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Vol.36 いつまで奴隷のような「単純作業」をやる気なんだ?

「作業員にはなるな!」

この言葉は、常日頃から自分が意識し、また部下に対しても言い聞かせている言葉である。

厳しい言い方かもしれないが、

「単純作業の奴隷」という立場を受け入れた段階で、その人は終わりである!


だが、単純作業が心地よいのも確かである。

自分もかつては「奴隷」と化していた経験あるからだ。

決まりきった業務
とにかく身体を動かしてさえいればいい

作業量が多い日、まして夏場で汗を多くかいていれば、
「今日は頑張った!」と自分を納得させる材料になる。

汗を洗い流すために行く温泉

そして「帰宅してからの冷たいビール」なんて最高だ!

「いや・・・どこが最高?」

過去に戻れるなら、自分を強くとがめたいものである。

■「単純作業」=「思考停止」

人は「単純作業の奴隷」と化した時から、モノを考える力が失われてしまいます。

いや、失われるというか「考えることを放棄する」と言い換えた方が良かろう。

なぜ放棄するのか?

考えることは想像以上にエネルギーを使う行為である。

対局中のプロのチェスプレーヤーが1日に消費するカロリーは平均6000kcalにもなると言う。

自身は今までに何度もフルマラソンを完走している。
完走後はもうクタクタだ!(;´Д`)ハァハァ

しかし、そんな過酷なフルマラソンでも2000kcalしか消費しないのだから、考える続けることで脳が使用するエネルギー量は図りしれないのである。

考えることを放棄する、その理由は、

「頭を使うより、身体を動かしている方が楽だから!」

人はその事実を本能的に知っている。

なるべくエネルギーを消費しないコスパのよい単純作業を好む理由はそこにある。

仕事量がそれなりにあれば充実感も生まれる。

ましてや、単純作業でもそれなりに給料が貰えていれば、あえて無駄なエネルギーを消費してまで働くなんてことはしないものだ。

冒頭で語ったように、単純作業の奴隷と化していた過去の自分が、「今日はよく頑張った!」と発していた理由が理解できたであろうか?

■「働き方」は自分次第ではあるが・・・

仕事の軸を何に定めるかなんて自身が決める事であり、周りからとやかく言われる筋合いはないものだ。

そんな人はうっとうしい!
自身もそう思う。

「気ままに働いて、気ままに生きればよい」

しょせん人間社会は人間が勝手に作りあげた虚構なのだから、上記のようなユルイ考え方で自身を丸め込みながら生きることも良いのかもしれない。

しかし、すんなりと

許容しても良いのか?
許容できるのか?

生きる事に全力で挑戦し、自らがもつ力の上限値、まだ見ぬ可能性を探り当てるという選択肢もあるのではないだろうか?

自分の考えは、確実に後者である。

■「本能」にあがらえ!

地球上におけるすべての生き物の中で、唯一人間がもつ特権がある。

「本能にあがらえること」だ!

それは人としての存在を強調し、また人としての高みを目指すために必要な絶対条件と言っていい。

単純作業はある意味「安全が確保された仕事」である。

そして「安全の確保」は人間のもつ本能の一部であるため、人は本能的にも単純作業を好んで選択する傾向にあるのである。

安全が確保され、かつコスパのよい単純作業は、正当な働き方のひとつであることは認める。

しかし、そうした働き方が良いとは到底思えない。

それは「成長」という観点から見た場合においては、デメリットでしかないからだ。

■「作業員にはなるな!」

部下に対し、なぜこう述べるかがお分かりになったであろうか?

それは「成長」を切に願っているからです。

単純作業は「停滞」を生み出します。
そして「停滞」は今の時代においてはタブーである。

なぜなら、グローバル化が進みあらゆる技術、情報のスピードが目に見えて高まっているからである。

新しく登場したコンテンツも、たった数年で陳腐化してしまうのはご存じであろう。

「停滞」していれば、あっと言う間に背中すら見えなくなってほど、昨今の変化スピードはとにかく速いのだ。

「リスクを取らない事がリスク」

仕事においては「安全の確保」を優先するような消極的な人間に未来やその需要はない。

自分の頭を使い「とにかく考え」、チャレンジし成長していける人間だけにしか明るい未来はやってこないのである。

最後に

いつまで奴隷のような「単純作業」をやる気なんだ?


ではまた次回(^O^)/










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