部分、おそらく70%程度がオンライン”でなければならない”業務になっています。
・排泄介助
・入浴介助
・食事介助
その他にも、利用者さんの身体に触れなければならない業務が大半を占めています。

前提としている社会構造の逆転

ネガティブに聞こえる話を続けてきましたが、ここからはもう一歩踏み込んで書いてみたいと思います。

「介護」という業界・分野は、いくつかの大きな大前提を置いた上でこれまで歩んできました。しかし、これらの大前提が急速に姿を変え、変化するどころか、逆転現象までもが起こるようになっています。

①若者の数は多く、高齢者の数は少ない。今後高齢者が増えるかもしれない。

至極当たり前なことのように聞こえますが、実態はそうではないんです。
介護保険制度が施行されたのは「2000年」です。
この段階において、すでに日本は、「超高齢化社会」「少子化」「人口減少」が確定し(1970年代には確定していました)、順調に歩んでいました。
つまり、”ゲームセット目前”だったのです。
にも関わらず、「特例措置」として開始した介護保険制度はルール・制度の上塗りにより、「インフラ化」してきてしまいました。
介護保険制度が施行された時には、すでに「超高齢化、少子化」はほぼ勝負がついており、「人口減少」を”待つだけ”の状態になっていたのです。
しかし、介護現場を見てみれば、未だにほぼ全ての作業を人間が行い、「高齢者」を「若者」がオフラインで支える構造になっています。
すでに、社会全体で「多くの高齢者」を「少ない若者」が支える形が固まり、さらに進行していくことを考えれば、今介護現場で起こっていることは、完全に相反している状態です。

②介護は「オフライン・対面」で行うものである。

「介護は”嫁”の仕事」と言われた時代から、「介護を社会全体で包摂する」時代へと変化をし始めています。(まだまだ出来ていないという認識です)
そんな中にあって、「介護」は、人間の人間による人間のための直接的な行為であることを当然のように、業界内外の人間が思っています。
親元を離れ、遠くに暮らしている息子は実家の近隣からなんと言われるでしょう?
”親の介護をしない”
そう言われていてもおかしくありません。
しかし、その息子は、毎日実家へ電話をかけています。仕事が忙しくても、一日10分でも話すようにしています。
それは「介護」ではないのでしょうか?
もしも、オフラインだけが「介護」というのであれば、その”お花畑”の中でみんな一緒に崩壊してけばいい。クローン人間でも大量に作り、介護をさせればいい。
少々極端ですが、そのくらい今の社会は異常なんです。

③介護は医療の下位互換である。

「介護の仕事の本質とは?」個別の意見は一旦横に置いておいて、公式に言われているのは「観察」です。
利用者さんの行動や様子を具に観察し、自分以外のチームメンバー(ケアマネさん、ヘルパーさん、ドクター、ナースなど)につなげることが目的です。
しかし、現在の位置付け、特に介護業界にどっぷり浸かっている人間ほど、介護の意味を歪曲させて捉えています。
「自分は一生懸命働いている」「一生懸命世話している」さらにもっと厄介な意見もあり、「”世話している”とは何事だ!”お手伝いさせて頂いている”だろ!」などという意見までも出ています。
”世話”について怒っている人間のほとんどが、本来自分もそう思っているにも関わらず、自己犠牲の精神と自己正当化・自己顕示欲のためにわざわざ怒っています。
馬鹿げた話です。
介護の目的は「観察」なのであって、「世話しているかどうか」ではないんです。

ここに、今の介護の限界が見え隠れしています。
つまり、本来の目的である「観察」に現場レベルでは意味を見出しづらくなっているんです。それよりも、「より多くの利用者さんの入浴をこなし」「より多くの利用者さんの口の中に食べ物を入れ」「より多くの利用者さんのおむつを替えていく」ことが目的になっているんです。
これらは、実際に施設勤務やデイサービスで勤務されている方々から聞いた声です。
現実に行われている「介護」行為のほとんどは、本来医療機関で行えないことを”下請け”的にやっているだけに他なりません。

医療は「科学的ロジックとエビデンス」によって利用者さんの健康状態を把握し、介護は「利用者さん個人の生活状況を観察すること」により変化を察知し、適切なチームメンバー・ファクター(部門)につなげることによって、より効率的に利用者さんの幸福な生活維持につなげることができます。

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このように、実態と目的がそぐわないことが多くなっています。
それはもとより、僕たちを始め、今を生きる大人たちが、目先の自分の利益を追求し、失敗を恐るあまり、単純に「先延ばし」にしているだけにすぎません。
崩壊はすでに始まっています。
崩壊した時、おそらく僕たちは「政府、行政」という僕たち自身を糾弾することになるでしょう。

