見出し画像

『大人になると友達を作りにくくなる』という嘘。

 飽きもせず、馬鹿の一つ覚えで下北沢のきったねえ居酒屋。『子供の頃は良かったわ』 と、酒の並んだテーブルを挟んで向かいの友達がこぼす。『今となっては、新しく友達を作るのが難しいよ』 と続けた。なんだかよく分からなかったので、「どういうこと?」 とたずねる。情けなさそうに口角を上げたまま、呆れたような顔を作った彼が口を開く。

三浦はいつもヘラヘラしてるでしょ。仕事とか関係なく、誰にもニヤニヤ近づいちゃうでしょ。大人になると、そうもしてられないのよ、実際。友達だと思ってても、結局仕事のつながりとかになっちゃうのよ。

 瞬間ちょっとむかついてしまい、ただ、酒の席で怒り散らすのもまったく無粋であり、そこでも僕はいつもの通り、ニヤニヤヘラヘラしてしまった。「たしかにな~ 酒飲んでるだけだしなぁ」 と言って、テーブル上、目の前に置かれた冷たいおしぼりを顔に当てる。グラスに少し残ったウーロンハイを一気に飲み干した。

 『ごめん、バカにはしてない』 と彼が少し慌てるので、「そんなに気にしてないよ ちょっとムカつくけど」 と返答。言葉にすると、怒りは和らぐ。口から出せば、怒る気持ちが声に付随してどこかへだらっと消える。そもそも、僕は人様に怒って良いような身分の人間じゃない。ウーロンハイは旨い。


 ごく個人的なことを言えば、『大人になると友達を作りにくくなる』 なんていうのは、まったくの嘘だと思う。そんな訳が無い。そもそも、「友達」 とは何だ。大人らしく、仕事をご立派に共有してしまった以上、彼らはずっと友達でいられなくなってしまうのか。そんな訳が無い。そんな不幸せな人生はなかなか厳しい。

 「友達」 に基準は無い。僕は、一心に尊敬し続けている 「鳥井 弘文さん」 のことを心から友達だと思っているし、下北沢にて日々一緒に酒を飲む 「Daiki Hayakawa」 のことも、真の友達だと思っている。そこに貴賤もヘッタクレもあったもんじゃない。仕事を一緒にさせてもらった床屋のお兄さんも、スタイリストの方も、カメラマンの方も、全員友達だと思う。点描アーティストも、自転車屋の店長も、誰も彼もみんな、僕の友達だ。もはや「友達」 なんて、あって無いようなもんである。もれなく全員友達なんだから。

 大人も子供も、年上も年下も、みんな関係無い。オンラインだろうがオフラインだろうが、気持ちが通じればもうその時点で友達である。酒なんかを飲んでしまえば、もう、友達として完全だ。例えば仮に、それが仕事に通じてしまったとして、「じゃあ引き続き友達でいましょう」 で終わる話だ。仕事仲間も友達である。


 3年前、僕が北海道から東京へと出てきた時。新千歳空港のゲート前にて、家族が横並びになって僕を見送った。「湿っぽいのもちょっと嫌なんで、そろそろ」 と言った僕を、お父さんが唐突に呼び止める。『向こうでも頑張れよ。金なんか無くても良いから、友達はたくさん作れよ。』 と言った。直後、少し泣いた。僕が持つ 「みんなもれなく友達だ」 という考えは、紛れもなくお父さんから譲られたものであった。

 大人になった今、バカみたいに酒ばっか飲んでますが、多分、飽きられ呆れられさえしていない限りはみんな友達です。大人になったからといって別に、友達を作りにくくなる訳なんか無いです。大丈夫だと思います。何歳になってもヘラヘラしながら、僕の周りは友達ばっかりだ。『大人になると友達を作りにくくなる』 なんていうのは、嘘っぱちに過ぎません。みんな友達です。これからもよろしくどうぞ。

頂いたお金で、酒と本を買いに行きます。ありがとうございます。