インストラクションミュージアム構想|#InstructionMuseum part1 (後日、英訳も追加します)

はじめまして、主に現代美術の業界でインストーラーという仕事をしている宮路です。インストーラーという職業を聞きなれないかた。僕の職業について知るには下の記事がおすすめです。お時間ある時にお読みいただければ嬉しいです。

早速ですが本題に。タイトルにあるインストラクションミュージアムとは僕が数年間「あたためていた/ 行き詰まっていた」プロジェクトです。完結にいうと「ウェブを軸にインストラクションアートを収蔵する美術館をつくる」というプロジェクトです。

なぜアイデアの段階で記事にまとめ始めたのか。行き詰まってるのも一つの理由です。ですが、コロナ禍含め色々な状況をみていると、今こそ動き出すべきかなと思いタイプし始めました。

このプロジェクトはとても奥深く複雑な構造しています。伝えたいことも多いですし、必要な予備知識も多いです。幅広く多くの人に伝えようとすると文量がとても多くなってしまいます。

そもそもインストラクションという言葉を聞きなれない読者も多いと思います。加えて、インストラクションアートインストラクションは違う意味として働きます。さらにさらに、それを収蔵するこのプロジェクトとは?詳しく説明するために全部で5つの記事にわけて解説してきます。

part1_インストラクションとは?|プロジェクトの概要
part2_インストラクションアートとは?
part3_インストラクションミュージアムの設計思想とその構造
part4_インストラクションミュージアムが世界を更新する可能性
part5_これからすること|具体的な展開

複数の記事を必要とするこのプロジェクトの魅力とは?時間がない読者に興味をもってもらうために魅力の一部をリスト化してみました。なぜそうなるのかは今は説明しきれません。興味をもたれた読者は複数の記事にわたってお付き合いしてくださると幸いです。

・展覧会のための大幅なコスト削減
・アーカイブに関する思想の更新
・いままでにないスケールでの長期作品保存
・美術史のための新しい研究方法
・マクロ視点での創造行為の研究
・新しい価値空間/価値基準の量産

僕が一番興味があるのは新しい価値基準を量産できるかもしれないことです。それは過去の作家や作品の再評価にもつながります。既存のアートワールドでは評価されてこなかった多くの作品が生き残れる可能性も秘めています。

創造行為や美術史の全く新しい研究方法が生まれる可能性もあります。1億年後まで作品を残すこともできるかもしれません。アート業界が出していたCO2も大幅に削減されるかもしれません。

こういった様々なイノベーションがおこれば面白いと思いませんか?これはとてもエキサイティングでチャレンジングなプロジェクトです。そして僕は現代のアートワールドに必要なプロジェクトだと考えています。

それではインストラクションの説明に入ります。

インストラクションとは

みなさんはインストラクションという言葉をきいたことはありますか?weblio英語辞典によると「instruction:教育、命令、説明書」などとあります。現代アートの業界では「インストラクション:指示書」として使われることがほとんどです。それは展示における指示であったり、観客にあてた指示であったり、保存方法の指示であったり、指示書自体が作品であったりします。

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現代美術は多くの要素で構成されている複雑な作品が数多く存在します。ちょっと配置が違うだけで意味合いが変わっていまう作品もあります。世界中を移動する作品を、作品の作品たり得る部分を変えずに展示することは、実はとても難しいのです。

置く場所が違うだけで違う作品になる

例えば、「北に赤い壺」があり、対面の「南に青い旗」がたっているという政治的な意味がある作品があるとします。読者のみなさんはどこの国を思い浮かべましたか?これは方角には文脈があってそれを利用した作品ですね。

しかし、過去の展示風景からは方角の重要性が読み取れない場合があります。この作品を「東に赤い壺」「西に青い旗」を配置してしまうとどうでしょう?思い浮かべる国が変わってきませんか?

