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2/17(木)2年半の闘い。-第1章 地元の個人塾でのリハビリと志望大学について①-

ご無沙汰しています。ご無沙汰していませんが、ご無沙汰しているんです。

序章があるので、まだの方はここから^ ^
2年半の闘い。-序章 高校受験から高校生活①-

高1最後の定期テストを終えた後、学校から家に電話がありました。担任「(私)くんは定期テストの点数が足りなかったため、化学基礎の単位を落としました」私は、成績が悪すぎたため仮進級という形で進級することになったのです。当然ですが、高2から下のコースに移されました。そのコースには主に関関同立、産近甲龍を目指す人が多く、私みたいな成績が足りない国公立志望者が何人かいました。   

さて、そもそもなぜ私が塾に通おうと思ったのかと言いますと、高2に入ってからも勉強についていけず進級が危うくなったからです。(仮進級は次の学年で単位をとれば、前の学年の単位を認めるよ~っていうもので、高校3年間で一度しか使えないのです)特に、苦手としていた数学が赤点まみれでかなり大変でした。高1のときに、勉強が遅れるのを避けようと大手K塾の夏期講習(体験版)みたいなのに行ったのですが、一番下のレベルの授業でもついていけず情けないなぁと思ったのを覚えています。Soon Dieなどといった大手予備校の集団授業を受けるのが夢だったんですが、なくなく個別指導のある地元の個人塾に行くことになったのです。

便宜上、私が通っていた塾のことを"個人塾"と表記します。(少し日本語が変な部分もあると思いますが許してね)

個人塾の授業は高2までは個別指導、高3からは集団授業という形で行われていました。当時の私の目標は、高2のうちに遅れている分を取り戻して、高3から周りの人と一緒に受験勉強を始めるというものでした。志望校については次回また詳しく書きますが、国公立大学を目指そうとこのときは思っていました。高校で真ん中のコースにいた経験があったので、"自分は国公立を受ける土俵にはいたのだ"という悔しい気持ちがあったのです。 

さて、話を戻します。個人塾に入る前、塾長との面談がありました。塾長は少し強面でどこか自分の父に似た怖い印象がありました。緊張しましたが、私は今までの経験や想いを塾長に素直に伝えました。初めてできた友だちでいじめがあったこと、部活でうまくいかなかったこと、不登校気味になったこと、気持ちがしずんで勉強したくてもできなかったこと。そんな私を見て塾長は「確かに模試の成績をみても、(私)くんが目指すような大学は難しいかもしれない。でも、こうやって自分のことを話してごらんって言ったときにここまで語れるのは、君のいいところだと思う」と。有難い気持ちと素直に話してよかったなという気持ちでした。

面談で先生と話し、私は数学Ⅱ、数学B、英語の授業を取りました。1時間半ぐらいの授業が週に3回ですね。吹奏楽部に入っていたのもあって少し大変だった印象があります。

数学Ⅱの授業を担当してくれたのはI先生(男性)でした。とても優しい先生で、数学が全くできない私に1から丁寧に教えてくれました。そして、私は2学期の後期試験で過去最高の成績をとることになります。

確か、数学Ⅱで70点代だったかな?とても嬉しかったのを覚えています。俺はできない人間なんだと思ってたけど、ちゃんと勉強したらできるじゃんってね。まぁ、その後に吹部の友だちに「○○ちゃんが、あの(私の苗字)に数学の点数負けた、最悪って言ってるの聞いたわ」って言われビミョーな気持ちになったのですが………。

まぁ、私にとって高校生活は幻のようなものだったと今では思っています。長くなってしまったので、また機会があったらそこをテーマに書きたいですね^ ^

毎日こうしん~(?) 次回は志望校についてです!

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