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若手弁護士「ホンネ調査」番外編:法律事務所就活今昔物語

先日、弊所の74期内定者と話をする機会がありました。その中で、この「若手弁護士『ホンネ調査』」は結構読まれているらしいということを知り、企画者としては読んでもらえてとてもうれしいのと同時に、今年はコンテンツを更新できなかったことを反省しました。

その替わりといってはなんですが、三浦亮太弁護士が所内外の複数の弁護士の協力を得て、三浦弁護士が就活生だった20年前から近年までの採用スケジュールの変遷をまとめてくれたので、「若手弁護士『ホンネ調査』」の番外編としてお送りしたいと思います。

(平川 裕/三浦法律事務所 PRマネージャー)

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法律事務所就活今昔物語

2021年の司法試験は5月16日に終了し、最大手規模の法律事務所の多くは5月24日から個別面談を開始して早々に大勢は決したようです。

私の修習時代(1998年4月司法修習開始)は、実務修習先(長野)から1か月に1回程度上京して会食を重ね、3か月程度で内定を受けるというのんびりしたものでした(「就活」という用語を使った記憶もありません。)。

いつの間にか就活の時期が「実務修習中」から「前期修習中」となり、あっという間に「修習開始前」になり、「まさか合格発表前にはならないよね」という一線も軽く飛び越え、現在、「司法試験前」というラインを辛うじて維持している状況です。

まだ司法試験に受かるかどうかも分からない状態で就職活動をしなければならない状況が健全なのか、それとも司法試験を終えた勢いで就職活動まで終えてしまって合格発表まで自由を謳歌するのがいいのか、私には分かりません。

この20年の間に就活スケジュールがどう変遷していったのか振り返ってみたいと思います(多くの後輩弁護士の協力を得ていますが、基本的に記憶を頼りにしていますので間違い等はご容赦ください)。

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■ 52期まで

私の期(52期)まで、2年修習でした。インターネットもメールも発達しておらず、情報収集手段も限られますので、少なくとも私は司法修習開始時点で法律事務所の名前も分かっておりませんでした。

とはいえ、クラスには法律事務所に色々なツテがある修習生はおり、前期修習(和光)がはじまると、教室の後ろに「●月●日、●●法律事務所を訪問します。ご希望の方は●●まで」という貼り紙が貼られていました。法律事務所を訪問すると豪勢な夕飯にありつけるので、時間に余裕があれば(※1)都心に繰り出して夕飯をご馳走になっていました(※2)。

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※1 今と変わらない修習内容を2年もかけてやっていたので、午後早々に授業も終わってしまい、基本ヒマでした。

※2 法律事務所側からすると品定めをしていたわけですが、少なくとも私はそんなことも気づかずクラスメイトと豪華な夕飯を楽しんでいました。

夏から実務修習が開始すると全国に散らばるわけですが、修習1年目の秋から年末までが当時大手渉外と呼ばれた法律事務所の訪問時期といわれており(※3)、実務修習先から細いツテ(前期修習中の訪問で受け取った名刺など)を頼りに個別訪問を重ね、年末に内定をもらったと記憶しています。

※3 当時国内中堅と呼ばれた法律事務所は2年目のゴールデンウイークあたりが目途であったように記憶しています。最大手でも60名程度の時代でした。

■ 53期

53期から修習が2年から1年半に短縮されました。そのため、2000年は52期(4月)と53期(10月)という1年に2期が弁護士登録することになりました。

修習期間が短くなったことと、1年の間に52期と53期が弁護士になるため、就職先が確保できるのかという不安から、長らく続いたのんびり就活活動に終止符が打たれました。

4月から司法修習が始まるや否は就職活動が始まり、夏くらいまでに決まりはじめ、遅くても年内に決まっていたと思います。

ツテある人を中心に連れ立って事務所を訪問し、その後、個別面談を重ねるという大手事務所への就活の方法は変わっていません。実務修習先からの交通費(私は新幹線。人によっては飛行機代)を支出しなくて済むという点ではよかったかも知れません。

■ 54~55期

しばらく上記のスケジュール感(夏前、遅くとも年内)で定着していたように思います。思えば履歴書無し、成績表もなし。そういえば出身大学も書類等で確認しておらず、自己申告を頼りにひたすら飲食を重ねていました。

