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【そろそろ、アニメ演出家は消滅するのかもしれない】


まず、アニメには「演出家」がという職分があります。
「監督」ではなく「演出家」。
シリーズアニメで、各話数での監督のような存在です。
「監督」は全話数を大きく管理し、「演出家」は(監督の下で)1話数単位で作品を管理する。
例えば、「1話と5話と10話の担当演出です」なんて言ったりする。
監督と演出が大きく違うのは、作品の根幹に関わる部分での決定権は演出家にはないという事。
例えば、シナリオの決定権、キャラクターデザインや設定デザインの決定権、声優さんキャスティング・劇伴発注などの音響周りの決定権など…。
でも、各話演出家としてシリーズに参加しながら「副監督」などの任を手にすれば、それら根幹部分への発言権も手に入ったりもする。(東映さんは各話演出家が音響周りまで監督できると聞きますよね)

具体的な現場でどうという話ではなく。私が演出や監督をやらせて頂くようになって約20年、現場的に改善/悪化した部分はあるものの、「演出家」という職分は随分と肩身が狭くなってきたなーと思っていまして。
「いま過渡期なのかも、どこかにこの状況を記しておきたいな」とメモを取り始めたら膨大になってしまい。だったらこうして読んで頂くのもアリかと思った次第です。2021年9月、演出家の現在地点です。(気まぐれに消すかもしれません)

では早速——
まず、もともと「演出」という仕事がとても曖昧で、他人に理解してもらうのが難しいという部分があります。(現場現場でも色々と役割の幅が変わったりすることも理由だと思うのですが)

一話数での、演出家の最低限の仕事内容を時系列順にいうと、
作画打ち合わせ、レイアウトチェック、原画チェック、カッティング、アフレコ、各話ボード打ち合わせ、色背打ち合わせ、特効打ち合わせ、ダビング、ラッシュチェック、オールラッシュ(ラッシュを全部繋げたもの)、V編(納品)となるのでしょうか。
スケジュールが悪い場合は、ここにアフレコ用コンテ撮素材作り、ダビング用タイミング撮素材作り、マーキング、二原打ち合わせ、効果用メモ作成、タイミング撮チェックなどが追加され、忙しいのにより仕事が増えてしまう悪循環になります。
また、シリーズにコンテ&演出(処理)で参加している場合、
「作画打ち合わせ」の前に、「コンテ打ち合わせ、コンテ作業」が加わります。

上記のように、演出家の仕事は一話数の全体を見渡す仕事で、全セクションの事に理解を持ち、スケジュール感覚も持っていないといけません。この視点を持っているのは、演出家とその話数担当の制作進行しかいません。演出志望の新人さんにとって、制作進行の仕事が一番の勉強になるのはそういう事なんでしょうね。

そこで演出家を大きく二分するポイントがあります。
画が描ける演出家か。画が描けない演出家か。というポイントです。
ここでいう「画が描ける」というのは、「セルアニメ的な画が描ける」かどうかという事です。
なので、セルアニメ的な画は描けないが絵コンテを描く演出家の方もいます。(混乱してきますよね)
丸チョンの画で絵コンテを描くという事です。もちろんそれには、芝居、構図、イマジナリーライン、頭身、カメラワークなどはしっかりと指示されています。立派な絵コンテです。
それで言えば、私個人の立ち位置は「画が描ける演出家」の方に入ると思います。
ただ、それは条件付きで「原画は描けないが、画が描ける演出家」、もっと正確に言えば「原画は描けないが、BG原図やラフ原画までは描ける演出家」といった所でしょう。もちろん、その時の現場やコンビを組む作画監督さんによっても変わりますが。

