見出し画像

運動会の競技に出なかった息子は、わがままに生きることへの希望になった

今日、人生で初めての"息子の運動会"が開催されました。今年から幼稚園に通い始めて約半年の年少さん。

運動会は、コロナの影響を受け日程も延期になり場所も公園から園庭へ。さらに学年を半分ずつにわけた超縮小開催でした。(それでも開催してくださった先生方ありがとうございます)

練習に参加しない息子

夏休みが開けてから、運動会の練習が始まりました。

延長保育をお願いしているので夕方迎えにいくと、「せいたくん、運動会の練習に全然参加していなくて…端っこで座ってるんです。」とのこと。

本人がやる気になればそのうちやるだろうと思っていたし、「プライドが高いから途中経過は見せたくなくてできるようになってから披露したいのかな」なんて考えていたわたし。

結局、直前の練習まで積極的に参加することはありませんでした。(家ではたまに歌いながら踊ってたんだけどな…)

そして迎えた運動会当日

駐車場にクルマを停めて降りようとすると「お休みしたい」と息子。「今日何時にお迎え?恥ずかしいから来ないで、お迎えに来てほしい。行きたくない。」と、思ったより運動会への壁は高そう…

「何もしなくてもいいから、とりあえず幼稚園には行こう。」

そう話して、靴も履かずにお父ちゃんに抱っこされて園庭へ。

縮小開催となった今年の運動会は、指定された時間に到着すると一息つく間もなく始まりました。

事前に録音された、年長さんによる「はじめの言葉」で幕を開けた17人だけの運動会。

途中の動くロープをジャンプして避けながらゴールをめざす競技が最初でした。

…うちの子じゃないのに涙が出てくるっ!!!

そういえば、子どもが生まれてから家から遠くに見える小学校の運動会の練習風景を見ているだけで泣けてくるようになっていたことを思い出しました。

上手に飛べたり、ゴールに向かうまっすぐな眼差し、ゴールした時の嬉しそうな顔。そんな光景を見るたびに「じわーん」と出てくる涙と愛おしさ。

さて最終レース、いよいよ息子の番。

ただ一人、走らなかった

そう、先生たちに説得されるも頑なに「やらない」と首を横に振る息子。

その姿を遠くから見守りながら「先生ありがとう…もういいから次にいってくれ…」と思っていたら先生同士でアイコンタクトが送られ、息子が走らないまま次の競技へ。

わたしが未就園の子たちのかわいすぎるダンスに涙を流している間、息子はずっと先生のひざに座っていました。

「恥ずかしいから来ないで」と言われていたので、カメラを起動したiPhoneを三脚にセットして茂みに隠れてようと思ったら、未就園児枠でまさかの娘が夫と登場。笑

慌ててiPhoneの元へ戻ると、娘がゴールの方にいる夫に向かって一直線に走り出しました。兄との差が極端すぎるっっ…

画像1

会場内、今日イチの歓声では?と思えるほどの見事な走りで競技を終えた娘は、参加賞のおりがみをもらって誇らしげに園舎へ戻っていきました。笑

最終種目、ダンス

年少さんのふたつめであり最後の種目は、ダンス。

たまに息子が家で歌いながら踊っていたものだったのでほんの少し期待をしたものの、全く輪の中に入ろうとしません。

木陰に隠れながら、なんだか笑えてきてしまって、気づけば息子はわたしの背中にもたれるように立っていました。

結局最後の挨拶まで輪の中に入ることはなく、彼にとって初めての、そして母としてのわたしにとって初めての息子の運動会が幕を閉じました。

たった30分、されど30分

超縮小運動会は、30分もかからない間に終了しました。

帰り、門の前で写真を撮ろうとしたら抑えていた何かが爆発したかのように泣き出した息子。

これも年少さんの運動会の思い出だ!とありのままの姿を写真に収めてもらいました。

画像2

「やりたくないならやらなくてもいいんだ!」そんなふうに自分に言い聞かせながらも、息子にどんな言葉をいいのかわからないまま、胸の中がギュッと苦しくなるような、言葉にならないようなモヤモヤが残ります。

しかし、帰り道に寄ったラーメン屋さんで、あの30分の間に彼から学んだことがスっと腑に落ちたような気がしました。

ただいい子になりたかったわたし

ここで少し、わたしの話をします。

わたしは、物心ついた頃から「とにかくいい子でいること」を目指していたのだと、大人になった今気づきました。

上手じゃなくても、一番じゃなくてもいいから、とになく場を乱さない。

生まれ持ったリーダーシップ気質からか、大人たちから褒められることも多くとにかく自分を"いい子"に見せることに必死でした。そこに自分の意思や理想の姿はなく、場面や人によってカメレオンのように発言内容を変えたりもしていました。

とにかく人から嫌われないように過ごした結果、友人関係はとにかく浅く広く、来る者拒まず去るもの追わず(けどSNSはチェックしちゃう)な人間に育ちました。

それは大人になってからも変わらず、今でもニュースなどを見て意見する時にTwitterで検索して「みんなはどう思っているか」「自分と同じようなことを考えている人はいるか」ということを調べて、自分だけ違ったことを考えていると思えばそれは表に出すことはありません。

普段は布マスクなのにテレビの取材だからと世間からのバッシングを恐れて不織布マスクをわざわざ買ってその時だけ使ったり、「ある程度影響力がある人なんだからそういう発信はしない方がいい」とDMをもらうことがあれば、嫌われないように必死に心を消耗しながら返信をしていました。

結局、わたしの本心はどれなのか。

どんな人になりたいのか。

目指すところはどこなのか。

31年間、カメレオンのように生きてきた自分の心をすごく鈍感になっているのかもしれません。

妬み、憧れ、羨み

そんなわたしは、何かひとつのことを継続できている人や強い意志を持って暮らしレベルに落とし込めている人がすごく羨ましい。

わたしはあぁはなれないんだ、と目を背けたくなるし、そっとSNSをミュートしてしまうことだってある。

けど、それは「憧れの気持ち」でもあるんだと最近気づきました。

わたしはひとつのことを継続できないんじゃなくて、本当はそうなりたいんだと思う。

31年間、とにかくいい子でいるために必死でそのことに気づけなかった。

結果、いろんな仕事を受けすぎて今すべてが中途半端になってしまっているとここ数日反省していたところでした。

子が育てば親も育つ

今日、運動会で何にも参加しない息子の姿を見て、そのことに気付かされたように思います。

というより、胸の中のモヤモヤした気持ちが繋がったというか。

子どもは6歳を過ぎると社交性を身につけ、自分の本心とは違う行動をするようになると聞いたことがあります。

4歳の、今の息子の魂の想いを大切に育ててあげることが親としての役目なのかもしれません。

わがままなことは悪くないのかも。

嫌われたっていい。文句も言われるかもしれない。

そんな勇気を持って、31年間凝り固まったものをほぐしながら今日から生きていこうと思います。

画像3

ふと空を見上げたら、虹。

「それでいいんだよ」と言われているような気持ち。

予定通り10月2日に運動会が行われていたら気づけなかったことかもしれないな。


2021年10月16日

みうらん


サポートいただけたらちょっと贅沢なおいしいものを食べたいです。えへへ。