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参加弁護士同士が久しぶりであることも多く、修習生そっちのけで盛り上がってしまい、事務所に戻っても修習生の印象がない・・・という事態が多かったと記憶しています。そんな中でも印象に残った方を採用していた、ということだと思います。

■ 56~59期

たしか56期あたりからだと記憶していますが、秋の合格発表直後に合格者祝賀パーティーを開催しました。ツテを頼って修習生側からコンタクトされるのを待つのではなく、事務所側から情報を獲得しに行くことになります。

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とはいえ合格者側が事務所を認知していないため、後輩に合格者がいる弁護士からメールしてもらって拡散をお願いしたりしていました。56期あたりから本格的に「修習開始『前』」に内定がでるようになったと記憶しています。

申込みはウェブサイトから行うようにしていたので、成績表はないものの、事務所側が一定の情報を収集してパーティーに臨んでいました。

・・・とはいえ、このあたりまでは基本的に銀座あたりに繰り出して、とんでもなく高いお店で夕食を共にしながら「ガッハッハ」とやっていたような気がします。もちろん弁護士が食べたいからです。

血で血を争う大手事務所間の就活戦争が本格化するのは「ロースクール」という黒船が来航した後だと思います。。

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■ 60期以降

「旧試験」と「新試験」が併存した時期です。Wikipediaによると旧試験は2006年(平成18年)から2011年(平成23年)までの6年間、新司法試験と並行して行われた従前の司法試験です(旧試験の終了に伴い予備試験が登場)。旧試験組は、それまでの司法試験と同様、択一5月、論文7月、口述10月、最終の合格発表は11月頃であったと思います。旧試験組の司法修習は1年4か月、新試験組の司法修習は1年となりました。

さて就活ですが、旧試験組は59期までの流れをくんで、合格発表直後に合格祝賀会&事務所説明会を行い、その後、順次個別に面接を行って年内には内定していたと思います。

他方、新試験組からはインターン制度が始まりました(夏季。後述の予備試験開始後の予備試験組は冬季)。司法試験を受験する前年の夏にインターンを経験してもらい、翌年の司法試験終了直後に就活開始、内定という流れになります。

新試験組からついに「合格発表前」の内定が登場です。合格発表前どころか司法試験直後ということになります。

■ 64期以降

最大手事務所においては63期まで大人の事情で7月1日に個別面談開始であったと思いますが、64期からはこれも大人の事情で6月1日に個別面談開始になりました。

このころには大手の企業法務系法律事務所では、インターン→司法試験→個別面談受付開始→個別面談→内定という流れが完全に定着しました。新試験組から応募書類に成績が加わったと記憶していますが、提出を受けるとやはり見てしまうのが人の性ですね。およそ私の大学時代の成績では個別面談に呼んでもらえないのですが、自分のことは棚に上げるしかありません。

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また、就活生の意識もだいぶ企業の就職に近づいたと思います。「御社(御所)の福利厚生は?」と聞かれて「は?ないですね。福利厚生なら裁判所が良いと思いますよ」とか、「御社(御所)の研修制度は?」と聞かれて「は?ないですね。オンザジョブトレーニングです。」などと(マイルドに)伝えたこともありますが、それでは大手事務所間の採用戦争に負けてしまいます。法律事務所はモノを作らず無形のアドバイスでお仕事をしていますので、継続的な成長のためには人材の確保が生命線になります。そして、大手法律事務所の就活に限っては今でも売り手市場であり、どの事務所も採用には力を入れて就活生側へのアピールに余念がありません。

■ 74期以降

弊事務所は2019年1月の設立です。若手の育成には「いい先輩」と「いい案件」が必要と考えています。「いい先輩」は設立当初から揃っていると自負しているのですが「いい案件」があるかどうかはやってみなければ分かりません。幸い、初年度より各弁護士ともクライアントに恵まれ、独立前と変わらぬクライアントの皆様から独立前と変わらぬ幅広い案件のご依頼をいただくことができたため、2年目の2020年の新人採用戦線(74期)から参戦しました。今年で2回目の新人採用戦線(75期)となりました。

大手事務所が採用活動について、インターンを含め尋常でないリソースを割いていることは承知しているため、私たちらしい採用活動を模索していきたいと思います。


Author

弁護士 三浦 亮太(三浦法律事務所 パートナー)
PROFILE:2000年 弁護士登録(第二東京弁護士会所属)。2000~2018年 森・濱田松本法律事務所。2019年に三浦法律事務所を旗揚げ

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