例えば、画を描けない演出家にとってレイアウトチェック時にできる事は以下です。
構図の調整、ポーズ合わせ、ライティングの確認、キャラクターの芝居や表情や視線の管理、原画作業時に必要な素材の確認メモなど、主に言葉でのチェック。それらを踏まえ、画での修正は作画監督が行います。
一方、画を描ける演出家は、その段階で画の修正もすることになります。
「え、どうして?それは作画監督の仕事でしょう?」そう思いますよね。
ですが、現状のアニメクオリティだと、作画監督は動きを見れるものに直しキャラクターを似せる事で時間的に精一杯で、背景的な空間作りにまで手が回りません。よって、BG原図は部分的な修正か、そのままノーチェックになってしまう場合が多いのです。そこで、BG原図の作成を画が描ける演出家が担う事になります。そうすると驚くほどその話数のクオリティが上がります。
(事前に3D空間を作っておいて、3Dレイアウトを作れるシステムをシリーズで用意しておいたり、絵コンテの段階で拡大コピーでBG原図になるように緻密に描き込んであるコンテがあるのも、その為だったりします)
もともと、BG原図(カメラ位置やアイレベルの設定)というのは演出の大きな役割ですから、そこはどうしても譲れない部分です。
以前だと何となく一緒くたにされていた「演出家」という職種ですが、時を経て仕事量が変わり、「画が書ける演出家」と「画が描けない演出家」の間には大きな隔たりができてしまったのです。
現状、テレビアニメ一本において携わって頂く原画さんは20人から25人くらいいます。作画監督は3人から5人、総作画監督が1人といった所。
20年くらい前までは、原画さんは10〜15人、作画監督は1人、総作画監督はいませんでした。(もちろん、作品によります)
もっと昔では、原画さん5人、作画監督はシリーズ通して2人などもよく見かけました。
なぜこうなったのでしょうか。
テレビアニメの作画に求められているクオリティが異常なほど高くなったのです。「異常なほどの描き込みを要求されている」といった方があっているでしょうか。(普通に線の数だけを見てみて下さい。膨大に増えています。もちろん、線が増えた分、それだけチェックの時間がかかります)
それに引き換え、アニメーターさんの労働環境は少しずつ整ってきたとは言え、しっかりとした教育システムを持っているスタジオは少なく、基本的なアニメータースキルを身につける前に原画マンとしてデビューしてしまっているという現状も事実だと思います。
要求されているクオリティに対し、才能の供給が全然足りていないのです。
そんな現状の中、「画が書ける演出家」が重宝されるようになったのです。

少し横道に逸れます。
私などが「画が描けない演出家」などと言うと不遜に聞こえてしまうかもしれませんが、私自身、本来演出家は画を描かない方がいいと思っています。演出家が画を描いてしまったら、それ以上にはならないからです。アニメーターという他者から「それ以上」を引き出すには、言葉を他者に与え、内発的に変わって貰い、「それ以上」を描き出して貰うのが本来の演出だからです。それが集団作業の創造です。
「画が描けない演出家」ではく、演出家とは本来「画を(意図的に)描かない演出家」であるべきだと私は思っています。(例えば、高畑勲監督などがそれにあたると思ってます)

……ですが、そういう理想は、現状の忙殺されるアニメ制作において何の手助けにもなりません。
演出家にとって、画が描けて損することは一つもないのです。
ならば、BG原図やラフ原画が描ける私はさぞ業界で重宝されるようになったのか…。いや、悲しいかなそうでもないのです。
その仕事は、もともと画を描いている演出家志望の若手アニメーターたちへ回るようになってきたのです。
水は低きに流れ、人は易きに流れる。
演出家志望の若手アニメーターたちを「演出家」として作品拘束しておけば、危機的な状況の時に作画監督の補佐や原画を描いて貰う事もできる。それこそ万能な演出家です。

そしてその流れは、業界全体を見ても自然な成り行きだったのかなとも思えてきます。主に三つに分けて具体例を上げてみます。
一つ目、原作マンガのアニメ化が業界の主な仕事になった事。
昔のように原作マンガをアニメ版に改変したりする作り方ではなく、そのものをアニメというジャンルに変換する。「ガワに落とし込む」「外見を整える」作り方が増えてきた事。
監督に独自の原作解釈も思想性も求められてはいないし、演出的改変など以ての外、むしろ原作をなるべくそのままシリーズ構成化し、アニメにトランスレーションする事を求められたりする。演出家が提供できるのは、純粋にアニメ技術のみ。そうなるとやはり「画が書ける演出家」が求めらます。
それと、リスクヘッジからなのでしょうか、ワンクール作品が一般化してきた事もあると思います。
昔、「一年モノをやったら一人前だよ」なんて昭和の先輩に言われたものでしたが、一年モノはおろか2クールモノも本当に少なくなりました。(現場は2クールなのに、〝放映時はワンクール扱いで、半年ブランクを挟んでもうワンクール〟のパターンも増えましたね)
ワンクール作品だと、作品を少人数でコントロールする事がギリギリ可能になり、メインスタッフの作家主義を浸透させられる状況が作れる事も作用しているように思います。
例えば、2クール作品だとシリーズ構成が一人、脚本家が3.4名必要で、レギュラー演出家が4.5人必要といった感じでしょうか。
ですが、原作付きの1クールものなら、脚本家は一人で充分だし、監督が一人いれば、あとは2名ほどの演出家がいれば作れてしまったりします。(この場合、少人数にした事で浮いた経費をメインスタッフの拘束期間延長に回し、スケジュールを確保するという算段が必要になるでしょうが)
で、この状況が変容していき、最近現場でよく目にするのは、
監督が一人と、あとは2.3名の演出助手。というパターンです。
私が体験した事で言えば、「あれ?演出として呼ばれて来たけど、やっている仕事は演出ではなく演出助手じゃね?」という事が増えてきたのです。
頂いた依頼で驚いた例を言えば、
「既にアフレコが済んでいて作画打ち合わせも終わってるんですが、レイアウトチェックから演出をお願いしたい」とか、
「3分の1パートだけ演出をお願いしたい」
「2.3日で終わるお手軽演出、コンテ撮作りもありますよ」
といった依頼が来たことです。
本来、演出は話数一本分を一人で管理する事が仕事で、その演出家の間合いでセリフ尺を計り、そのリズムで一話数を統一する事が仕事のはず。それが、作画監督が一人でなく3人、4人と増えていった事に比例し、いつの間にか演出家も1.2人と増えていってしまったようなのでした。それはもう演出とは言えない……。そう、必要だったのは「演出助手」なのです。

