三浦直之

ロロっていうところで演劇をつくっています。http://loloweb.jp/

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最近の記事

坂崎かおる『嘘つき姫』

19世紀のニューヨーク、近未来の日本、ドイツ占領下のフランスなどなど、時代も国もバラバラな9つの短編。 どの短編も語られなかったことの余白が際立って、ずっと寂しかったり悲しかったりしながら読んだ。 『ニューヨークの魔女』 サーカスの電気椅子ショーを通して生まれる、殺しても死なない魔女と女性電気デザイナーの奇妙な関係。 『私のつまと、私のはは』 ARグラスを用いて擬似的な乳児育児体験ができる〈ひよひよ〉を手に入れた理子とそのパートナー知由理。2人は軽い気持ちで〈ひよひよ〉

    • 原田裕規『評伝クリスチャン・ラッセン 日本に愛された画家』

      クリスチャン・ラッセンについては、ジグソーパズルでよく見るぞ!くらいの知識しかなかったんだけど、めちゃ面白かった。 評伝自体も面白いけど、ラッセンの絵が日本人にどんな風に受け入れられて、どう変化していったかという受容史としてとても面白かった。 さらに、ラッセンの受容史だけにとどまらず、彼が好んで描いた「イルカ」や「クジラ」の受容史についても書かれていて、それらのパートも超刺激的。

      • スティーヴン・キング『ビリー・サマーズ』

        殺し屋ビリー・サマーズの最後の仕事は、収監されているターゲットが移送されるまでの間、小説家のフリをしてアメリカ南部の町に潜伏することだった。 しかし、フリのはずだった小説家という仕事にビリーは次第にのめり込み始め……。 大好きな漫画『ファブル』みたいだ!とおもって読み始めたけど、ビリーの状況は『ファブル』よりもさらにややこしい。 ビリーはいくつもの人格を演じる。 まずは、小説家としてご近所付き合いにも勤しむデイヴィッド・ロックリッジとしての人格。 依頼主の言動に疑問をも

        • A.R.ホックシールド『壁の向こうの住人たち アメリカの右派を覆う怒りと嘆き』

          アメリカ大統領選挙のタイミングで読んでよかった。とても勉強になった。 著者は、アメリカ南部ルイジアナ州に暮らす右派の白人中間層の感情を理解するため、2011年から2016年にかけて現地を10回訪れ、彼らの"ディープストーリー"と遭遇する。 ディープストーリーとは、事実にこだわらず、当人がどう感じたかを語る感情の物語のこと。 かつて豊かな自然に囲まれていたルイジアナ州だが、大手石油産業が進出し、現在は深刻な環境汚染に悩まされている。 堀削事故により、広大な土地が地盤沈下し

        坂崎かおる『嘘つき姫』

          間宮改衣『ここはすべての夜明け前』

          静かで悲しい弔いの物語。 「ゆう合しゅじゅつ」を受けたことで不死の身体を手に入れた「わたし」が綴った家族史。 100年以上にわたる長い時間が、ひらがなを多用した独特の文体で綴られるのだけど、ひらがなが持つ柔らかな印象とは反対に、語られる内容はとても壮絶。 虐待、搾取、グルーミング。過去を淡々とまっさらな語り口で振り返る裏側に、語られることのないグロテスクな光景が透けてみえる。 生をみつめる視線のなかに弔いはある。父、こうにいちゃん、まりねえちゃん、さやねえちゃん、そして

          間宮改衣『ここはすべての夜明け前』

          マリ=フィリップ・ジョンシュレー『あなたの迷宮のなかへ カフカへの失われた愛の手紙』

          「わたしたちの愛は不可能だったから、あなたはわたしを愛したのです。」 1919年、プラハのカフェで出会ったフランツ・カフカとミレナ・イェセンカーは、互いに惹かれあい文通を始める。 カフカが書いた大量の手紙は『ミレナへの手紙』として公刊されているが、ミレナがカフカへ宛てた手紙は消失してしまい内容を知ることはできない。 この本は、作者が、その失われたミレナの手紙を創作して書いた一風変わった書簡小説。 あなたが欲しいという、要約すればたったそれだけのことに費やされる長い長い言葉

          マリ=フィリップ・ジョンシュレー『あなたの迷宮のなかへ カフカへの失われた愛の手紙』

          村雲菜月『コレクターズ・ハイ』

          蒐集家や蒐集癖のある主人公が好き。社会に馴染めず、周りからみたらガラクタとしか思えないようなものを集めながら閉じた箱庭的世界を作っていくキャラクターの物語。 だけど、この小説は浮世離れした蒐集家というより、全人類蒐集家社会みたいな世界が描かれていて、そこが面白かった。 スルスルと読めてしまう「普通さ」が逆に怖い。 止まることのない所有の欲望。 主人公の頭を撫でたいという森本さんの手と、クレーンゲームで「なにゅなにゅ」を掴むアーム。 終盤の、ゲームセンター内で森本さんから逃

          村雲菜月『コレクターズ・ハイ』

          松樹凛『射手座の香る夏』

          夏をモチーフにした四つの作品がおさめられた痛くて苦いSFファンタジー短編集。 ジュヴナイル小説って、喪失以上に喪失感に、欠落以上に欠落感に比重が置かれるのかもしれない。 決定的な何かを失ってしまったような感じ、取り返しのつかない場所へきてしまったような感じ。 実際になにかを失ってしまったかどうかに関わらず生まれてしまう、あの感じ。

