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ウズベキスタン滞在記 その1 タシュケント 12月12日

ウズベキスタンのタシュケントに住む、詩人で翻訳家のアザムさん(Azam Abidov)を訪ねたのは2023年12月12日の夜から18日の夜までの約一週間であった。タシュケントをはじめ、彼の出身地であるナマンガン、「青の都」の別名もある観光地サマルカンドを案内していただいただけでなく、彼のご自宅や彼の実家、また彼の友人宅にまで泊めていただき、本当になんと感謝して良いかわからないほどである。ありがとう、Azam!
そもそもどうしてアザムさんと知り合ったのか。それはコロナが世界で流行する前に、ルーマニアのコンスタンツァに住む、タタール人の血をひくタネルさん(Taner Murat)の主催したzoomによるinternational poetry festivalで初めてアザムさんと会ったのであった。ちなみにタネルさんは、中央アジアの少数民族の言語の行末を非常に心配しており、彼の夢は絶滅するかもしれない、それらの言語の研究センターを作ることだという。その話を聞いて、私は中央アジアに興味を持つようになったのだ。
さて、ウズベキスタン航空の直行線、成田→タシュケントがない冬なので、ソウル仁川国際空港経由で
夜遅くに私は小雪舞うタシュケント空港に着いたのであった。
預けた荷物がなかなかBaggage Claimにでてこなかったので、空港に迎えに着てくれたアザムさんに会うことが出来たのは、夜10時過ぎであった!
すみません、アザム!
さて、空港の反対側にあるという、アザムさんの自宅に着いたのは、夜11時ぐらいだったと思う。
にもかかわらず、アザムさんの奧さま、次男、三男の家族の方が嫌な顔一つせず、あたたかく、迎えて下さったことに、感謝感激!(ちなみに、後述するが、長男の方は、アザムさんの実家近くのナマンガン市に住んでいるのである。)
本当にありがとうございます😊
ちなみに、自宅に向かう途中、アザムさんの車の中で、アザムさんが教師育成の大学出身のこと、いかにウズベキスタンで教師が冷遇されているか、どいうこと、ウズベキスタンで表現者でいることの在り方、などを色々聞くことが出来たのであった。
アザムさんの家に着くと、アザムさんと奧さまから、ウズベキスタンの美味しい前菜や、チキンの煮込み料理をいただき、まさに感涙ものの歓迎でありました。

一首
タシュケント空港のバゲージクレイムで諦念とともに手荷物を待つ


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