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科学的トレーニングとは

2017年9月16日日経新聞夕刊に掲載されたものです。

 先日、友人たちと開いた食事会に、スキークロスの日本代表選手である梅原玲奈選手が来てくれた。梅原選手とはソチ五輪のときに知り合った。彼女が聞かせてくれた話はとても的確でおもしろく、テレビ解説者を務めた私にとって役立つ情報ばかりであった。

 いまの彼女は来年の平昌五輪に向けてトレーニング中である。この日も国立スポーツ科学センター(JISS)から夕食会に駆けつけた。この日はエクササイズバイクに乗って1時間、血中乳酸値を2ミリモルにしてトレーニングを行っていたという。
 強い運動を行い、それに対して酸素が十分ではない場合、筋肉内の糖を代謝してエネルギーをつくる。その副産物として乳酸が蓄積する。そのため乳酸は疲労物質ともいわれていたが、最近の説では、こうした急激な運動時の筋肉疲労は運動そのものの収縮により筋肉内のイオン濃度が酸性に傾くことによるもので、乳酸はそれを中和する役割があると考えられている。いずれにしろ乳酸は急激な運動により発生するため、運動強度とエネルギー代謝の指標となる。

 梅原選手が運動の基準とした2ミリモルという数値は乳酸閾値(いきち)といって、高い強度で短時間運動できる無酸素運動と長時間運動できる有酸素運動の境目である。言ってみれば持続可能でありながら最もつらい数値だ。
 さらに梅原選手はエクササイズバイクを全力で30秒間こいでから2分間休憩というセットを10回やった。30秒は人間が全力を出せるギリギリの時間で、乳酸が大量に出る。2分間のインターバルのうちに乳酸を一度回復させ、次のセットも全力を出すことが求められる。僕もこのトレーニングを経験したことがあるが、身体中に乳酸が駆けめぐり、吐き気を催した。

 このトレーニングを管轄しているのがJISS副センター長の石毛勇介氏だという。石毛氏は僕が現役選手だった頃にお世話になった北海道教育大の小林規教授の直系である。2人とも運動生理学に基づいたトレーニングの手法をスキーの中で実践している。
 一般的に科学的トレーニングというと、最低限の努力で効果的な結果を出すようなイメージを抱かれるかもしれない。実際には、科学的な数値を基にトレーニングをすると手を抜くことができず逃げ場がない。こうして基礎を徹底的に鍛えることでパフォーマンスだけでなく、けがのリスクも大きく減るのである。

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