コロナ生活332日目
何者でもない自分(長編)
🌟今日の日記は、要保存版と言う感じになりそう
サークルを、夏で引退することにした。
割とパッとしない人生を送ってきました。いろんなことに手を付けては、続かない。本気で打ち込めるものがなかなか見つからない。
せめて学生最後のサークルくらいは、と思って最後まで続けようと考えていたけれど、どうにも自分の居場所じゃないなあと思ってしまい・・・
(自分がそこを居場所にする努力をしなかったせいでもあるけれど)
正直今楽しくないし、よくよく考えたら一個下の学年の子たちに一人だけ四年生が溶け込めるわけないし、唯一同じ学年だった友人(心の支え)もやめてしまうとのことなので、
私ももう無理だな、と。やめよう、と。
さっき寮の友達とも話して、「そんなのやめちゃえ!みんなは3年生だからあと2年あるけど、うちらはもうあと1年も無いんだから、好きなことしないともったいないよ!」との言葉をくれて、
「うん、そうだよね。本当にそうだよね・・・」と、しみじみ。私の気持ちを後押ししてくれた。
正直、自分が団体に受け入れられている感じがしないし、同期とも一部の人としか仲良くないし、私のこと嫌いな人もいるだろうし、サークルの雰囲気を中々好きになれなかった。
でも、それは自分のせいでもあるな?って思って。なんとか努力をしてきたけれど、合わない場所に居続ける意味って何だろう?って。
サークルに対する不満を言いながらも、なんだかんだそこに居続ける人を沢山見てきて、非常に時間がもったいないな、と。でも自分も今それと同じことをしているわけだから、やめるという決断が良い方向に働くときもあるのかな?と。
ただ、活動内容はめちゃくちゃ楽しかったな。みんなでハモった瞬間は、たまに鳥肌が立つ事もありました。ただただ音楽が好きで、居続けてきた。
でも幹部代になって、楽しいことばかり享受できるような状況でも無くなってきた。周りが「サークルを良くしよう」と熱意に満ち溢れる傍ら、私はこの団体に対してそれまでの熱意は持てなかった。
そしてそれがとても辛かった。
とにかく、今のところ、就職したら自分の時間が持てなくなることが明確です。職業柄、普通のOLとは違います。
なので本当に、最後の時間を有効に使いたい。その思いしかないです。
レジェンド先輩とか、輝いてる人を見ていると、何か一つ事に打ち込んできた人が多いように感じる
私はそれが出来なかった。ダンスのプロカンパニーみたいなとこに中学生の時入ったけど、3カ月でやめたし、色々と続いてこなかった。
そして私はアイデンティティをどこに見いだせばよいか分からなくなり、居場所を失い、何者でもない自分になった
都会のそこそこ良い大学に身を置いていると、輝かしい人生を送ってきた人がそこら中にいる。みんなそれぞれ特技やスキルを持っている。
私はというと、何者かになろうと努力してきた大学生活だった。
1つだけ心残りがある。1年生の時に戻れるとしたら、体育会の応援団に入りたい。
昔チアをやっていたので、自然に興味を持った。サークルはどこもチャラそうで興味が持てず、新歓もそのチアのところにしか行かなかった。
新歓は男子運動部との合同が多かったので、チャラくてビビりましたが、
チアの先輩はみんないい人だったし、尊敬できる人が多かった。3回くらい新歓に顔を出したから、完全に顔と名前を覚えてもらっていたし、私が応援団に入るのを辞めた後も大学ですれ違うと声をかけてくれた。
そんな場所に入ることを、私は辞めてしまった。
理由は色々あるけど、主には
お金(一年間で100万かかります、と言われ、は?となった)
時間(週6で練習。お昼休みも練習。)などなど・・・
自分は一人暮らしだったし、「チアをやるために上京したんじゃないよな。チアをやるために大学にきたわけじゃないもんね」と、その時の自分なりに考えた結果、入るのを辞めました。
団体行動が苦手な自分を変えたかったし、声が小さい自分も変えたかった。礼儀を身に着けたかったし、チアの先輩みたいな大学生になりたかった。
けど自分はチャレンジするのを辞めてしまったんですよね。
(入ってても、結局辞めてたかもしれません。一人暮らし学生にはあまりにも厳しすぎます・・・でも、一度チャレンジすることに意味があったかな?とそこを後悔しています)
もしあの時チアに入っていたら、自分は何者かになれたかもしれない。熱中できるものを見つけて、今も週6で練習していたかもしれない。
そう思うと、いつも辛くなるんですが、後悔ばかりではありません。
今のサークル、今の学生生活を歩まなければ出会えなかった人がいる。サークルの皆と歌えなかった人生も、それはそれで「悲しい」と思えるので、これはこれで良かったのです。きっと。
