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元アル中フルーティストがどうやって脱依存したか

音楽の事を様々な角度から探求するトーク番組「フルートカフェ」へようこそ。生命の息吹を伝えるフルートの音色と共に、無意識の世界に広がる壮大な冒険へ一緒に参りましょう!

このシリーズはスタンドFMとYoutubeと両方で配信しています。

お酒とジャズの関わり

もう時代は変わりましたが、かつて、音楽業界、とくにジャズの世界では、演奏とお酒はセット、というような時代もありました。ジャズが最も盛んに演奏され、新しい表現が次々に開拓されていた時代は、悲しい事にアルコール(とドラッグ)で命を失ったミュージシャンも少なからず存在します。

元々、ジャズ創世記では、演奏場所が酒を提供する場所だったり、禁酒法時代は地下酒場で共に潜んだりと、何にしてもアルコールとジャズは接点が多いです。誤解しないでいただきたいのですが、私はシャンパーニュ騎士団のシュバリエでもあり、お酒が大好き。大地とつながり、神に捧げる崇高なエネルギーから恩恵を受けていると実感しています。お客様がお酒を飲んでリラックスしている状態で演奏するのは、場の一体感が作りやすく、最高に楽しいですし、バーテンダーのつくる洗練されたカクテルは、それこそ錬金術、芸術的な喜びがあると思います。

アルコールがコントロール出来るようになるまで

ただ、私がアルコールと良い付き合いができるようになったのはここ数年。最初の出発点は不健康な出会いで、人付き合いの中で、自分のペースをコントロールできるようになるには20年近くかかりました。ですので、これからアルコールとの付き合い方を考えたい、と思っている方に、何かヒントになれば、と思い、私の経験をお話します。

打ち上げ最高時代

今となっては信じられませんが、私が音楽活動を始めた時は、やっと飲酒運転禁止の法律が出来た頃でした。先輩方にはバブル時代の恩恵を受けた方も多く、演奏後の打ち上げ文化もギリギリ残っていました。終演後、先輩方とお話したい時、以前フルートカフェの「音楽の言語化」でもお話しましたが、音楽家同士が、音楽以外の言葉で話すとあまり良い事がなくて、特に演奏後は緊張感も集中力も高まっているので、お酒が入る事で程よく緩んで、リラックス出来てありがたいと感じていました。

何か物事のバランスについて考える時、パラケルススの言葉をよく思い出します。
毒性学の父、パラケルススの名言「すべてのものは毒であり、毒でないものは存在しない。その服用量が毒であるか、そうでないかを決めるのだ」にあるように、お酒も適量嗜めば、良い効果があるし、決して環境のせいには出来ないと思うのですが、私がお酒を飲まないと眠れなくなった一番の理由は、演奏後の緊張感をお酒の力で解放する感覚を身体が覚えてしまった事だと思います。

だんだん、社会人としての経験が上がってくると、社交で無理に飲むという状況は無くなるのですが、それでも一日の最後に一本のビールを飲む、という事がどうしても辞められなくて、その状況が何年も続いていました。

最後の一本が辞められない

1本のビールだから大した事ないだろう、とお思いになる方もいらっしゃると思いますが、(私もそう思っていた) どんなに具合が悪くても、咳で咽せながら、必死に缶を開けて飲んでいて、明らかに依存から抜けられない状態でした。

ビールの味が好きという事もあるのですが、アルコールが身体に浸透していく時のふわっとした感じがないと、緊張感が取れない、眠れないという状況。病院に入院した時は地獄で、睡眠薬を処方してもらってやっと眠れるという様子でした。

飲んだり飲まなかったり自由にコントロール出来るようなりたい、とずっと思いつつ、寝る前に缶に手が伸びてしまう。あると飲んでしまうから、買わないのですが、やはり夜中にコンビニに行ってしまう。長年そんな日々でしたが、3年前、パンデミックでより大きな緊急事態が起きた事で、なんだかぬるっと辞めることに成功しました。

