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「読む」ことから始めよう  (#0002)

元旦の新聞広告。私にとっては、時代の気分が感じられるお正月の風物詩で(もう古き良き時代の風景と言われてしまうのかな)、楽しみのひとつでもある。

毎日めぐってくる同じ朝なのに、東の空から昇ってくる光の恵みと清らかな静けさがなんとも特別に清々しく感じられる一年のはじまりに出逢う新聞広告には、企業の未来に向けたまっすぐな想いが込められていることが多くて、ついこちらも襟を正して、まるでとろんとしたお濃茶をいただくような気持ちで、「頂戴いたします」と受け取りたくなるような気分があるのです。

SNSでは西武そごうの「さ、ひっくり返そう」がものすごく拡散していて、本当に素敵なコピーに思わず共感。そごうがんばれ!私もがんばる!と応援したくなっちゃうのだけど、今の私には響いたのはこっち。岩波書店さんの ”「読む」ことから始めよう”

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響いたフレーズを抜粋。

「日本がいま必要としているのは記憶に優れた知識量の多い、いわゆる博学の人ではなく、自分で問題をつくり、それを解きほぐすための論理を考え出す能力を持った人である」。
本を、ゆっくりと、味わいながら「読む」。そして、多くのことを「知る」「想像する」「考える」。それについて、誰かと対話する。対話で得た本をまた「読む」。この繰り返しの中に、他社と共有できる論理、他社を理解する想像力が生まれます。自分の知らない世界に目を向け考える力、人や社会を信じる力が生まれるのです。
いま教育の場で目標とされている「主体的・対話的な深い学び」が、本気で実践されるならば、それは日本の、やがては世界の窮状を回復する希望となるでしょう。それもまた、「読む」ことから始まるのです。
読書が生きるための力になると信じて、二〇二〇年、まず「読む」ことから始めませんか。

すごくいい。本当にその通りだな、と思う。当たり前と言えば当たり前のことなのだけど。小説でもエッセーでも料理本でも、歴史、哲学、古典でも、本には自分にない価値観、思考法、知らない世界が広がっていて、自分の栄養となるものがぎゅっと詰まってる。はず。しかも場所も時間も自分のペースで調整できるので、謙虚な気持ちで学び続けるにはもってこいのパートナー。

ただ、この”自分のペースでできる”がミソで、だからこそ、自分で意識的に取り組まないと、しかも結構強い意志で臨まないと、ついつい優先順位の高い日常のもろもろに流されて後回しになってしまう。なのでやっぱり一緒に読んだりシェアしたりする仲間や、アウトプットが大切になってくるのかもしれない。

子どもには毎晩「読み聞かせ」と称して本の恵みに触れさせているけれど、それも最終的には、本を読むことの喜びや、新しい世界に誘ってくれる本の価値を自ら認識し、そう遠くない未来に、主体的に本を読むことが習慣になっていたら素敵だな、という想いがあってのこと。そのためには、大人の私も、本の恵みを享受する喜びを、隣で一緒に楽しんでおきたい。自分ができてないことは子どもにも伝わらないと思うから。育児はやっぱり育自。

初note投稿「50歳になったとき、豊かな自分でいるために。」で、2020年はインプットを増やして自分の土壌を肥やしたいと書いたけれど、そのためにも読書は外せないな、と改めて確信いたしました。いや、頭で分かってはいたのだけれど、、、自分の教養のなさを恥ずかしく思う気持ちが、もう看過できないギリギリのところに来ていて、この広告にそっと背中を押していただけた感じでしょうか。ありがとう、岩波書店さん。

1週間に最低1冊だとして年間50冊。ここはミニマムラインで意識してみよう。ブックトライブにも参加するという選択肢も。そして月1回はその月に読んだ本を記録としてこのnoteにもまとめていこう。今読む本が、きっと自分の血となり肉となり、3年後、5年後の自分になっていることを想像して。

折に触れてパラパラとめくる私のバイブル、森下典子さんの『日日是好日』の中にもこんな言葉がある。

「この世には、学校で習ったのとはまったく別の『勉強』がある。あれから二十年が過ぎ、今は思う。それは、教えられた答えを出すことでも、優劣を競争することでもなく、自分で一つ一つ気づきながら、答えをつかみとることだ。自分の方法で、あるがままの自分の成長の道を作ることだ。気づくこと。一生涯、自分の成長に気づき続ける事。『学び』とは、そうやって、自分を育てることなのだ。」

自分を育むために、「読む」ことから始めます!


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