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松場大吉との出会い|三浦自伝⑩

(写真:2009年夏、むしゃくしゃして自転車で高尾に行って食べた思い出の蕎麦)

進路の決まらないまま大学4年目は過ぎていき、卒論提出を見送り一年間休学することを決めた。

しかしせっかくのモラトリアムを得たのに、「落ちこぼれた」という負の意識に支配されていた三浦は満足にシューカツに取り組めなかった。

日本社会はレールを外れた者に不条理なほど冷たいと悪態をつきながらニヒリズムに浸った時期もあった。「自分は社会に必要とされていないんじゃないか」ベタなセリフが常に頭の中をグルグルとしていた。

ギターを弾けば多少気は紛れたが、その状況を脱するためには何の役にも立たなかった。

自己肯定感はみるみるうちに低下し、その頃から部屋を片付けられなくなり、朝起きれなくなり、時間や約束を守ることも困難になった。当時、どれだけ寝坊してもすっぽかしても大目に見てくれたバイト先の立ち食いそば屋のオヤジには感謝してもしきれない。

ついには体を壊し、インフルエンザで高熱を出し電車の中で気絶したり、帯状疱疹に罹って血液検査のために血を抜いたら貧血で倒れたり、散々だった。さらには当時付き合っていた彼女と別れたり、大好きだったおばあちゃんが亡くなったり辛いことも立て続けに起こった一年だった。

悪いことばかりは続かないはず、となんとかこの年をやり過ごし、年が明けた2010年の2月、母が出稼ぎに出ていたパラグアイを訪ねるなどしてかなりエネルギーを回復した。

同年4月に復学して、所属していたゼミの舩田先生が企画した講演会に参加したことが三浦の転機だった。そこに現れたのが今勤めている群言堂の社長(当時)、松場大吉だったのだ。

三浦は企業説明会に近い講演なのかと思っていたが、事業のことよりむしろ大森町の魅力や暮らしについてたくさん語る大吉つぁんを見て、不思議に思うとともに一気に興味を引き寄せられた。

この町に行ってみたいと思い、その後すぐにインターンに行かせてほしいという手紙を書いた。

<つづく>

※三浦編集長 Vol.10(2016年7月発行)より転載