優れたアイデアを生むために、なぜ「たくさん」考えることが必要なのか
ニュートンはリンゴが木から落ちるのを見て、万有引力を閃いた。
誰もが知っているこの逸話。実はその真偽は定かではないらしいのだけど、この逸話は、私たちにある重要なヒントを与えてくれる。優れたアイデアがどのようにして生まれるか、ということについてだ。
この逸話だけを聞くと、まるで天才が、いとも簡単に、何の苦労もなく、万有引力を思い付いた、とも受け取れる。
しかし、果たして本当にそうだろうか?
コピーライターとして学んだ「たくさん」考えるということ
私がコピーライターになったばかりの頃、最初に叩き込まれたのが、とにかくたくさんアイデアを出せ、ということだった。
コピーであれば、ひとつの課題につき100本。アイデアであれば、ひとつの課題につき100個。A4用紙にひとつのコピー・アイデアを書いて、その束をクリエイティブディレクターに見てもらう、ということを本当にやっていた。
当時は「そういうものだ」とただ受け入れて言われた通りにやっていたが、今なら何故それが必要だったのかがよくわかる。
アイデアの質は、考えた時間に比例するのだ。
思考力より思考量
私が仕事をする上で、ひとつの指針になっている言葉がある。
思考力より思考量
あるクリエイティブディレクターが言っていた言葉だが、初めて聞いた時から、今までずっと、忘れられないでいる。
「アイデアを生む」という行為は、生まれ持った才能、センス、テクニックなど、自分の努力ではどうにもならないものであるかのように語られることが多い。それこそ、冒頭のニュートンの逸話のように。
しかし、生まれ持った考える力=思考力よりも、とにかくどれだけ長く考えたか、という思考量のほうが圧倒的に大事である、というのがそのクリエイティブディレクターの考えだった。その課題について、世界で最も考えた人間であれ、と。
コピーライターという職業も、気の利いたコピーをパッと一瞬で閃く人間であるかのように扱われることがあるが、当然そんなことはない。「脳味噌から血が出るほど考えろ」というような言葉があるぐらい、圧倒的に「量」の世界なのである。
「うまく待つこと」と「ものすごく追求すること」
「ポリンキー」「バザールでござーる」「だんご三兄弟」「ピタゴラスイッチ」などの生みの親であり、東京藝術大学の教授でもある佐藤雅彦さんは、「アイデアを生む」という行為について、あるインタビューでこう語っている。
僕は「うまく待つ」って言っているんですけど、そういうものを見出す自分でいるように、うまく待っている。見過ごさないように。当たり前だと思っていることが実は当たり前じゃない、ということがとってもあるんですよね。
それと、これは鍛錬なのかもしれないですけど、いろんな場合の数、無数の場合の数を頭の中でやる訓練というか。全部「この場合、この場合、この場合……」全部「つまんない、つまんない、つまんない……」って頭の中でガシガシやっているうちに、セレンディピティというんですかね、たまたま何かのものが見えたりしたときに、それがガーンと来るジャンプの映像だったりしますね。
だからやっぱり「うまく待つ」ということと、「ものすごく追求する」ということだと思いますね。
ー新しいものは"つくり方"から生まれる--「ピタゴラスイッチ」生みの親・佐藤雅彦氏インタビュー
「うまく待つこと」と「ものすごく追求すること」。この2つから考えても、考えた量、考えた時間、というのが、いかに大切かがよくわかる。
つねにそれを考えていること
最後に、冒頭のニュートンの逸話に話を戻そう。
ニュートンには、実はこんな逸話も残されている。
ある婦人がこの有名な科学者に
「どうしてあなたはこの発見をされるようになったのか」
とたずねた際
「つねに考えることによってです」
と彼は答えたということである。
ージェームズ・W・ヤング「アイデアのつくり方」
ニュートンの逸話の「つねに考える」と「リンゴの落下」。
佐藤雅彦さんの「ものすごく追求する」と「うまく待つ」。
この2つの現象は、それぞれ対応していると、私には感じられるのだ。そして、異なる分野での共通項は、世の中の本質である場合が多い。
あのニュートンや佐藤雅彦さんでさえ、たくさん考えることで優れたアイデアを生み出したのだ。
私たちがアイデアを生み出す際に「たくさん考えない」という選択肢はないだろう。
サポートも非常にありがたいのですが、著書『秒で伝わる文章術』をぜひよろしくお願いします!https://amzn.to/3JQzpQd