ジョブズ

わたしが「好きなこと」の正体を突き止めるまで

私が前に進み続けることができたのは、自分の仕事が好きだったからです。あなたも、自分が何を好きなのかを知る必要があります。

                      -スティーブ・ジョブズ

2017年ごろ、わたしは自分のキャリアに迷走していた。今は迷走していないのかと言われると、迷走していないとは言い切れないのかもしれない(ぺこぱ)のだけれど、当時のわたしは今よりも遥かに迷走していた。

迷走するきっかけになったのは、一冊の本だった。ベストセラーとなった「LIFE SHIFT 100年時代の人生戦略」である。とにかくあらゆるものに影響を受けやすいわたしは、本書を読んで自分がおそらく100歳まで生きるであろうことを悟った時、自分の人生はこのままでいいのか?と急に不安になったのだ。当時わたしは広告会社でコピーライターをしていたが、ちょうど34歳だった。新卒から同じ会社でおよそ10年働き続け、年齢的に転職の限界と言われている35歳を目前にしていたことも影響したのかもしれない。わたしはLIFE SHIFTを読んで、人生を変えなければならないと思ったのだ。LIFEをSHIFTしなければならないと。

当時の迷走エピソードがいくつかあるのだけれど、中でも我ながらダントツで迷走しているなと思うのが、スティーブ・ジョブズの伝説のスピーチを毎日聞くというものだった。

そろそろ英語をちゃんと勉強したいなと思っていたわたしは、そもそも人間が話す生の英語をあまり聞いたことがないことに気付いた。そこで、英語の教材として自己が啓発されるものを選べば一石二鳥なのでは?俺は天才か?と思い、選んだのがこのスピーチだっだ。そしてさらにこの時、習慣を変えることにもハマっていたわたしは、「自分を変える習慣力(三浦将著)」で紹介されていたイチローのエピソードにまたしても影響されるのである。

高校時代、毎日10分だけ素振りをしました。1年365日、3年続けたそのことで、たった10分がすごい時間に感じ、誰よりも継続したことで、強い気持ちが持てるようになりました。

                            -イチロー

これや!と思ったわたしは、その日から毎日ジョブズのスピーチを聞くことに決めたのだった。その頃読書ノートをつけていたのだけれど、そのノートにはイチローの上記の言葉とともに「これから1年間毎日スティーブジョブズきく!!!」という酷く威勢のいい決意が力強い文字で書いてあった。スピーチの長さもちょうど15分程度で、イチローの素振り10分と同じくらいだ。

それからおよそ半年間、わたしはジョブズのスピーチを来る日も来る日も毎日毎日聞き続けた。その結果、どうなったか。

人生ではじめて、眩暈になった。

ある日寝ていて夜中にパッと目が覚めると、世界がぐるぐる回っていたのだ。もうマジで死ぬんじゃないかと思った。すぐに病院に行って精密検査を受けたのだけれど、幸い大きな病気ではなく、あれ以来眩暈を経験したことはない。結局原因はわからなかったが、おそらくそのひとつは毎日ジョブズのスピーチを聞いていたことだろう。毎日聞かないといけないというプレッシャーと、毎日聞くことによるもはや洗脳ともいえる行為によって、わたしの薄氷のようなメンタルはきっと限界を超えてしまったのだ。その日を境に、ジョブズのスピーチを聞くことはなくなった。

そんな苦い思い出もあるジョブズのスピーチの一節が、冒頭の言葉である。冒頭の言葉にたどり着くまでにおよそ1,500文字もかかってしまったが、なんとこの記事はここからが本題なのだ。びっくりですね。

好きなことを見つける難しさ

冒頭の言葉のとおり、ジョブズは自分の好きなことを見つけ、それを仕事にすることが、人間が幸せになるたったひとつの方法であると言った。わたしはスピーチを毎日聞きながら、毎日こう思ったのである。今すぐ好きなことを見つけなければならない、と。

