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forest forest

今までのアーカイブはコチラ→ https://www.niwatomori.com/forest_forest_map/ 森の案内人・三浦 豊が、週に1,2回、日本中の森林、木々… もっと読む
キャラ立ちした木々、無数の森林や名所・・・、 森目線になると、日本はほんとうに、すばらしいことにな… もっと詳しく
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2020年2月の記事一覧

太古の富士山

( 前回のつづき ) 快晴の空の下、浅間大社から、富士山へ向かって8kmほど進むと、 神社がありました。 鳥居の手前に手水鉢があって、 その手水鉢には、 すごいことが書かれていました。 なんとこの神社は、1900年前に創建されたようなのです。 鳥居から参道を歩くと、 りっぱな拝殿がありました。 この神社は一体何なのか、さすがに気になったので、調べてみました。 ここは山宮浅間神社( やまみやせんげんじんじゃ )という神社で、 先ほど参拝した富士山本宮浅間大

このはなさくやひめ

静岡県、富士宮( ふじのみや )市にある、富士山本宮浅間大社( ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ )です。 富士宮市の名前の語源になっている神社で、大同元年( 806年 )に、坂上田村麻呂( さかのうえのたむらまろ )が、元々はこの地より富士山に近い所にあった神社から、現在地にうつしたのが始まりとされています。 全国に約1300社ある浅間社の総本宮とされていて、富士山の八合目から山頂にかけては、今もこの大社の境内とされています。 拝殿の前へ進むと、 富士山の山頂が

倒れるか、倒れないか

( 前回のつづき ) 階段を登ると、 本殿が、かわらず建っていました。 そして11年ぶりに、その横にあった巨木の倒木へ行ってみると、

11年半ぶり

11年半前の夏に、九州の山奥で、印象的だった場所へ行きました。 大分県日田( ひた )市、烏宿神社( うしゅくじんじゃ )です。 烏宿山( うしゅくやま )という山の中腹に駐車場があって、そこから山頂へ向かう参道がありましたが、草におおわれて歩行困難な状態になっていました。 11年前の僕は、なぜかこの光景を見て気分が高揚し、背丈くらいの草が生い茂っていた道を、やみくもに登りはじめました。 息を切らしながら30分ほど登ると、 石組に囲まれた、円形の池があらわれまし

女神が降臨した所

福岡県、宗像大社( むなかたたいしゃ )の辺津宮 (へつぐう)です。 大きな神社で、朝鮮半島と日本を往来する船の玄関口だった地方に鎮座しており、創建されたのは有史以前で、創建年は古すぎてよく分かっていません。( 神社の存在は古事記にも記載されています。) あらゆる「道」の最高神として、海上鎮護、航海の安全などを司る宗像三女神( むなかたさんじょしん )の中の一柱・市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)がお祀りされています。 現在でも交通安全の守護神として篤い信仰を受けつ

成田屋

千葉県の成田市に、とても大きな「 すだ椎( すだじい )」が生えていると聞いたので、行ってきました。 国道から、細い道を少し走った所にある墓地の駐車スペースに車を停めて、 細い道を歩いていくと、 小さなお堂が建っていて、 その横に、

松は枯れ、天守閣は残った ・ ・

( 前回のつづき ) 玉の岩のすぐ横を、 ケーブルカーが通りました。 すぐ近くには、 鐘楼( しょうろう )が建っていました。 元禄(1688 〜 1704 )の初年から、時刻を眼下の街や海上に知らせる「 時の鐘 」として、現在は大晦日に鳴り響く除夜の鐘として知られています。 その音は「 一里聞こえて二里ひびく。」と謡われてきました。 そして、 赤く塗られた千光寺の本堂の後ろには、巨岩が見えて、 人が立っているのが見えたので、行ってみることにしました。 お

毎晩はるか海上を照らす

広島県、尾道市( おのみちし )です。 坂がたくさんある街で、上の写真のまんなかに写っている山の8合目に鎮座している、尾道きっての名刹・千光寺( せんこうじ )へお参りしました。 山のふもとには、ロープウェイ乗り場と鳥居が並んでいて、 ロープウェイには乗らないで、鳥居の方へ進むと、 艮神社( うしとらじんじゃ )という神社があって、本殿の前には、大きな楠( くすのき )が生えていました。 樹齢は500才以上と伝わっています。 本殿の横へ行ってみると、

大きな松ぼっくり

( 前回のつづき ) 大邸宅を出て、外を歩きはじめると、 敷地のマップがあって、 邸宅はピンク色で、まわりの庭園がいかに広いか、よく分かりました。 先ほど中にいた邸宅です。 その前に広がっている、庭園の小川と池の向こう側へ行ってみると、

大名屋敷の最奥

山口県、防府市( ほうふし )、旧毛利家本邸( きゅうもうりけほんてい )の入口の松並木です。 戦国時代に中国地方で大勢力を誇った毛利 元就( もうり もとなり )から代々続いた毛利家は、 江戸時代は萩藩( はぎはん )の藩主として、 明治維新後の1892年( 明治25年 )に、日本海側の萩から、瀬戸内海沿いの防府の地へ住まいを移すことを決められました。 入り口には、ひたすら長い松並木がつづいていました。 松並木の入口から歩いて10分くらいで、ようやく邸宅の玄関

篠栗九大の森で

福岡県、篠栗町( ささぐりまち )です。 町の中心部の平野からは、若杉山( わかすぎやま )がよく見えます。 巨木の森林が広がっている聖地で、forest forestでも紹介をさせてもらったことがあります。 今回は、なだらかな丘の上にある、 篠栗九大( ささぐりきゅうだい )の森を歩きました。 名前の通り、篠栗町にある九州大学の森です。 今回、この森へ行ったのには理由があって、 ここで、案内をさせてもらいました。 NPO法人グリーンシティ福岡さんと篠栗

筑波山の荘厳

( 前回のつづき ) 女体山を正面に見ながら、男体山を下山しました。 昭和テイストの癒しスポットに着いて、 女体山の方へ向かうと、 「 紫峰杉( しほうすぎ )まで徒歩1分 」と書かれた看板があったので、行ってみました。 入口から15秒くらい歩くと、