脱依存のきっかけ

一番のきっかけは、政府が飲食店での酒類の販売を禁止した事。元々、やるな、と言われるとやりたくなるタイプなのかもしれないですが、日々の楽しみだったアルコールとの時間を、国にコントロールされる事に強烈な違和感を覚えて、だったら最初から飲まない、と意識が変わりました。

わざと禁止して我慢させる事で、解放した時に一気に自分達にとって都合の良い方向に人々を向かわせるというのは、1920年代に行われたアメリカの禁酒法の歴史を見ても明らか。実際に、禁酒法解禁後、一気に第二次世界大戦に突入します。

緊急事態宣言下の酒類提供禁止

日本でも、2021年、緊急事態宣言が解除された年末、おそらく度重なる緊急事態宣言で自分にとってのアルコールの適量を試すチャンスがなかった若者達が、ゴロゴロ渋谷で酔っ払って倒れている様子を見て、本当はこんなはずじゃないのに、と悔しい思いをしました。

そんな流れで、自分の事は自分で守る意識が高まって、自然に、本当に飲みたい時だけ飲む、という事ができるようになりました。

周りの協力

もう一つ、脱アルコールの助けになったのは、パートナーがお酒を飲むのを辞めるように言わなかった事。辞めろ!我慢しろ!と言われたら、かえって逆効果で飲んでしまったような気もします。それから、パートナーは東日本大震災を経験しているのですが、原発から避難する時、皆コンビニで物資を調達しながら避難するのですが、途中のコンビニに寄ったら、アルコール以外全てのものが売り切れていたという話を聞いた事も影響あると思います。

さすがに、今、命の危険があるという時に、ビールを買う人はいなんだな、という事が、あんなに毎日飲みたいと思っていた、最後の一本を辞めれるきっかけの一つでした。

お酒との良い付き合い方

今は無事、脱依存して、お酒ととても良い付き合いをしています。何かの祝福の機会や、嬉しい時、美味しい料理と組みあせたり、飲んだ事のない美味しそうお酒に出会ったら飲む事もありますが、以前のように一杯飲んだらその先はエンドレスではなくて、少しで辞められるようになりました。

飲まない時の身体の感覚のキレを取り戻せたのは、本当にありがたい。たかが、一本のビールとお思いになるかもしれませんが、毎日飲んでいる時は全く気がつかなかないのですが、しばらく飲まないひ飲むと、次の日の朝はやはり身体がだるく、重く感じます。ただ、そこから続けて飲み続けるとその感覚がなくなるのが怖い所。アルコールを飲んだ時の開放感を身体が覚えたから常飲の道を進んでしまったので、今は、飲まずに寝て起きた次の日の朝の気持ちよさを身体に覚えさせるようにしています。

自分の意志でコントロールする事

お酒は元来、神社のお祭りなどで、神様に奉納し、地域の人々と分かち合い、一体感を得る役割もあります。カクテルの配合、組み合わせ、テクニックはまさに錬金術、芸術的ですし、日本酒やシャンパーニュ、ワインの作り手の話を聞くと、大地とのつながりに壮大な物語を感じます。

また、最初から全くお酒を飲まない、という人も増えた印象があります。お酒の場でお酒を飲まなくても、楽しそうな人がいれば、そこに同調して一緒に楽しめるし、お酒を飲む、飲まないは本当にどちらでもよくて、自分の意志でコントロールできる事が大切だという事を、長年の経験から痛感します。

お酒を飲む人と飲まない人の共存

お酒の場で飲まない人が飲む人に同調する事は可能ですが、その逆はあまりないかも知れません。(今度トライしてみます!) 私はどんなにお酒が好きでも演奏中は飲めないんです。頭では大丈夫と思っていても、指の繊細な動きとかに明らかに影響あるので、演奏中は飲まないと決めています。ただ、演奏しながら飲むスタイルの方も、もちろん自分のコントロール内にあれば、全く構わないと思います。飲んでいる人も飲んでいない人も、コントロールできている人同士、一緒に場を作っていく事が、お酒との理想の付き合い方の一つだと思っています。

神様に供えるという点で、お酒も音楽も同じです。これからも自分でコントロールしつつ、どんな発展があるか、どんな方と関わっていけるか、本当に楽しみです。


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