しかし、これがめちゃくちゃ難しいのだ。そもそも、自分の好きなことってなんだ?しかも、それを仕事にするって、一体どういうことなんだ?と。皆さん、わかりますか?わたしはわからなかったですね。

じゃあ、当のジョブズ本人はどうだったのかというと、同じスピーチの中でこのように語っている。

私は幸運でした。人生の早い段階で、自分が何をしたいのかを知ることができたからです。ウォズと私が私の実家のガレージでアップルを立ち上げたのは、私が20歳の時でした。
                       -スティーブ・ジョブズ

いや、ラッキーで済まされてるやん。しかも20歳の時にはもう知っていたのだ。これを読んだ当時のわたしは35歳。IT業界最高の偉人と比較するのも烏滸がましいが、だいぶ遅れをとっている。どうやら好きなことを見つける方法については、自分で考えなければならないようだ。わたしは年初にその年の目標めいたことをノートに書くのだけれど、そのノートに「2018年の目標→好きなことを見つける」と書いたのだった。

「好き」と「憧れ」の混同

好きを仕事にする、とは一体どういうことなのか。そのことについて考える中で、わたしは一冊の本と出会った。「仕事選びのアートとサイエンス(山口周著)」である。著者の山口周氏は、「自分がやりたいこと」を考えるうえで気を付けるべきこととして、「自分が好きなこと」と「自分が憧れていること」を混同して考えることの危険性を挙げている。具体的には下記の通りだ。

例えば「問題の解決策を考えるのが好き」と主張して、経営コンサルティング会社への転職を希望する方は大変多いのですが、そういう方に、では最近考えている問題を取り上げて、どのような解決策が適切なのか、あなたの考えを教えてください、と振ってみると、まともな回答が返ってこないケースがままあります。これは典型的に「好き」と「憧れ」を混同してしまっているケースです。

この一節を読んで、わたしは本当の本当に目から鱗がボロボロ落ちるような思いだった。なぜなら、わたしはCMプランナーに憧れていたからだ。

わたしが広告会社でコピーライターになった経緯は、この記事で書いた。

記事のとおり、新卒で営業として広告会社に入社し、一年後にコピーライターになったのだが、わたしは本当はコピーライターではなく、CMプランナーになりたかったのだ。

わたしが就職活動を始めた2004年頃、広告クリエイティブの世界は本当に華やかで、すごくドキドキして、心の底からワクワクする世界だった。大手広告会社からクリエイターが次々に独立し、タグボート、風とロック、シンガタなどが生まれ、それらはクリエイティブエージェンシーと呼ばれた。当時のわたしのバイブルであった雑誌「広告批評」にはクリエイターのインタビューが掲載され、穴が開くほど読み込んだ。

そして2005年12月、箭内道彦が発起人となって「広告サミット」が開催される。当時大阪在住の大学生だったわたしは、初めてひとりで東京に行き、「広告サミット」に参加した。アルタ前で信号待ちをしていたら「ホストとか興味ないですか?」と声をかけられて、東京めっちゃやばいやん…と思ったりしながら、原宿を中心とした各会場で行われるトークセッションやセミナーなどに参加した。これはわたしにとって、ロックフェスのようなものだった。雑誌の中で見た憧れのスターたちが目の前にいるのである。このときわたしは、絶対将来CMプランナーになると決めたのだった。

転職を考える際に、いちばん悩んだのが、このCMプランナーになるという夢と向き合うことだった。そして、その時に出会ったのが、好きと憧れに関する一節だったのだ。それを読んだ時、わたしは確信した。わたしにとってCMプランナーになることは、憧れだったのだと。わたしは箭内道彦になりたかったし、多田琢になりたかったし、麻生哲郎になりたかった。しかし、それがすべて憧れだとわかった途端、冷静に切り分けて考えられるようになったのである。そうか、憧れていただけで、別にCMを企画することが好きではなかったのだと。

