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誰かが期待する「自分」にはならない。

『三浦くん、昔はもっと柔らかいイメージだった。今はちょっと尖り過ぎているような気がするよ』

 小綺麗な居酒屋にて。編集の先輩。2年以上もの間、こんな僕なんかのお世話をしてくださっている、本当に大切な先輩。

 自分のレモンサワーを頼む際、いつも『え、三浦くんのグラス空いてないじゃん 早く飲みなよ』とニヤニヤしながら、僕にジョッキをすべて飲み切るよう促してくる、優しいんだか厳しいんだかよくわからない先輩。「アルハラ」は受け取り手の判断次第だと思う。僕は彼が好きだし、彼のそのしぐさが好きだし、真正それは、僕にとって「アルハラ」の範囲に収まらない。

 『なんか、最近刺々しくない? Twitterとか見てると』「そうっすかねえ」『いやー、なんかすっごい強気に見えるよ』「うーん、うん」『もっと優しい奴だと思ってたのになぁ』「え、僕のこと嫌いになったんですか? えー」『そんな訳ないでしょ。もしそうなら呼んでないし、毎週酒なんかご馳走してないよ』

「俺、期待されるの嫌なんです。もう」これなんであった。全部これなのであった。答えは出ていた。


 期待されるのが嫌だ。都合の良いラベル・レッテルを貼られて、勝手に満足されるのが嫌だ。僕、そんな良い奴じゃない。みんなが思うような「三浦君」じゃない。もっとドロドロとした、嫌な奴です。腹の底ではいつも怒ってる。パンクなんか聴かなきゃ良かったな、と思うこともある。

 誰かの期待にずっと応えて、常に気張って、「あの人が私をこう思ってくれてるから…!」なんて言って、無理やりに演じて。やめた方が良いですよ。いつかどっかで、自我がぶっ壊れてしまいます。『私は誰なんだ……?』となります。人が作ったプロットどおりに生きるのは、もうやめにしましょうよ。人生は演劇じゃない。

 「セルフブランディング」じゃないですよ、それ。格好良い言葉で美しく着飾って、見た目だけ良くしてるみたいですが、がっつりコンサルされちゃってるじゃないですか。そもそもセルフって言うぐらいで、それはすべて「自分」によって為されるべきなのではないか。あの人の期待に応えて作られた「自分」なんて、モーターの入ったあやつり人形みたいなものです。あやつられ人形ですよ。

 もっともらしく誰かにアドバイスをしているようですが、これは、1年前の自分に向けたものです。ひいては読んだ方のためになれば良い。無理しないでください。もっと裸になりましょうよ。あなた、もっとバカでしょう。アホでしょう。去年までの僕、良かったねぇ。言いたいことを言えるようになりました。殻にこもって良い顔ばっかりしてたもんね。「人に褒められる」が一番の目標だったもんな。今、君のことを嫌いな人、いっぱいいます。でも、それより少ないかもしれないけど、熱量いっぱいの「三浦のことを好きな人」がいます。思い違いでなければ。良かったね。良かったよ。

   

 ヘコヘコするのをやめよう。群れるのをやめよう。自分の中にある信念、真芯を曲げることなく、思った通りに生きよう。思ったことを言おう。覚悟を持って、デカい声で言おう。人の期待に応えることは美しいが、それにがっちり張り付けられてはいけない。縛られてはいけない。俺は俺、これで良いんだ。他者からの承認は一時的に自らを喜ばせるが、それはずっと続かない。刹那の喜びに甘んじてはいけない。一生を共にする「自分」は、自分で決める。いつだって、世界の真ん中は自分だ。誰かが期待する「自分」には、決してならない方が良いです。

頂いたお金で、酒と本を買いに行きます。ありがとうございます。