このような事故をさけるために展示指示書/インストラクションというものがあります。僕が普段インストーラーという仕事で関わっているインストラクションとはこのようなものが多いです。

過渡期にあるインストラクション

インストラクションという分野はまだまだ過渡期だと思います。必要最低限の情報が含まれていないことや、数年後には機能しないインストラクションは少なくありません。マーケットでもミュージアムでも混乱がみられます。たった今、急速に発展している分野といってもよいでしょう。

作家やギャラリーから送られてきた展示のためのインストラクションを現場で使える内容に書き直すことは少なくありません(作品を損なわないよう最大限の配慮と確認とともに)。最近では、データや機材、テクノロジーや状況を含んだもの、そもそも設置方法が複雑な作品など。様々な作品のインストラクション制作依頼も入ってくるようになりました。(面白いお仕事お待ちしています)

インストラクション制作という仕事は「技術的な知識」「現場での経験」「アートリテラシー」の三つが最低でも必要です。技術者とアーティスト、または鑑賞者としても多くの経験が必要になってきます。おおげさかもしれませんが、僕は自分が国際的なレベルでこの分野の第一人者になれる大きな可能性があると信じています。

理由は経験の豊富さです。インストーラーとして複数の国で多くの現場を経験しているということ。作家としてもアーティスト・イン・レジデンスで複数の国で滞在経験があること。両方の活動の中で多くのアーティスト、キュレーターやコンサバターとインストラクションの状況について情報を得ていること。こういった経験をしているからこそ書けるインストラクションがあります。

自画自賛ですが、僕以上にこのジャンルで可能性のある人物は世界中探してもなかなかいないと思います。意図して活動していたわけでなく偶然の展開なのですが、せっかくのなので過渡期であるインストラクションに良い変化をあたら得られるように、今後も努力していきたいと思います。

では、どんな風にインストラクションについての話題が世界中でさかんなのか解説していきます。

ナムジュンパイク問題/保存のためのインストラクション

ここ2~3年、各国のアーティストやキュレーター、コンサバターとインストラクションの重要性について語ることが本当に多いです。しかし、ナムジュンパイクの問題に関しては、実はもっとずっと以前から語られ続けています。

動画からわかるように、ナムジュンパイクは最先端のテクノロジーを取り入れ続けた作家と言えます。1980年の最先端は2020年の40年前、当時のハイテクは現代のアンティークのようなものではないでしょうか?

では、パイクの作品はアンティークのように、壊れていくのは時間の蓄積として見守るべきでしょうか?アンティークといえど修理補修は行われます。絵画だってそうです。ブラウン菅を修理し続けて維持するべきでしょうか?

現実には、ブラウン菅の修理はとても難しく、作品維持が難しくなってきています。映像が流れなくなったパイクの作品も作品として鑑賞者は許容できるでしょうか?または液晶などに置き換えて映像が流れるよう維持するべきでしょうか?

ナムジュンパイクの作品が機械的な故障を起こすこと、また修理が極端に困難なこと、さらには彼が最も古く有名なテクノロジーを利用したアーティストであることなどを理由に、コンサバターの間では頭を抱える作家の筆頭となっています。

映像が流れることは作品を成立させるために必須なのか?当時の技術であるブラウン管を利用することが作品を成立させるのか?ナムジュンパイクはきっちりと名言しておくべきだったのかもしれません。

インストラクションには作者の意図や要望を遺言のように数百年後まで残せる可能性があります。展示技術同様、インストラクションについても美術大学では教育するべきなのかもしれません。

このように、インストラクションとは作品を設置するのみでなく、維持管理していくためにも重要な働きをします。そしてコンサバターの現場では、お亡くなりになった作家のインストラクションをどう制作して美術館で作品を保存していくのかは長く話されている話題の一つです。

テセウスの船/同一性の問題

インストラクションに関する話題は、時に思考実験的な話題を誘発します。テセウスの船という思考実験をご存知でしょうか?