元電通のCMプランナーであり、東京藝術大学教授でもある佐藤雅彦さんの講義を受講したことがある。その時のお話でいちばん心の残っているのが、次の言葉だ。

本当に仕事が忙しくて、疲れたなあと思いながら、電車に乗ってたんですよ。でもね、そんな時でさえ、気が付いたら、新しい企画を考えてたんですよね。こんなに疲れているのに、どうしてこんな時まで考えちゃうんだろうと思って。

あくまでわたしの記憶に残っている話なので、少し違っているかもしれないが、わたしがここで言いたいのは、企画が本当に好きというのはこういうことなのだ、と気付いたことである。引用したコンサルの話とも繋がるのだが、本当に好きということは、誰に頼まれたわけでもなく、勝手に気付いたらやっている、というレベルのものなのだ。この話を聞いた時、ああ、わたしは本質的には企画が好きとは言い切れないのかもしれない(ぺこぱ)、と思い、自分がCMプランナーになることは(一旦)諦めようと思ったのだった。

「好き」とは、誰にも頼まれていないのに勝手にやっていること

仕事選びのアートとサイエンス」を読んで、わたしは好きの正体を突き止められた気がした。「好き」というのは、誰にも頼まれていないのに勝手にやってしまっていることなのだ。仕事選びのアートとサイエンス」の中でも、佐藤雅彦さんと似たようなエピソードが紹介されている。「ウェブ進化論(今読むとまるで預言書のようで本当に面白い一冊)」の著者である梅田望夫さんの話だ。

梅田望夫さんは、著作を出されるずっと前から、特に誰から頼まれたわけでのないのに、様々な問題意識を企画書やレポートの形にまとめて「世の中がいかにインターネットによって変わるか」「あなたの会社にとってどのようなインパクトがあるのか」について議論を仕掛けていらっしゃいました。

誰にも頼まれていないのに企画を考える。誰にも頼まれていないのに企画書を書く。誰にも頼まれていないのに、やっていること。これこそが、好きの正体なのだ。

わたしの好きなことは「書くこと」だった

「好き」の正体は、わかった。じゃあ、わたしの好きは一体何だろう。わたしが、誰にも頼まれていないのに、勝手にやっていること。そう、それは、今まさにわたしがやっていることだった。

書くこと、だ。

わたしがはじめてインターネットで文章を書いたのは、大学生の頃だった。まだ「ブログ」という言葉すら存在しなかった2000年代前半、わたしは毎日インターネットで日記を書いていた。もちろん、誰に頼まれたわけでもないのに。

当時好きだったラジオDJが自分のサイトに日記を書いていて、それに憧れたのがきっかけだった(そういう意味では「憧れ」というのはやはり大事である)。わたしはその日あったこと、見たテレビ、読んだマンガ、見た映画のことなど、自分の日常で起こることすべてを日記に書いていたのだった。すると、少しずつではあるが、自分の書いたものを「好きだ」と言ってくれる人が現れ始めた。そうなると、もっと書くことが好きになった。これこそが、わたしが本当に好きなことであり、原体験だったのだ

そんなことすぐに気付くだろう、と思われるかもしれない。しかし、漠然と自分の好きなことは何か?と考えていても、この結論にたどり着くことはなかった。好きなことを「誰にも頼まれていないのに勝手にやっていること」と定義し、自分に問うことで、初めてたどり着くことができたのだ。

わたしが今こうしてnoteをはじめようと思ったのも、自分が「書くこと」が好きだということに気付いたからである。そして、noteをはじめて改めて思う。自分は本当に書くことが好きなんだな、と。いつも通り生活をしていても、仕事をしていても、本を読んでも、次から次へと書きたいことが溢れてくるのだ。今だって気が付くと5,000字近くも書いているし、もう2時を過ぎている。時間を忘れるとは、こういうことなのかもしれない。

まだはじめたばかりのnoteだけれど、少しでも長く続けられるといいなと思う。毎日書くことが楽しくて楽しく仕方がなかった、大学生のあの頃のように。

サポートも非常にありがたいのですが、著書『秒で伝わる文章術』をぜひよろしくお願いします!https://amzn.to/3JQzpQd