二つ目は、先ほど触れた「テレビアニメの作画に求められているクオリティが異常なほど高い」という問題と通じているのですが、スタジオでの〝作監さん依存の常態化〟があげられると思います。
作画崩れを出してはいけない——
今の現場ではこの言葉は呪いのようです。動画検査さんに求められている仕事量は半端じゃありません。V編当日、24時間態勢で「顔が緩いので修正」「キャラが崩れているので修正」の100本ノックです。
むしろ「動き」でしょう?むしろ「歩き」だし「振り向き」でしょう?と思うのは昭和の演出(私)だけです。
スタジオでの〝作監さん依存の常態化〟の理由の一つは、
画の上手い人はいつも少ないのに、作品数だけは多いという現状です。ほとんどを作監さんが修正しないと成立しない。
それともう一つ、〝作監さんには、スタジオとしてこの作品だけでなく今後もずっとお付き合いして頂きたい〟という絶対地位が与えられ、制作サイドから畏怖の存在となってしまう事です。
要するに、恐れ多くて制作さんが作監さんをコントロールできない。つまり、すぐに「スケジュールは作監次第」になってしまうという事です。現場で監督より偉い作監さん、プロデューサーより偉い作監さん、例を出せば枚挙にいとまがありません。
(勘違いして頂きたくないのは、アニメーターの低賃金問題が解消され、そのバックラッシュからこうなったというわけではありません。アニメ業界は相変わらず貧乏ですし、当たり前のギャラを提示されたくらいで顔がニヤけてしまうほど皆爪に火を灯して生活しています)
「スケジュールは作監次第」となってしまった現場では、各話でのディレクションより高クオリティ作画の維持が優先され、必要なのは手っ取り早い演出助手になります。こだわりやクセは要らず、まだ思想性のない演出助手の方が都合がいいのです。制作さんが欲しいのは、「下働き上等の『演助力』」なのです。
(それに、「演出助手」はそのスタジオにいた元制作さんが多く、フリーランスになる前の契約状態でまだスタジオに属している場合が多いのです。つまり制作デスクやプロデューサーにとっては元部下、それを都合のいい演出家としてコキ使えるという)

三つ目は、作業のデジタル化によって演出家による撮影入れの素材チェック、「撮出し」という工程がなくなった事にも一因があります。
アナログの頃は、「撮出し」段階でセル画/背景/タイムシートの最終素材確認をし、撮影指示をしていましたが、現状では原画チェック時に最終素材を想像して、先に撮影指示を入れています。
なので、本質的に素材を重ねて完成画面を確認するのは、各データをコンポジットしている撮影監督という事になります。
気の利いた画面処理を加え、失敗をデコレートして隠してくれる撮影さんが、今は「撮出し」をしているのです。
良い撮影監督がいれば、演出家でなく演出助手で充分。これも要因の一つかもしれません。

そんな訳で、〝そろそろ、アニメ演出家は消滅するのかもしれない〟と思った訳です。
取り止めがなくなりましたが、改めてまとめますと、
「画が描けない演出家」に、「絵描きから出てこないアイデアや刺激を」という純粋演出を求めるような余裕が業界にはなくなってしまった。
原作モノアニメ、際限なく求められる高クオリティ作画、作監に依存するしかない現場。
「画が描ける演出家」も、BG原図修正や撒き直せない一原を黙って描き直してくれているのならいいが、監督と一致しない演出的嗜好やクセは作家主義の邪魔になってしまう。ならばむしろ、現場は下働き上等の『演助力』が欲しい。
言葉は残ったが、中身が変わってしまった。
確かに、アニメ業界に限らず、そのような状況を至る所で散見するようになりました。
原画マンにレイアウトチェック済は戻されず、原画マンは原画を描かない。
作監とは名ばかりで撒き直せない原画を描き直す係で、総作監がもはや作画監督。
カッティングという名のアフレコ用素材作り、マーキングという名のカッティング(定尺出し)、
動画検査さんに動画を検査する時間は与えられず、撒き前チェックとリテイク処理で代用する。
本番は無く、永遠にリハーサルとリテイクを繰り返し、「納品」に引き上げて貰う。
完成という名の納品。
演出家という名の、演出助手。
さて、どうしましょうか。

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