          松樹凛『射手座の香る夏』

          角田光代『方舟を燃やす』

          途轍もなく感動した。 信じること。信じたものに裏切られること。それでも、信じることを選ぶこと。 1967年から2022年、昭和、平成、令和という時代を2人の人物の視点で描いていく。 父から地震を予知して人助けに奔走して命を落とした祖父の話を聞かされながら育った柳原飛馬。 夫に疎まれながら、マイクロビオティックの食事で子育てを続ける望月不三子。 ノストラダムスの大予言やコックリさんなどのオカルト、宗教、フェイクニュース、陰謀論など、時代ごとに移り変わっていく真実と嘘をめぐ

          角田光代『方舟を燃やす』

          大田ステファニー歓人『みどりいせき

          超光速スローモーションみたいな語りに一発で虜になった。 たとえば冒頭の野球のシーン。キャッチャーの「僕」とピッチャーの春が、サインを交わし一球を投じる。 「雲もどいたしインハイへ構え直す。目線の高さにミットのほつれとほころびと、はりつめた春が並ぶ。股んとこでもっかいギャルピをつき出したら、すぐにまた首を振られちゃった。そのたんびにキャップからはみ出した髪も一緒んなって揺れるから、先っちょから飛び散った雫にお日様がぶつかって、きらん、が目に眩しい」 雲が流れて太陽が現れる

          大田ステファニー歓人『みどりいせき

          施川ユウキ『バーナード嬢曰く。』7巻

          狂おしいほど好きだ。 ややこしい人たちが、ややこしいやり方で、ややこしくしか伝えられない愛。あーややこしい。 まわりくどく、どこまでも遠回りしながら続いていく会話がくるくる回って美しい。 最後の話で号泣。もしこの先、AIの創作物が人間の創作物と見分けつかなくなっても、人間以上のクオリティのものを作れるようになったとしても、あなたの創る歓びは、誰にも奪えない

          施川ユウキ『バーナード嬢曰く。』7巻

          バーナディン・エヴァリスト『少女、女、ほか』

          黒人の血を引く女性とノンバイナリー12人の語りによる連作短編集。 人種、ジェンダー、時代、階級、教育といったさまざまなテーマが盛り込まれており、胸が苦しくなるようなエピソードも多いけれど、登場人物たちのユーモアに満ちた語りの力で、読了後は、はちゃめちゃ前向きな気持ちになれる。 地の文とセリフが渾然一体となった文章によって生まれる圧倒的な声。遠くの時間や、離れた場所のことを、まるで近所の喫茶店でおしゃべりしてるかのような親密さできかせてくれる。 ラストの「アフターパーティー」と

          バーナディン・エヴァリスト『少女、女、ほか』

          本田晃子『革命と住宅』

          家父長制の解体はいかに困難か。 本の前半ではソ連の住宅史が語られていく。 社会主義の理念によって旧来の「家」を否定して築かれたコミューン型集合住宅「ドム・コムーナ」、しかしその理想の裏、現実では社会主義住宅「コムナルカ」で人々は極限まで密集しながら暮らさざるをえなかった。住宅難にあえぐ多くの都市市民を尻目に建てられた豪奢な「スターリン住宅」、スターリンの死を転機に住宅難を解消するため急速につくられたソ連型団地「フルシチョーフカ」などなど。 ソ連映画の資料とともに、当時の暮ら

          本田晃子『革命と住宅』

          川上弘美『恋ははかない、あるいは、プールの底のステーキ』

          年齢を重ねるのが楽しみになる小説。 こども時代をカルフォニアで過ごた「わたし」とアンとカズは、60歳を過ぎ、コロナ禍の東京で再会を果たす。 「老い」というと勝手に乾いたイメージやスローなイメージを抱いてしまうけれど、この3人の会話はむしろ潤いだらけで、しかもその潤いの内側には歳を重ねたからこその甘み、塩味、うま味、苦味、酸味がぎっしり詰まっていてずっと楽しい。 どの会話を読んでも、「俺もこんなおしゃべりできるようになりて〜」となるけれど、その中でもとくに食にまつわる会話が

          川上弘美『恋ははかない、あるいは、プールの底のステーキ』

          中村佑子『わたしが誰かわからない ヤングケアラーを探す旅』

          幼いころから精神疾患をかかえる母のケアをしてきた経験をもつ著者の中村佑子が、ヤングケアラー当事者への取材を行っていくなかで「わたし」の境界がゆらいでいくケア的主体を発見していく。 一章では自身の経験を語り、二章では家族をケアしてきた経験を持つ方への取材を行う。しかしその後、取材依頼を断られ原稿がお蔵入りになり、中村さんの筆は止まってしまう。 家族をケアしてきた側は自分を当事者とおもっていないのではないか? 病気を抱える家族こそが当事者であって「私は当事者ではない」のではない

          中村佑子『わたしが誰かわからない ヤングケアラーを探す旅』

          エリー・ウィリアムズ『嘘つきのための辞書』

          「マウントウィーゼル」とは、辞書の著作権を守るためにわざと辞書に紛れ込ませた架空の項目、フェイク語のこと。 『嘘つきのための辞書』は、マウントウィーゼルをめぐって現代と19世紀のロンドンを行き来する、言葉と愛の物語だ。 現代パートの主人公は、極小辞書出版社スワンズビー社でインターンをしているマロリー。辞書の結婚の定義を「男女間の結びつき」から「「二人の人間の結びつき」へと変更したからか、マロリーのもとには毎日脅迫電話がかかってきており、自身もレズビアンであるマロリーは、不安

          エリー・ウィリアムズ『嘘つきのための辞書』