思い出を綺麗事にしないから、死んだ爺ちゃんを好きでいられる

「そんな大学に進学するなんておかしい!国立大学に行ったほうがいい!」

元気だったじいちゃんの言った言葉で、僕の記憶に残っているほとんど最後の言葉です。

僕にはじいちゃんが2人います。

1人はまだ現役で働いています。母方のじいちゃんです。

もう1人、父方のじいちゃんは四年前に亡くなりました。

といっても、亡くなる前の3年くらいは闘病生活だったし、言葉を話すことも、石を伝えることもほとんどできなくなっていました。

原因はくも膜下出血による脳にダメージで、初期の対処が少しだけ遅れたことも影響しています。(当時一緒にいたばあちゃんを傷つけたくないので、そんな言い方はしませんが)

救急搬送されて僕はすぐに当時の下宿先から病院に向かいました。

その時には既に言葉を発することもほとんど出来なくなりました。

僕の父親は婿養子で母方の実家に入ってきました。

父親には弟夫婦がいて、父方の苗字を継いでいます。

なので、”一般常識”というか、”慣習”に従えば、弟夫婦がじいちゃんの介護をすることが望ましかったのです。

しかし、それは最後まで叶いませんでした。

遠く離れて生活しているということもありますが、めったに連絡もよこさないし、金銭的にも物理的にも、ばあちゃんの支援をすることはありませんでした。

そして、じいちゃんの介護を一手に引き受けたのは、僕の母親でした。

ばあちゃんを車に乗せ、週に何回も病院にいったり、身体を拭いたり、身の回りの世話のほとんどをやっていました。

少しの愚痴はあれど、母親はよく頑張ったと思います。


話を戻すと、

僕の中にあるじいちゃんの最後の言葉は、僕の「大学進学」を否定されたことでした。

高校を卒業する直前、のちに進学することになる大学を含めて、私立大学4校と国立大学1校の合格をもらっていました。
考えた末、僕は私立大学に進学したい旨を両親に伝えました。
両親共応援してくれて、いよいよ進学が決定し、引越しを終えた矢先。

じいちゃんが、私立大学への進学を反対している事実を知りました。

「大学は何があっても国立!」
「国立を蹴って私立に行くなんか考えられない!」

明確な理由はないけども、私立は反対。

まあ、高齢で、かつ田舎なので、こういった意見も少なくありません。

すぐに母親がじいちゃんの元に行き、話をしたそうです。
僕の想いや考え、その大学がどういうこところなのか、何が良いのか、細かく説明したそうです。

しかし、僕の心にはシコリが残ったままでした。

幼い頃から、何をやっても怒らないし、いつも優しいし、好きなものを買ってくれるし、好きなところに連れていってくれるし・・・

大好きなじいちゃんでした。

その大好きなじいちゃん。
僕の心のシコリが消えることはなく、話せなくなってしまいました。

そして亡くなりました。


亡くなってもなお、シコリは消えることがありません。

亡くなった人に対して、僕はなんて薄情な人間なんだと思う時もあります。

でも、やっぱり消えないのです。

じいちゃんのことを真正面から好きでいれば良いのに。


しかし、こうも思います。

シコリとともに、じいちゃんはまだ、僕の心の中に存在感強く残っていく気がするんです。

別に嫌いなわけじゃないので、じいちゃんにまた会いたいと思います。


じいちゃんは、僕の思い出ではありません。

今も、これからも、そのままのじいちゃんで生き続けてくれています。


シコリを残したまま。


<終わり>


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