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『父親』の正直な気持ち。

多様な価値観・生き方が日々生まれている現代においても、遥か昔から変わらないことがあります。
その一つに「人類全員に母親と父親が存在している」という事実です。
僕も周りにも多くいますが、「母親(あるいは父親)にいいイメージがない。忘れたい存在。嫌い。そもそも会ったことない。」のような考えを持つ人もいますよね。
日本国内に限れば、およそ1/3の夫婦が離婚するというデータもありますし、その他死別やシングルで子どもを迎え入れるケース・養子縁組など、「親と子」も今や多様です。

それでも、人には必ず「父親と母親」が存在します。

自分にとってどんな存在であっても、事実としてあるのです。

今日は、これから親になる方、あるいはなったばかりの方、なりたいと思う方、そしてかつ「不安」な気持ちを持つ方々に捧げたいと思います。

「父親になる」事実、と・・・

僕はまもなく父親になる予定です。
というと、女性に対して失礼な気もします。

既に妻のお腹には”人”と分かる形の生き物が宿っています。

今日から数えて100日後、家族がもう1人増えることになりました。

「僕は、父親になります!」

子どものころ僕が思い描いた大人の男は、こう宣言できるカッコいい存在だと思っていました。

細かいことは書きませんが、なんて言っていいのか・・僕たち夫婦は結婚後すぐに子宝に恵まれる運命にありませんでした。

ウイルスが地球上のあちこちで人類を恐怖のどん底に突き落としている最中、僕たちは妻のお腹の中にいる小さな命、今にも消えてしまいそうな命に喜びを噛み締めました。

それから数ヶ月、色んなことがありました。
それはまた別の機会に書くとして、
兎にも角にも後100日で生まれてくるはずなんです。

そんな事実を目の前にして、僕の心の中に横たわっているのは「不安」「恐怖」なのです。

変化するのが得意だし、これまでの人生でも変化を乗り越えてきた。きっと今回も上手くできるはずだ。
と、思いたいが、果たしてできるだろうか?
立派な父親になんて初めからなれないし、なる気も無い。
でも、本当にそうだろうか?
子どもには期待しないが、最後まで信じてあげる存在でいたい。
でも、本当にそんなことができるだろうか?
自分の思い通りにならない子どもを、自分の感情や理性も赴くままにコントロールしようとはしないだろうか?
子どもには変化を求めるくせに、妻や周りの人には変化を求めるくせに、自分が変化できなかったらどうしようか。

誰にも言えなかった。

もしも僕に、何でも受け入れてくれる仲間や友人や”先生”がいなかったら、今頃僕はどうなっていたんだろう。

当時の気持ちを振り返りながら、そう思います。

「やったね!」
「幸せだね!」
「きっと子どもが大好きなお父さんになるよ!」

そんな屈託の無い祝福の言葉が、どれほど自分を追い詰めてしまっていたんだろう、とも思います。

話題にされるのが嫌で、久しぶりに連絡を取った大切な人たちに言えないこともありました。


”クズ”?な父親・・・??

子どもが生まれることを何で素直に嬉しい!って思えないんだろう?
いつもテンション高くワイワイしている自分が、なぜ今・・

自分はなんて”クズ”な父親なんだろうと思ったことがあります。

「そうえいば、”クズ”な父親と言えば・・・」

僕には思い当たることがありました。

自分の妻が妊娠したことがわかった男は、妻にこう聞かれた。
妻「ねえ、もしこの子に重い障がいや病気があったらどうする?」
男は即座にこう答えた。
男「いやいや!!無理無理!!wそんなの無理だよ!!w」
高卒で社会人になり、周囲にも認められ始めていた未来ある若者は、愛する妻の言葉にこんな風に返した。
正真正銘の”クズ”。
2020年の今なら、あらゆるSNSで袋叩きに遭っているだろう。

この男こそ、間違いなく僕の父親でした。

この話を聞かされたのは、確か僕が結婚する少し前のこと。
実家に帰省していた時に母親に聞かされました。

聞かされた時、僕は思わずコーヒーを吹き出し、大笑いしました。
単純に面白かったからです。
「言いそうだなw」こう言い返した記憶があります。

思えば、父親に子ども(僕)ができたのは25歳の時。
若者らしく「大きな将来の夢!」を持っていたのかいなかったのか、高校を卒業してからも自分の実家で暮らし、給料は全て趣味の車とドライブに使い尽くし・・

自己責任と言えばそれまでですが、”そう”言っても仕方ないなあとも思いました。
以前noteにも書きましたが、僕は父親のことを「すごいな」と思っています。
具体的に何かと言えば「僕が何とか育ったから」にしか理由は無いんですが。
当時結婚前だった僕や、これから子どもができる僕からすれば、「すごいな」と思ってしまいます。

