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母は強しを再確認

2017年8月26日日経新聞夕刊に掲載されたものです。

 妻の出産に立ち会った。僕たち夫婦はすでに1男1女を授かっていたが、ふたりとも僕がエベレスト登山で不在のときに誕生した。だから今回、万難を排してもお産に立ち会おうと決めていた。8月中旬になると僕は会社から休みをもらい、逗子からは両親と姉も来てくれて、強固な支援体制が出来上がっていた。

 最後の検診で「いつ生まれても大丈夫。軽い運動をするといいですよ」と言われたので、妻と僕は近くの体育館で友人たちと卓球をした。卓球は夫婦共通の趣味なのである。
 2時間程体を動かすと、妻が卓球台に寄りかかって苦しそうな顔をした。陣痛が来たというので、慌ててかかりつけの産婦人科に駈けこむ。妻を寝かせてから子供たちを両親と友人にあずけに行き、それから入院道具を抱えて再び妻の待つ病室へと急いだ。すでに生まれているのではないかと気が気でなかった。 

 実際に分娩が始まったのは夜になってから。陣痛の間隔が短くなり、妻は眉間にしわを寄せている。握る手にも力がこもる。こんなに苦しむ妻の姿は初めてだったが、僕にできるのはうちわであおぐことだけ。 
 だが、さすがに経験豊富な女医さんと助産婦さん、それと出産3度目の妻である。分娩が始まるとあっという間に子供が飛び出した。娘であった。
 女医さんはてきぱきと手順を踏んで、赤子を布に包んで妻に渡してくれた。生まれたときはまだ白かった子が、産声を上げるたびに赤みを帯びる。酸素が総身に行きわたる様子がよく分る。まさに赤ん坊だ。安堵しながらわが子を抱く妻の顔がとても優しく、僕も母娘の無事な姿にほっとした。同時に、生命の誕生に立ち会ったことに言い知れぬ感動を覚えた。

 それからが大変であった。妻と次女の退院までは、長男長女の面倒は僕が見なければならない。洗濯に掃除、食事の支度、子供の習い事。父・雄一郎のトレーニングにも付き合い、大忙しだった。普段、妻がやってくれている家事がどれほど大変だったかを改めて知らされた。
 母と姉には大いに助けられた。母は4月に骨折した大腿骨がまだ完治していなかった。にもかかわらず車椅子と松葉づえを使い分け、姉のことも的確な指示で動かしながら、毎晩美味しい食事を作り、だんらんを絶やさないようにしてくれた。母も3人の子を産み育てたのだ。女性の強さを再確認した。

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