奇をてらう「ニセモノ」からの卒業

2014年1月から映像撮影を始めた僕は、今月でようやく映像撮影歴6年ということになる。

会社を辞めて独立してからは4年半ほど経ち、独立したてのホヤホヤの気持ちもなくなってきて、どうやったらもっと売上が伸ばせるかなぁとか、「好きなことで生きていく」の次の段階を考えているところかなと。

そして今までの映像をやってきた6年間を振り返ってみると、僕はだいぶ長い期間、奇をてらう「ニセモノ」だったんだなぁ、とふと考える。

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映像撮影の初期の僕は、「一人マルチカメラ」を、なんともへんてこりんな格好でやっていた。

「片手で3カメ手持ちしてます!」というと、だいぶおかしいとは思うけど、当時の僕はこんな感じだった。

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EOS M+EF-M50-200mmを3台プレートにつけて一脚につけて持っていた。これで手持ち感のある映像が3台分撮影できて、全景を入れて4カメスイッチングの映像撮影ができるというのが、撮影1年目で僕がたどり着いた方法である。バンドばっかり撮影していた当時は、ボーカル・ギター・ベースがそれぞれ別の手ブレしたカメラで撮れることが革新的だったと感じた。王道なやり方よりもこっちの方が面白いじゃん!と思っていた。

僕は当初、頑なに「普通の撮影」をしたくなかった。この革新的な方法を突き詰めていって、独自の撮影スタイルを確立する気まんまんであった。

よく考えればわかることだけど、この方法では撮影のミスもとても多く、「仕事」としてできるかと言われたらかなり怪しい。一応、この方法でいろいろなライブ撮影をしたからこそ、編集だったり撮影の感覚というのはだいぶ磨かれていったとは思う。

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映像撮影2年目の後半、会社を辞めてしまった僕はツイッターとブログを頑張ることになる。食っていけるだけの仕事量が全然まだまだない状態で、まずは人の目を引かないと、注目されないといけないと思った。

前にも書いたと思うけど、ツイッターのフォロワーは22000人まで増やした。「増えた」のではなく「増やした」だった。買ったわけではないけど、リフォロー狙いのフォローを繰り返す毎日。そんな方法でフォロワーを増やしても、仕事は特に増えなかった。お情けでもらったリフォローは、僕への興味ではないのだから。

「音楽撮影プロデューサー」という肩書の元、仕事をしつつネット発信していると、ある日ブログがバズった。

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この時のバズではアンチコメントもよくあったのだが、今考えると批判されるのもよくわかる。このブログはバンドマンへの激励の気持ちというか、音楽活動をすすめる上で役に立つ考え方を発信しようと頑張って書いたものだが、書いた本人が音楽で成功しているわけではない。しかも実績のない状態で「音楽撮影プロデューサー」という謎の肩書で発信していたから、そりゃあアンチも増えるというものだ。

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僕は奇をてらっていた。なぜ奇をてらっていたのかといえば、それは、実績のない状態で、フリーランスとして仕事をして生きていくためだったんだと思う。

王道の道を進めば、必ず上がいる。自分より先にやっている人、自分よりクオリティが高い人、「ちゃんとしたプロ」の人など、当時の自分は、王道を進むのが怖かった。自信もない。そりゃそうだ、中高生から映像を志していた人、専門学校で映像を学んだ人、誰と比べても、捧げた時間も熱量も足りていない。

それでも会社は辞めてしまった。フリーターになるつもりもないし、再就職なんてもってのほか。それなら、できることは、注目を集めることくらいだ。自分のスキル・クオリティでも欲してくれる人は必ずいる。だからこそ、奇をてらって、注目を集めて、仕事を獲得する。王道を行くよりも、「本物の映像屋」になるよりも、そちらの方が早いんだ。

今だから言えるけど、僕はずっと「ニセモノ」の映像屋だった。知識も技術も経験も、何もかも足りないまま、「映像やっています!」というだけの存在だった。そして、そのはったりが割と通用してしまった。僕はニセモノを続けながら、その後何年も映像撮影をやっていった。

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2019年1月、これも今だから言えるが、僕の仕事は激減していた。いや、ちょうど仕事の少ない時期が重なってしまっただけだったと思うが、何も仕事がない状態が3週間くらい続いていた。

その時、僕は「舞台撮影の業者に営業しよう」と思い、都内の業者をいくつか探し出し営業メールを送った。結果的には、その中で2社ほどと現在も仲良くさせてもらっており、定期的に外注カメラマンとして仕事をしたり、編集をある程度任されたりしている。

今まで奇をてらって注目を集めようとしていた僕は、いつの間にか映像撮影の業者の仕事の一旦を担えるくらいには、映像屋になっていたのだ。

その頃からか、僕は、奇をてらう「ニセモノ」から卒業して、本物にならないとだめだと感じた。いつまでも「ニセモノ」では、これ以上先に進めないということを、仕事量というのを通して肌で感じていた。そして、ニセモノの自分の実力が、ようやく本物に追いついてきていることもわかった。

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ニセモノは、偽物と書くが、「似せもの」とも書ける。本物ではないが、似せようとしている。似せようとすることを繰り返し、何年も続けると、それはもはや似せものではなく、本物になるのかもしれない。

独立した当初、「プロのカメラマンの宮原さん」と紹介されることにものすごい抵抗があった。僕はまだプロではない、ニセモノだと思っていたから、プロと呼ばれることが嫌だった。それでも仕事は、もちろんプロとして受けることになる。「プロだと名乗ればプロになる」と誰かが言っていたが、それを背負えるほど僕のメンタルは強くなかったから、当時は割とつらかった。

今、僕はやっと、「映像屋としてちゃんと本物になりたい」と思えるようになってきた。ニセモノとしてどうやってやり過ごすかではなく、似せものをやってきた自分が、やっとニセモノを卒業したいと思えるようになった。

奇をてらっていた過去を否定しているわけではない。過去の自分が奇をてらって、ある程度でも注目を集められたからこそ、独立1年目2年目の仕事の獲得にもなっていただろうし、自尊心を失わずに映像撮影を続けてこれたのだと思う。ただ、そのタームはそろそろ終わり。いつまでも似せてばかりでは、これ以上先に行けない。

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奇をてらうのは悪いことじゃない。新しい発見もあるし、ちゃんとした似せものになれれば、それがそのうち本物になっていく。だからこそ、今、ちゃんと自分の意思で、決めよう。

奇をてらう「ニセモノ」から、卒業しよう。僕は本物になっていく。

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