妻だけは、"幸せになって欲しくない"と思う。
"結婚ってどんな感じですか?"
既婚者であれば、必ず一度は聞かれる言葉です。
なぜか、まだこの国では『結婚至上主義』が蔓延っていて、結婚は誰もが通るべき道のように思われています。
前出の言葉を言う若者の多くも同じように思っています。
お酒が進んでくると、
"やっぱり奥さんは特別なんですよね!"
と言います。
結果として、【結婚】という選択を取っているので間違いではありません。
特別。
特別ってなんでしょう。
あたかも、
その他大勢の"大切な人達"よりも『上』であるように聞こえます。
たぶん一方から見れば、それは「結婚という1人が1人としか結べない関係」であるために、”ちゃんと”選ばれた存在である、という考え方に基づいているんだろうと思います。
*
ただ、僕にとっては、少し違う・・・というより、全く正反対の存在のように思うのです。
言葉を選ばすに言うと、
僕にとって妻は、「その他大勢の”大切な人たち”よりも”下”の存在」のように思うのです。
妻と出会う前、”それなりの”関係にあった女性に対して、僕は「大切にしよう」としていました。
しかし、しようとすればするほど息がつまるように苦しくなり、長く良好な関係を継続させることができなかったのです。
その理由を考えてみました。
僕の中で今のところ行き着いている結論は、
無償の愛を追求すればするほど、自分が空っぽになる
と思っています。
目の前にいる人は、「大切」です。
その大切な人を、その人自身の視点から大切にし、無償の愛を注げば注ぐほど、それは「僕自身がそう(無償の愛を注ぐ)しなくてもいいのではないか」という虚無感に襲われてきました。
つまり、
・相手にとっての最善、究極の姿
・僕自身が「してあげたいこと」
の方向性の違いに気づいてくるのです。
「大好きなはずなのに続かなかった」人の多くは、おそらくこの点において「葛藤」を抱えているのでしょう。
人間は、「煩悩」「エゴ」から逃れることはできません。
無償の愛を注ごうとしても、一瞬の心の隙を突いて「エゴ」が入り込んできます。
「エゴ」は毒ではありません。
むしろ、僕たち人間を人間たらしめている「エンタメ」なのです。
食欲、性欲、睡眠欲、承認欲・・・
それらに支えられて生きています。
その「エゴ」を自身から消し、「無償の愛のみ」を相手に向けると、残るのは、寂れた自分自身の「エゴ」だけなのです。
本当の「愛する人」というのは、
無償の愛と同時に、自分自身の内にある、時には多くの人を傷つける可能性すら孕んでいる「エゴ」を打ち明けられる存在だと感じます。
*
「結婚」をしている人を見て、どう感じますか?
”きっと特別な運命に違いない”
”お互い心の深いところで絆を結んでいるんだろう”
残念ながら、「結婚したくてもできないでいる人」の多くは、そう思っているように見えます。(もちろん、上記のような”絆系”の夫婦はいるとは思いますよ。少ないと思いますが。)
しかし現実のほとんどはそうではないのです。
・会社ではニコニコしているのに、家に変えれば愚痴を行ったり、配偶者に当たってしまったり
・ちょっとしたことにイライラする
・配偶者が異性と親しくしているとモヤモヤしたり怒ったりする
・会社の同僚や義実家だけじゃなく、自分にもっと時間も労力も使って欲しいと思う
既婚者の皆さんは思い当たるフシがありませんか?
「いやいや!自分はそんな人間じゃない!!」
いえいえ、そんな人間なんですよw
*
「エゴ」のことを上とか下とか言うのは憚られますが、
多分僕にとって妻は「エゴ」をぶつけられる存在なんだと思います。
それは妻も同様です。
僕と妻は職場が同じなので、職場でもよく家の話になります。
「奥さん、絶対怒ったりしないでしょ?ミヤケさんのことなんでも受け止めてくれそう〜(笑)」
もちろん、そうなんですが、
妻だって「エゴ」をぶつける時は普通にあります。
怒る時もあります。
でも、それは人間にとって至極当然はことです。
だから僕は妻に、その他大勢の人たちに対する「100%フルパッケージの愛情」を注ぐことはできません。
僕は妻の幸せを一部奪わせてもらい、自分の「エゴ」を消化するために時間も労力も使ってもらいます。
それが、僕たち夫婦の本当の姿です。
*
<終わり>
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