ほんの小さな挑戦をしなければ消える

さて、ここからは前を向いた話をしたいと思います。

今の状況についはは前段に書いた通りです。
このような状況を民間レベルで抜け出すにはどうすればいいか?について考えていきたいと思います。

「制度を変えろ!」「法律を変えろ!」という意見は馬鹿でも言えるので、今後一切このことを前提とせずに書いていきます。

制度やルールはそのままに、民間が生き残るには、「小さな挑戦」を積み上げるしかありません。
資金力がある企業であれば大きな挑戦はできるかもしれませんが、ほとんどの介護形企業はお金がない(あるいは、無いように見えている)ので、小さな挑戦を積み上げるしかありません。

しんどいです。
かなりしんどいです。
「これ、意味あります?」とか平気で言われます。
それが嫌なら、崩壊するのをじっと待っていてください。

小さな挑戦とは何か?
例えば、
・事務工数を減らすために一利用者さんの関係者とグループLINEを作って情報のやり取りをする。
・ルールの範囲内でできる自費サービスを初めてみる。
・職員、管理者が自分のスマホを使って、超簡単なスマホ教室をやってみる。

「今の業務だけで忙しいのに、できるわけない!!」

・・・そうですか。残念ですね。w

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いつの時代も、どんな業界も、大きな変化が起きる時は、誰かの強烈な想いと行動によってでしかあり得ませんでした。
「忙しいから」「大変だから」と思うのであれば、あなたは業界を変える人ではない。
誰かの作ったルールと、ありもしない常識とやらにぶら下がって生きてください。
誰かの足を引っ張らないようにだけ、頼みます。邪魔です。

「一点賭け」の大博打をやめる

多くの介護事業所は「大博打」を打っています。
何が大博打なのかというと、「介護保険」そのものです。

介護保険は、国や自治体によって算定金額やルールが多少違います。
「高齢者も大事だが、これからは、もっと子供にお金を使おう!」と言い出す政権や自治体首長が現れれば、途端に介護は不利になります。
オフラインの業務が多いので、1人の厄介なお局さんがいた日には、
他のスタッフ「あの人がいるので、辞めます!」
お局「私は正しいことをしている!」
と、たった1人の影響で大切な仲間を失ってしまう可能性すらあります。

「介護保険でやってます!」それ自体がすでに大博打なのです。
そこから抜け出すには、

・定量的抜け出し

採算管理の側面から言えば、「介護保険だけ」ではない”稼ぎ口”を見つけることだと思います。
といっても、”介護しか経験ないから・・”と思われる方もいらっしゃるかと思います。
別に、「商品開発」したり、どこぞの「営業代理店」になる必要はありません。
日頃僕たちが介護に接してきて、「ここどうにかしたいな」と思う小さなことでいいんです。
一つ例を紹介します。

居宅と訪問事業をされながら、「介護宅配弁当」の事業もされている「ながいき」さんです。
職員さんの給与改善・職場環境改善にも力を入れられている方です。
YouTubeでも発信をされていますが、普段の業務の中での気付きを実際の介護現場においてどのように生かせるのかを考え、実践されています。
実際にお会いしてお話を伺った時は、「いえいえ、僕なんてまだまだです!」と謙遜されていましたが、利用者さんと仲間のために頑張っておられる姿が印象的でした。

・定性的抜け出し

これはまさに、「組織づくり」です。
今回のような有事の時、メンバーはどのように振る舞ってくれるでしょうか?
日頃、どのように振る舞ってくれるでしょうか?
人間同士のやりとりが多い分、スタッフ同士の結節点を慎重に吟味しながら、「採用」「配置」「変化」を行わなければなりません。
どうも、コンビニのバイトを雇う感覚のリーダーが多く、結構悲しいです・・(涙
詳しくは、以下のマガジンとYoutubeをご覧ください!


変化しないと思っているのは「時間が止まる」と言っているのと同じ

「社会全体は大きく変化しているのに、なぜウチの業界は変化しないんだろう・・」

こう思うのは、どの業界だって同じです。
”隣の芝は青く見える”のが人間の性です。w

かくいう介護業界にも当てはまります。

・制度頼りの”大博打”経営
・経験主義
・テキトー採用
・電話FAXが主流
・改善=「とにかく頑張る」精神論

1970年代で時が止まっているような状態です。
(介護保険って2000年に始まったんだけどな・・・苦笑)

経営者の方や、管理者・マネージャーと言われる現場責任者の方とお会いしても、話の多くは「制度、現場職員の愚痴」に終始することがほとんどです。

民間レベルで変えられることはいくらでもあります。
行政に提案することだって沢山あります。

でもなぜ動かないのか?

その理由の根本にあるのは、「世界は変わらない」という人間本来の保守的な思考にあります。
”人間は保守的な生き物”とどこかで聞いたことはないでしょうか?

