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今日が最期かもしれない。

”今日が最期かもしれないと思っていますね。”

2年前、あるメンバーが言っていた言葉を思い出しました。
外部から他社の新入社員さんを招いて、うちのデイサービスにいるスタッフにインタビューをする企画をやりました。

ーいつもどんなことを考えてお仕事をされているんですか?

「どんなこと・・・、でも、この仕事ってご高齢の方を相手にするので、いつも”今日が最期かもしれない”と思ってますね。」

そのインタビューを行う一年前、スタッフ全員で行ったミーティングを思い出しました。

今となっては滅多に行わない全員ミーティングですが、当時上がった意見にもありました。

「掃除やその他の業務もあるけど、お客さん(ウチでは利用者さんのことをこう呼んでいる)がお帰りになる時はきちんと見送りたいなあ〜」
「私があんまり出勤しないのもあるけど、その日が最期かもしれないから、ゆっくり落ち着いてお見送りしたい。」

今となっては、お帰りの時は出勤スタッフ総出、それも、送迎車が一斉に出発することもなく一台ずつ出発し、その車以外を運転する送迎スタッフも車を降りてお見送りします。

スタッフの純粋な想い「今日が最期かもしれない」を一歩ずつ実現できるようになってきました。

「今日が最期かもしれない」

最近それをよく思います。

その大きな理由は、自分自身が現場に行く機会が減ったことが関係しています。
新しい事業や取り組み、営業・渉外活動など、ありがたいことにやりたいことをやりたい分だけさせてもらっています。

自己実現ができている一方で、寂しさもあります。
現場が好きで介護の仕事を志したこともあり、送迎車内やフロアや浴室でのお客様との会話に大きな楽しみを得ます。

楽しいです。
楽しいけど、それは自分の使命の実現のために、少し横に置いて活動したいとも思っています。

週に数回、現場に出させてもらっている今、「この方とは、今日が最期かもしれない」と日に日に強く思います。

「三宅さんに会えてほんっとに嬉しいよ」

仲良くさせて頂いていた女性のお客さん。

先日お迎えに伺った際、こうおっしゃっていました。

普段はお迎えに来ない自分が行って驚かれたんでしょう。

まっすぐ僕の目を見ておっしゃっていました。

「三宅さんに会えてほんっとに嬉しいよ」

僕もほんっとに嬉しいです。

あと何回だろう。こんな風にしてお会いできるのは。

今の幸せを噛み締めていこうと思いました。


「じゃあね、ほんとに、気をつけてね」

この方の女性のお客さん。

最近は陽が短くなり、夕方5時でも真っ暗です。

送迎順が最後になり、かつ時間も遅かったため、ご自宅にご案内した際、

ー遅い時間になりすみませんでした。

と申し上げたところ、

「いえいえ!普段は行かない道をドライブできてよかったです。暗いからね、三宅さんも気をつけてね。」

ーはい!ありがとうございます!寒いので、暖かくして休んでください。

「暗いからね。じゃあね、ほんとに、気をつけてね。」

90歳を間近にしても、澄んだ、綺麗な瞳。
その瞳の奥に、ほんの少しだけ輝きを寂しさがクロスしていました。

それは、乾燥のせいなのかな。

施設の駐車場まで帰る12分間、そのことばかり考えていました。


大切な人との別れは突然、やってきます。

それが、突然だと感じるのは、普段の僕たちの心持ち次第なのかとも思います。

介護の仕事は、最期と悲しみと喜びに寄り添うことだとも思います。

(介護に触れたことのない人は)どんなふうに感じられるのでしょうか。


最高の仕事ですよ。


他の仕事と同じくらい。



<終わり>





シニアの方々が、主体的に・楽しく生活し続けられるよう、頑張ります!少しでもご協力頂けると幸いです。