話を戻すと、
そんな父親のことを一般的には”クズ”だと思ってしかるべきなんですが、何というか、「それもそうだよな」と、むしろ共感できるんです。
言葉や考え方では分かっているけど、やっぱり当事者として目の前に大きな事実(子どもができる)が転がっていれば、嫌になることもあるし、不安になることもあります。

今こうやってnoteを書いているのは、27年前の父親が近くにいるような気がしているからかもしれません。


不安であるか無いかではなく「であると思うこと」

父親の話を思いだし、再び今の自分にピントを合わせてみると、つくづく自分が幸せに思えてきました。

今の僕は、27年前の父親よりもおそらく頭が良いし、多くの方から信頼されているし、夢や希望を持っていたと思います。
ただ一つだけ父親に勝てなかったのは、「自分を自分として受け入れること」でした。
あの時の父親は間違いなく「いやあ〜俺に子育てなんてできねーよwwてか、次はどんな風に愛車を改造しよっかな〜♪」と、”今の自分”を素直に受け入れていたように思います。
確かに一般論・”父親像”からはかけ離れているのかもしれないけど、「そう思っている自分を認識している」ということについては、父親のことを認める必要があります。

少し前までの自分にはそれができませんでした。

できるようになったきっかけは、やはり大切な人のおかげでした。

先月、地元から友人がやってきました。
地元にいる数少ない友人の1人で、いつも突然連絡が来ます。
その友人と、僕が仕事や活動を一緒にしているパートナーと3人でご飯を食べることになりました。

友「ユウヤも、父親じゃんか!楽しみやろ?」

何度も聞いた言葉でしたが、その時は少しだけ違うように感じました。
”言えるかもしれない。”

「いや、でも、怖いよ。」

僕は唐突に喋り出しました。
子どもができたことが嬉しいこと。でも、素直に嬉しいと思えないこと。不安だし怖いこと。

「自分が変化できるんかなって思ったら、結構怖いのよ。。」

じっと僕の方を見る2人。
途切れた間に、友人が飛び込んできました。

友「それを”怖い”って言えるのはスゲーわ。普通言えんもん。」

いいんだ。
怖いって言ってもいいんだ。
不安って言ってもいいんだ。

今の自分を全て受け入れてもらっているような気になりました。

目の前にある事実に、視野が狭くなっているのは僕だけでした。

幸せとは、どの角度から見ても綺麗なもんでもなく、時には嫌いにもなるし、怖くもなる。それを受け入れてこそ、「幸せ」だと言えます。

不安であっても、怖くても、嫌でも、それも全て幸せであるための”味付け”に過ぎません。
でも、味が無いと、美味くもありません。

話すのに夢中になって、七輪の上で真っ黒になったシマチョウをタレに”ジャボッ”と付け、口に放り込みました。
甘かった。苦かったけど、美味かったです。


”止まらない時間”と”間違いの無い事実”

不安なことや怖いことなんて沢山あります。
でもそのほとんどが、「まだ起きてもいないこと」だったりします。

起きるか起きないか分からないことにヤキモキしても、残念ながら事実な変わりません。
事実は「今自分はここにいて、妻がいて、妻のお腹の中で生きている」それだけなんです。

不安に思ったからといって、出産が早くなることも遅くなることもありません。

時間はとめどなく流れているし、事実は揺らぐことなくそこに存在しています。

時間と事実を前にして、僕たち人間ができることは限られます。
というか殆どありません。
目の前にある時間と事実に向き合い、時には目を逸らし、誰かに救いを求め、自分を自分として受け入れるしかありません。

2020年、世界の形が大きく変わろうとしている中、
「もしも、ウイルスのいない世界で子育てができたら・・」
「去年産んでいれば・・」
そんなことを考える人もいるはずです。
もちろん僕も考えたことがあります。

でも、僕たちは無力です。
時間と事実という強大な存在の前に、何もできません。

ただ、苦しみ、受け入れることしかできません。

それこそが「幸せの一部」だなんてことは、後になってから気づくんだと思います。


最後に:全国の不安な父親へ。

今、日本中が、世界中が元気を失っています。
ニュースを見れば、経済界のネガティブな意見が飛び交い、芸能界の痛ましい出来事が降ってきます。
少しでも前向きなニュースを見ようと、アプリを開けば、「変革だ!」「変化しろ!」と囃し立てられます。

疲れてませんか?

僕も疲れてます。

不安じゃ無いですか?

僕も不安です。

怖いですか?

僕も怖いです。

仲間じゃないですか!!
よかった。
あなたがそう思っているからこそ、僕も「自分だけじゃないんだ!」って思えるんです。
どうせなら「幸せ」でいたいですよね?でも、今はそう思えないんですよね?

一緒に、ゆっくりと、考えて、受け入れていきましょう。


いつの日か、自分の子どもが「俺の父親は”クズで弱虫”だった」って、noteに書いてくれるのを夢見て。



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