定住生活を始めた太古の昔から、人間は変化に対する抵抗力が落ちてきたと言われています。

しかし、現代社会において、特にこの10年20年でみても、
・気候変動、自然災害
・社会不安
・政権交代
・新しいテクノロジーの台頭

など、多くの変化に晒されています。

民間事業者であれば、自社の影響力を拡大させるため、あらゆるテクノロジーを使い、変化を乗り越えようとします。
行政機関も方々で批判を浴びながらも、民間の声に耳を傾けようとしています。

そんな中で介護は、「介護保険制度」や「行政」の大きな傘の下で、”自分たちは頑張って働いているから”とぬくぬくと過ごしてきました。
「頑張る」のなんて、どこの業界・会社だって同じです。
その前提で、新しいことに挑戦しては失敗し、一ミリの成功のために汗水垂らすのです。

「変化しない」と心の底から思っている限り、介護は永遠に時計の針を止めたまま陳腐化していきます。

変化しない理由は「リテラシー」にある

では、なぜ変化しようとしないのか?について考えていきます。

まず、言いづらいことを言います。

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「学歴」です。

”学歴なんて関係ない”
”学歴社会の終焉・・”

そんなことを耳にもするようになってきました。
確かに、「学歴が全て」と言っているわけではありません。
学歴”も”重要だと思っているので、参考として載せました。
(出典:独立行政法人経済産業研究所「介護労働者の賃金関数の推定 ―学歴プレミアムと資格プレミアム―」)

もちろん、高卒の方でも大卒よりもはるかに実績を残されている方々は業界ごとにいらっしゃいますし、福祉系とそれ以外でも同じことが言えます。

しかし、数字は残酷です。

たった1人の青年のために「学歴は関係ない。いかに努力するかだ!」と言うのと、「業界全体」を見るのとでは話が変わってきます。
一体どちらの方が全体的にIQが高いか、実績を残すか。

それは「大学全入時代」の流れを見れば明らかです。

要するに、
「介護は学歴が低い!」
ではなく、

「介護は学歴がなくても仕事ができる」
と言う解釈が本来正しいのです。

情報を読み取るリテラシー
より新しいものを発見できるリテラシー
より深く思考できるリテラシー

これらを得るためには、「高校3年間」と「高校と大学の7年間」どちらの方がより多くの人が平均的に能力をつけられますか?

「人間であれば全員採用」

これは、僕の知り合いの介護管理者歴10年以上の方がおっしゃっていたことです。
面接にやって来れる能力があれば働けてしまうのです。(そうではない施設もありますが)

では、「学歴がないので終わり」かと言えば、全くそうではありません。
前段にも申し上げた通り、
「介護は学歴がなくても仕事ができる」
のであって、学歴が高卒や中卒の方でも優秀な方は沢山いらっしゃいます。(ちなみに僕のチームでメインの1人として仲間からも利用者さんからも信頼の厚い女性スタッフは中卒です。立派なお母さんでありビジネスパーソンです)

要は、高校や大学で学ぶ「リテラシー」を身につければいいのです。
日常の自分の業務を、
・どのような姿勢で
・どのように観察し
・どのように改善し
そして、
目的、手段、結果を考察する力です。

「そんな提案どうでもいいから、言われた通り仕事しなさいよ!!」

多くの介護施設では平気でこんな声が飛び交っています。
こんな環境の中でどうやってリテラシーを高められますか?

組織のリーダーは、
「職場の環境づくりと啓蒙」を。
介護士は、
「目の前の環境の中でいかに考えられるか」を。
チャレンジしてみてください。

ここにも沢山書いてきたつもりですので、まだまだ僕も仲間も未熟ですが、ご参考にしてみてください。


健全な業界変動に「巻き込まれる」か「乗りこなす」か

最後に。

介護業界は今、大変動を目前にしています。

日本中がこれから1年、2年、3年・・・一気にオンライン・リモート化していきます。
それだけじゃなく、僕たち人間の生活・文化・思考・習慣・・・あらゆるものが劇的に変化していきます。
ほんの数ヶ月前のものが形骸化し、捨てられていくでしょう。

「コロナが終息すれば・・・」
なんていうお花畑的発想は今のうちに捨てた方がいいです。

感染者がたとえゼロになったとしても、僕たちの生活がbeforeコロナに戻ることはありません。
生活習慣はより分散され、そして、次にやってくるかもしれない感染症に怯えていくでしょう。

そんな世界の中で、僕たち”介護人”はどう振る舞えばいいでしょう?

僕は答えを持っていません。

多分、今これを書いている2020年4月16日の段階では、誰も持っていないでしょう。

「行政!なんとかしろ!」
と、ひたすらに権利を主張しますか?

「怖いよ〜!」
と、泣き続けますか?

もういい加減、目を覚ましましょう。

今こそ、民間としてできることのために、頭をフル回転し、小さくてもいいから、弾を打ち続けましょう。

「4000の安打を打つには、8000回以上は悔しい思いをしてきた。それと常に向き合ってきたので、誇れるとしたらそこじゃないかな」

かつて、元メジャーリーガーの「イチロー選手」はこう語りました。


僕たちはまだ、失敗することすらしていないかもしれません。


今こそ、スタートラインに立ちましょう!


<終わり>

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