人生に正解とか無いから、自分が選んできたルートを「これで良かったなあ」と結論付ける方が手っ取り早いのです。
けどやっぱり、過去から学ばなければいけないこともあります
いつも、直感で「いいかも」と思ってきた場所。コミュニティ。人。
そこにチャレンジすることを辞めてしまう事で、後悔が生まれた事もあった。
だから私は仕事では同じ失敗は犯したくない。自分が感じた直観を大切にしたい。
(縁がある会社って、本当にあると思うんですよね。私は正直、なぜ今の内定先に内定をもらえたのか、分かりません。)
(面接も支離滅裂なこと言ったし、そもそも選考フローがあまり説明されないまま、フラっと面接を受けて、気付いたら内定の電話が来ていたんです。え、あれって最終面接だったの?wwwみたいな感じで、拍子抜けしてしまいました。)
(めっちゃ時間かけて準備した会社でも、サラッと落ちるところは落ちるもんね。不思議なことに。)
(内定先の最終面接(当時はそれが最終とは知らなかったが)に向かう途中、出版2社からお祈りが来ました。そのメンタルで試験を受けに行ったんですよね。でも、筆記試験を受けている最中、社内に流れる時報?音楽?を聞いた時。ふと、「あれ、私ってもしかしてここで働くのかもしれないな」って思ったんですよね。不思議なんですけど。なんか、ここに拾われるのかもしれないな、って。スピリチュアルっぽくてすみません)
↑とにかく「ご縁を感じた」ということです
色々不安はあるけれど、とにかく「ここに縁があるのかもなあ」と思えたその気持ちを、大切にしたい。
インターンで感じた「このおじさんと一緒に働きたい」という気持ちに、蓋をしたくない。
きっとここで自分が感じた感情に従わなければ、また同じ失敗をすると思うから。
部活選びの時もそうだった。自分の直観に蓋をして、余計なことを考えすぎて不安ばかりが大きく、やめてしまった。
今度は同じ失敗をしないように、と神様が仕向けてくれたのかもしれない。学生生活のコミュニティよりも、就職先選びの方が大切なのは明確です。より長い時間、何十年も過ごすかもしれないわけなので。
そして。そのように思える場所、コミュニティに出会えることは、とても幸せなことだよ(自分に言ってます)
そしていつか、仕事を通して何者かになりたい。
私の場合は、記者という専門的な職業です。一般的なOLとは異なります。総合職ではなく、専門職です。ジョブローテとかありません。
ESにも、書いたことがある。「何か一つ事を極めてこなかった。これからは仕事を通して、自分と言えばこれだ!というような何かを見つけたい」。違和感を感じながらもサークル活動を続けてきたのも、何者かになりたかったから。でも、無理だった。
きっと、自分は生涯「何者」でも無いのかもしれない。そもそも、人間だれしも「何者」でもない。
でも、今よりは自分の存在を確かにしたい。私と言えばこれだ、と言うような何かを見つけたい。もっと人にインパクトを与えらえるような自分になりたい。
声を大きくしたいし、礼儀も身に着けたいし、輝きたいし、納得できる自分でありたい。
そして、もしかしたら何者かに近づけるかもしれないチャンスを。切符を、チケットを、得たのです。
人生には無駄なことは一つもない。と思っています、失敗だと思えるようなことも、のちのちその経験が生きてきたりすると思う。
だから、私はこの22年間(まだ21歳だけど)の学生生活を通してようやく気が付けたことがある。それはチアに入らなかった失敗、サークルで上手く行かなかった失敗、一つ事を極めてこなかった失敗・・・今までの全ての経験から、学んだことです。
何に気が付いたかは、この長編日記に書いてきたつもりだったけど、上手くまとまっているか否か・・・!(笑)
とりあえず、
・直観を大事にすること
・組織を選ぶ上で「人」は非常に重要
・やりたいと思ったこと、なりたいと思う自分、そこに近づける場所があるのなら、一度チャレンジすること。最終的に辞めたとしても、チャレンジすることに意味がある。
そして何より・・・何者かになりたいともがいた学生生活は、決して無駄ではなかったということ。
逆に言えば、人生の早い段階で「失敗は無駄じゃない。全てのことに意味がある」ということに気付けたことは、とてもありがたいこと。
結局私は何者でもありません。
何者でもない、自分。色んなコミュニティを転々としてしまう自分。人と深い関係を気付けない自分。自分なりに頑張ってきたけど、もがくだけで終わってしまった自分。一つ事を極められなかった自分。
何者でもないのです。
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