最前線で戦う命
いつこれを書こうか迷っていた。
だってこれはあまりにも賛否両論が出てくる話だから。
あたしはいつも朝起きて、お弁当を作り、自分の朝御飯も作る。そして食べる前に御先祖様三人分のご飯を決まった金の容器に入れ、御供えする準備をする。
一人は自分の父親の分。後の二人分は旦那の親の分。
宗教が違うので、ご飯を入れる器も違うが、とにかくどっちもぎゅうっと詰める。形が崩れないように。
…悪いけど、この時間を迎えるとあたしは途端に憂鬱になる。この朝の時間がないのになんでこんなことまでしないといけないんだろう?とイライラする。
だから毎朝イライラする。身体に悪いこの上ない。
特に旦那の親のご飯を詰める時、特にイライラする。
「…好き勝手やったくせに」という感情が帰属する。
うちの旦那の母親は、姑さんと仲が悪く、同じ墓に入りたくないとの事で、自分の実家の近くにお墓を建てた。それは旦那の父親も了解していたらしく、親類には「縁を切る」といい回っていたそうな。
結局お父さんがくも膜下出血で急に亡くなり、お母さんがお墓を建てることになった。けど、それに納得出来なかったあたしとあたしの家族は旦那に「自分が建てたって名前は彫らせるなよ。」と言っていたにも関わらず、出来たお墓を見たらしっかり旦那の名前が刻まれていた。
旦那に問い詰めたら、「名前入れちゃった、てへぺろ☆」ぐらいな感じで母親に返されたらしい。
ガッカリした。しかももちろんといえばもちろんなのだがしっかり檀家にされていて、墓の管理の予算請求やら全てがうちに回ってくる。
お盆になるとそこの坊さんが勝手に家に上がり込んできて、拝んで、御布施を催促して帰っていく。(←田舎だから?今はないけど)
だから数年はお盆が恐怖でしょうがなかった。
ということで旦那の先祖代々眠ってる墓は他にあり、お盆になるとまあ、あちこち墓参りに行かないといけない。こちとら誰もお盆にお休みの仕事ではないのでまたそこで嫌気がさす。
「勝手な墓さえなければもう少し楽だったものを」「何て事してくれてんだ」「あたし達はどこに入ればいいの?」「子供達にまでこの負担を継がせるの?」
と今思い付くだけでも問題だらけで心がぐちゃぐちゃする。
お墓参りだって、御先祖様を偲ぶ気持ちがあればそれでいいのでは?(ない場合もあるが)
そもそも家にある仏壇と墓とどっちにいるのじゃ!?(帰ってくるっていうか?)
ある歌では「私はそこにいません」っていってたやん。じゃあ、墓参りなんて意味ないんじゃないの?
ひどい時は「こんなあたしを苦しめるような息子を置いていきやがって」ぐらいの感情まで持ってかれる。
でも。
旦那が、御先祖様がいないとこの大好きな可愛い子供達も産まれなかったのも事実。
それにはすこぶる感謝。あたしの元にこの子達を産まれさせてくれて、授けさせてくれて本当にありがとうございますと感じる。
しかし、その子達を健やかに育てる環境にはなっていない。
何せ母親のあたしが毎朝ご飯を詰める度にイライラするから。
和室の仏壇を見る度にイライラするし。(←これだって買わなきゃ買わないでよかったのに)
今、最前線で戦い、生きているのは子供達を含め、あたし達だ。
心身を磨り減らし、時間を磨り減らし、お金も磨り減らし、どうにもならない感情を抱えながら、どうにかこうにかもがいて生きている。戦っている。
そんなあたし達の負担になるぐらいなら、普段忘れててもよくない?そんなに毎日負の感情を連れてきて、なおかつ時間も使わせる。そんな行為、必要!?
思い出したければ、忘れられなければそうすればいい。
その時に拝むぐらいで構わないんじゃないだろうか?
こんな心のこもってない、それどころか負の感情混じりのご飯なんて誰も望んでないだろうに。
…なんて持論を並べましたが
今日は亡くなった旦那の父親の命日でした。御膳も作りました。
娘の誕生を心から喜んでくれて、遊びに連れていくとずっとダッコしてくれているようなお義父さんでした。
あれから13年。
産まれて間もなくて歩けもしなかった娘も今は生きる最前線で戦っています。
たまにはちゃんと思い出すから。
見守ってて。
ここまで読んでいただき、誠にありがとうございました。
お盆が近いですね。
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