テセウスの船は、朽ちた部分の木材が修理のたびに新たな木材に置き換えられていきました。全ての木材が入れ替わった時、それはもとの船と同じといえるでしょうか?

解説をスムーズにするために、同一性/identityとう言葉を使いましょう。英語では聞きなれても日本語で使うことはあまり無いのではないでしょうか?同一性をどう担保するかはインストラクション制作の上でとても重要です。特殊な言葉なので、例を出しながら間接的に解説します。

テセウスの船においては、「大量生産品のように船の構造や設計が同一性を担保するのか?」「木材という物質が彫刻のように同一性を担保するのか?」が議論の分かれ目ではないでしょうか?もう一つ例をだします。

昨日遊んだ川で今日も子供が遊びました。川に流れている水は昨日流れていた水とは違います。子供は昨日と同じ川で遊んだと言えるでしょうか?

この思考実験はテセウスの船よりは美しくないですね。なぜなら多くの人が川の同一性は場所(住所や地域の名前、緯度軽度など)が担保していると考えるからです。あまり意見は別れなさそうですね。

他にも同一性をどこで担保するのかを議論する思考実験は数多く存在します。何をもって同じということを証明するか。銀行の中の1000円と財布の中の1000円は同じものでしょうか?などなど

思考実験の例から「同一性をどう考えるか」に慣れてきたのではないでしょうか?アーティストとインストラクションについて話す時、このような思考実験の話に発展することが多いです。

翻訳されたインストラクションは同一のインストラクションと言えるでしょうか?同じインストラクションから制作された作品、展示場所がもつコンテクストで意味が変わってしまった場合も同じ作品と言えるでしょうか?作家が集まればこの手の話題はつきません。

話題のたねとしてではなく、作品のパッケージングとしてもインストラクションはアーティストにとって重要なものです。「自分の作品を最高の状態で展示してもらうために」「出来るだけながく適切に保存してもらうために」インストラクションに着目しているアーティストは少なくありません。

インストラクションはどうあるべきか

インストラクションの話題で盛り上がる時、同一性やテクノロジー、修復の話題の他にも盛り上がる話題が沢山あります。3Dプリントや映像などのデータを含む作品の取り扱い。time basedと言われるような時間軸のある作品。インタラクティブや一部のパフォーマンスのように鑑賞者を取り込むような作品はどのようにインストラクションを制作していくべきでしょうか?

さらには、ティノ・セーガルのようなインストラクションを書面やデータにせず、キュレーターに口頭で伝えるという作家もいます。彼は領収書も契約書も作品のアーカイブも残さない作家です。

彼にとって、いかに作品を残すかという視点でなく、いかに今この時間に価値をおくかが重要なのでしょうか?作品や活動に続く全てにこだわる彼は、「口頭」というインストラクションとしてのフォーマットまでこだわり抜く完璧主義な作家なのかもしれません。

セーガルは特殊な例ですが、インストラクションが作品の在り方と地続きであることは間違いありません。作家はインストラクションを残すことについてアーカイブ写真の撮影よりもこだわらなくてはいけな時代にさしかかっています。

作品が作品たり得る根拠を明確にしない危険性をパイクから学んだと思います。あたなの作品が意図しない意味をもって展示されること/保存修復されることをあなたが作家なら許容できるでしょうか?

美術館やギャラリーにとってインストラクションは梱包と同じくらい重要な存在になっています。そうでないと保存修復の指針がないわけですし、ギャラリーとしてはパッケージングとして不完全なままコレクターに作品を売ることになります。もちろん、作品の設置方法やアフターケアにも繋がります。

「インストラクションとはどうあるべきか?」は現代のアートワールドにとって考えるべき重要な要素で、アートの未来を左右するのは疑いにくい事実です。

次回解説するインストラクションアートはアートワールドに必要な機能としてのインストラクションとは意味が異なります。しかし「指示する方法」を発展させていくためにインストラクションアートの促進はとても重要です。現在執筆中ですので、楽しみにお待ちください。

おわりに

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